NPO法人築地居留地研究会 ホームへ戻る


中央区まるごとミュージアム
・日 時: 2024年 11月10日(日)
     講 演: 14:00 ~ 15:00
     街歩き: 15:00 ~ 16:30

・場 所: 築地カトリック教会 2階ホール

・テーマ:「歴史散歩、かつて中央区にあった外国人の街のお話と散歩」

・講 師: 中島 耕二 氏
     本研究会理事、元明治学院大学客員教授、東北大学博士(文学)

冒頭、NPO法人築地居留地研究会、水野 雅生理事長の挨拶がなされた。
引き続き中島耕二氏によりパワーポイントを使って築地居留地の特色について、当時の建物、どんな職種の人物が居たか、そしてどのような文化が始められ、その後の日本にどう影響を与えたか、築地居留地初めて物語など興味深い講演がなされた。
本日資料として配布された築地居留地鳥瞰図(ガーディナー作 立教学院蔵)と築地居留地の区画・番地を示す図は建物のイメージとその建物がどの番地にあったか説明内容を確認できる貴重な資料であり、講演後の街歩きの際には実際の場所に当時はどのような建物が並んでいたかを知る手掛かりになったものと思われた。

(※以下中島耕二氏のスライドより引用)
〇 築地居留地はじめて物語
 ・洋式ホテル 1868年築地ホテル館開業
 ・電信 1870年1月26日 築地運上所と横浜裁判所間に設置
 ・電話 1890年12月6日 東京と横浜間に開通
 ・明朝体活字の発祥 平野 冨二の東京築地活版製造所で考案
 ・邦字新聞 1872年4月24日 J・ブラック「日新真事誌」創刊
 ・靴業 1873年4月15日 西村 勝三 伊勢勝三靴場開業
 ・フランスパンとサイダー 1874年チャリ・ヘス チャリ舎開店
 ・国際結婚式 (政府官吏 三浦十郎とドイツ人女性ゲルトマイエル)タムソン宣教師司式
 ・日本人教会最初のクリスマス 1873年12月25日、新栄教会祝会
 ・西洋病院 (フォールズ宣教師の築地ホスピタル)
 ・盲学校 (訓盲院、現筑波大学付属盲学校)

講演終了後カトリック築地教会聖堂前で記念写真撮影の後、中島 耕二理事班と村上 伊作元理事班の2班に分かれ築地居留地であった区内を巡る「歴史散歩」が行われた。
歴史散歩については参加者から活発な質疑や意見が有ったようで、2班共に終了予定時刻を30分以上超過して予定のコースを巡ることが出来た。
終了直前に急な雨に見舞われ急ぎ終了することになったが、参加者の方々はこの歴史散歩により築地居留地の存在をより身近なものに感じられたのではないかと思われた。
参加者:39名(申込者:49名)
<写真クリックで拡大します>   

水野理事長 挨拶

中島耕二氏 講演

講演風景1

講演風景2

受付嬢

集合写真

街歩き 村上会員班

街歩き 中島理事班
薮 純夫 記
第16回 外国人居留地研究会全国大会 in 函館 2024
・日 時: 2024年 10月5日(土)・6日(日)
    一日目 10月5日(土) 見学会・函館湾クルーズ・代表者会議・懇親会・二次会
    二日目 10月6日(日) 大会研究発表

・場 所: 函館市地域交流まちづくりセンター2F多目的ホール

・主 催: はこだて外国人居留地研究会

・後 援: 函館市・箱館市教育委員会・北海道新聞函館支社・箱館新聞

・テーマ:「領事裁判権などを通して見える居留地における対立・摩擦・各地の事情」

<準備>
薮純夫事務局長の会員への大会案内通知、事務局の村山智一会員による主催者との万端調整。
9月28日(土)定例報告会後、大島房太郎理事から参加者へのオリエンテーション。
引率リーダー伊藤泰子理事、撮影係を直江弘美理事に依頼。

<参加者>(敬称略・順不同)
理事長水野雅生(オンライン)、大島房太郎(オンライン)、村山智一(オンライン)、
中島耕二、渡部尚子、伊藤泰子、鏑木純子、直江弘美、直江忠廣、松波秀子、森山靖子、
市瀬与彦、吉田百合子、平井靖人 (会場参加者11名)

<現地移動> 10月5日(土)
前日函館入りの平井会員、当日飛行機利用の直江会員夫妻と松波会員を除き7名は新幹線で函館へ。「ホテル・フレックステイイン函館駅前」で平井会員がジョイン、伊藤理事の先導で函館市地域交流まちづくりセンターへ市電で移動。同地で直江夫妻と合流。

<見学会>
13:50 全国の居留地研究会参加者と「はこだて外国人居留地研究会」の小川正樹氏の案内で、いざ出発。参加者の普段の行いを反映し、好天に恵まれ絶好の見学日和となる。
函館カトリック元町教会(小原氏からキリスト教伝来の詳しい説明を受ける)~聖ヨハネ教会~ハリストス正教会~旧公会堂~ペリー像~旧税関~旧桟橋を見学後、観光遊覧船ブルームーンに乗って湾内クルーズ。
ここで松波会員が到着し築地メンバー11名全員が揃う。下船後、懇親会まで自由行動。
見学会中、直江弘美理事にスマホのシャッターを押しまくって戴く。

  
  
 

17:00 居留地代表者会議がオンラインとの併用で行われる。
18:30 五島軒で懇親会。小川正樹氏が開会の挨拶、倉田有佳副会長の乾杯の音頭。
各居留地からメッセージ。
当研究会からは中島理事が、来年度の全国大会は築地が主催、テーマは「医療と福祉」であることを紹介し多数の参加を呼び掛けた。
懇親会の締めの挨拶を渡部理事が行い、来年のテーマと合わせ聖路加国際病院に触れ懇親会をクローズ。主催者から二次会の案内があったが、当研究会メンバーはホテルに直行。

 

<大会> 10月6日(日)於: 函館市地域交流まちづくりセンター2F多目的ホール
9:00の受付開始に合わせ8:30にホテルロビーに集合し、全員で大会会場へ市電で移動。
9:15 開会式。体調不良で欠席の清水会長に代わって小川正樹氏が挨拶。倉田有佳副会長
が総合司会を担当。
9:20~ 研究発表(発表15分・レジメを配布)
① 小川正樹氏(函館)函館における領事裁判 ―日清通商章程の解釈をめぐる日本と中国の
摩擦―
② 青柳正敏氏(新潟)新潟における外国との対立・摩擦
③ 中島耕二氏(築地)築地居留地における治外法権と不正取引 ―居留地を舞台にした外人
の不正取引―
④ 鈴木康夫氏(横浜)ビデオによる発表。領事裁判権からExtra Territorialityへ
10:35~10:45 休憩
⑤ 堀田暁生氏(川口)シュミット・スパン商会のトラブル
⑥ 洲脇一郎氏(神戸)オンラインによる発表。神戸の領事裁判~摩擦と対立から協調へ
⑦ 橋本正信氏(長崎)オンラインによる発表。居留地の事件簿~長崎歴史文化博物館収蔵「県庁文書」
11:45 閉会式 来年度全国大会開催地として中島理事が挨拶。
12:00 解散 大会記録は後日編集後配布される。
  
 

当研究会メンバーは函館駅前のプレミアホテルに移動し解散会食会を行い、市瀬与彦会員から参加者の新たな学びと旅行中の無事を感謝する締めの挨拶を戴き解散。尚、会食会には偶然神戸外国人居留地研究会会員お二人が同席され、もう一つの懇親会となった。

  

<こぼればなし>
直江忠廣会員のご祖父(1881-1936)はかつて函館市の丸井今井百貨店の支配人(支店長)を務めておられたが、たまたま当日直江夫妻が乗車したタクシードライバーから、今回大会会場となった函館市地域交流まちづくりセンターが、かつてその丸井今井百貨店の建物であることを知らされ、びっくり仰天。
直江夫妻は初めて知った事実と祖父が活躍していた建物に今立っていることに感無量!(現在の丸井今井百貨店は五稜郭のそばにて営業)

<大会発表の感想>
はこだて外国人居留地研究会の皆様の大会準備に感謝致します。
今大会における各居留地からの発表についてはテーマの範囲が広く的を絞り難かったこともあり、発表内容に学術的発題からごく日常的な事件を取り上げたものまでかなりフォーカスの違いが見られ、聴く側としては若干頭の切り替えに苦労したというのが正直な感想です。
(文責中島) 
 
研究報告会
・日 時: 2024年 9月28日(土) 14:00~16:00

・場 所: カトリック築地教会 2階 ホール

・テーマ:「築地居留地に42年間住んだ宣教師夫人の生涯」
      『タムソン宣教師夫人 メアリーの日記』 出版記念講演

・講 師: 中島 耕二 氏
      当研究会理事、東北大学博士(文学)
      元明治学院大学客員教授
■ 研究報告会
定刻になり大島房太郎理事の司会により研究会の開始を宣言。
今回の研究報告は、当研究会の中島耕二理事が本年3月に編著として教文館から刊行した、『タムソン宣教師夫人メアリーの日記1872-1876』の出版記念会を兼ねて行われた。
会の開始にあたり本研究会水野雅生理事長から挨拶と講師の紹介が行われた。水野理事長は挨拶の中で去る2月に転んで頚椎を負傷しいまだ治療中の身との説明をされたが、参加者一同、一日も早い快復をお祈りした。
タムソン宣教師夫人メアリーは、旧姓メアリー・カルホーン・パークと称し、1841年にアイルランドのドニゴール郡で生まれ、1850年代初頭に一家とともにアメリカ合衆国オハイオ州に移住し、中等教育を終えた後同州の学校教師となった。30歳前後に教師をやめて宣教師を志し、1873年4月アメリカ長老教会初代独身女性宣教師として来日し、築地居留地6番の長老教会宣教師館に住んだ。

ほどなく同僚となった独身女性宣教師二人と女学校を開き校長を務めたが、同地で理想的な男性独身宣教師のデビッド・タムソンと出会い、独身女性宣教師から宣教師夫人の道を選んだ。
メアリーは宣教師夫人として夫のタムソンを助けタムソンの英語塾教師、教会の日曜学校教師、婦人信徒たちへの聖書研究会主宰、児童学校の校長等を続け、その間英語クラスの有力な青年教え子二人を相次いで亡くし、加えて三人の娘を育てる中で、9歳になる二女をジフテリアで亡くすなど人生の試練にも立ち会った。

1915年に夫タムソンの淀橋(新宿)転勤により、42年間の築地居留地生活に別れを告げたが、32歳から74歳まで人生で最も輝く時間のほとんどを築地居留地で過ごし、それは夫タムソンの45年間に次いで女性では最も長い住人記録となった。
夫タムソンは淀橋に移ってすぐに亡くなったため、メアリーは女子英学塾(津田塾)で教授を務める長女ルースと同居し、赤坂および麹町と転居し1927年86歳で亡くなるまで、教会関係の福祉活動の奉仕を続けた。彼女は特別華々しい活躍をしたわけではなかったが、その生涯は日本に住む多くの同国人および日本人に人格の力強さを教える生きた教材であった。
東京豊島区の染井霊園外国人墓地に二女マミーおよび夫デビッドともに眠っている。
     
  
研究報告会
・日 時: 2024年 7月20日(土) 14:00~16:00

・場 所: カトリック築地教会 2階 ホール

・テーマ: 「2024・新札の肖像 官費米国女子留学生第一号 津田梅子と
      築地居留地」

・演 者: こだま ひろこ 氏  
     ウィメンズコミュニティ代表 作家 脚本 プロデュース

・特別ゲスト: 久野 明子 氏 
        一般社団法人日米協会副会長・山川捨松曾孫

■ 研究報告会
定刻となり薮純夫事務局長の司会で研究会をスタート。
1871年(明治4年)官費にて第1号として米国に留学した津田 梅子の渡米から昭和4年64歳で亡くなるまでの功績とその歴史、築地居留地とのかかわりについてこだま ひろこ氏にご講演頂いた。津田梅子は本年7月3日発行の新札紙幣の五千円のデザインに彼女の肖像画が採用されており、今回のご講演は非常にタイムリーなものとなった。
また、本日は津田梅子と同時に米国に留学した山川捨松の曽孫にあたる久野明子氏を特別ゲストとしてお招きし、親族ならではの貴重なお話を聞かせていただいた。

講演に先立って、本研究会の水野雅生理事長から挨拶と説明があった。本年度3月及び5月の定例研究報告会は水野理事長が欠席であり、大島理事がコメントを代読していたが、本日は水野理事長が元気に復帰し、参加者から盛大な拍手があった。
水野理事長の挨拶 こだま ひろこ 氏 久野 明子 氏

~津田梅子の経歴~ (こだまひろこ氏 配布資料)
Ⅰ 幼年期
 1864/元治元年 12 月 31 日 江戸牛込南町・梅子誕生(父親津田仙・母親津田初子)
 1871/明治 4 年 梅子(6 歳)「官費米国女子留学生第一号」捨松と共に渡米
Ⅱ 米国留学時代
 1873/明治 6 年 梅子(8 歳)フィラデルフィアの独立教会で洗礼
 1876/明治 9 年 梅子(11 歳)ランマン夫妻・捨松・繁子とフィラデルフィア万博見学
 1878/明治 11 年 梅子(13 歳)アーサーインスティチュート女学校 捨松・バッサー大学入学
 1882/明治 15 年 梅子(17 歳)捨松と共に帰国 ユニオンチャーチ礼拝
 1883/明治 16 年 梅子(18 歳)伊藤博文と再会 「海岸女学校」教師 捨松・大山巌と結婚
 1885/明治 18 年 梅子(20 歳)「華族女学校」の教師
Ⅲ 帰国から二度目の留学
 1889/明治 22 年 梅子(24 歳)フィラデルフィアのブリンマー大学に入学
 1891/明治 24 年 梅子(26 歳)ソネット『THE OCEAN VOYAGE』発表
 モーガン博士と共同研究「蛙の卵の発生」
 1892/明治 25 年 梅子(27 歳)帰国 「日本米国奨学金制度」発足
 1898/明治 31 年 梅子(33 歳)デンバー万国婦人連合会日本代表として参加
 1899/明治 32 年 梅子(34 歳)英国視察 フローレンス・ナイチンゲールに面会
Ⅳ「女子英学塾」の創設と発展
 1900/明治 33 年 梅子(35 歳)メアリー・モリス会長「フィラデルフィア委員会」設立
 「女子英学塾」創設(千代田区麴町一番町) 捨松・顧問
 1902/明治 35 年 梅子(37 歳)「女子英学塾」校舎購入(千代田区麴町五番町)
 アナ・ハーツホン来日「女子英学塾」教師
 1904/明治 37 年 梅子(39 歳)「社団法人女子英学塾」設立 捨松・理事
 1905/明治 38 年 梅子(40 歳)英語科教員無試験検定取扱許可 捨松・同窓会会長
 1907/明治 40 年 梅子(42 歳)妹の余奈子を同伴して米国からイタリアへ一年間旅行
 1910/明治 43 年 梅子(45 歳)フィラデルフィア資産家の寄付により新校舎落成
 1913/対象 2 都市 梅子(48 都市)米国世界基督教学生大会出席
 1915/大正 4 年 梅子(50 歳)勲六等宝冠章授与
 1917/大正 6 年 梅子(52 歳)発病 聖路加病院へ入院 その後四回の入院
 1919/大正 8 年 梅子(54 歳)塾長辞任 後任辻マツ塾代理 捨松・没
 1923/大正 12 年 梅子(58 歳)関東大震災で千代田区五番町校舎全焼
 アナ・ハーツホン「女子英学塾」の救済を求めて渡米
 1926/大正 15 年 梅子(61 歳)アナ・ハーツホン帰国 目標額五十万ドル達成
 1929/昭和 4 年 梅子(64 歳)鎌倉の別荘で没



 1871年 津田梅子6歳、山川捨松 11歳、永井 繁子 10歳


こだまひろこ氏のスライド

講演会会場風景
 

特別ゲスト 久野明子氏 (山川捨松曾孫)
久野明子氏は実に朗々とした声でお話をされ、参加者は一同に感心していた。
捨松という奇抜な名前の由来は? という質問に対して、わずか11歳で渡米留学する娘に
対して母親が「捨てたつもりでそれでも待つ」という意味を込めて渡米を期に「捨松」と
改名したという回答であった。

今回の講演会 こだまひろこ氏・久野明子氏の調整役を行っていただいた
当研究会会員 村上伊作氏(元理事)

演劇:シーボルト父子伝~蒼い目のサムライ~2024で山川捨松役をダブルキャストで演じる
ましろ悠さん(右)と山川璃恩さん(左)

講演会終了後、山口喜義 当研究会会員(聖路加チャペル信徒)による希望者への
聖路加チャペル見学会が行われた。
(聖路加チャペルは長期にわたった改修工事がようやく終了し、立ち入りが許可された)
     
研究報告会 「築地あじさい祭り」
・日 時: 2024年 5月18日(土) 14:00~16:00築地居留地研究会

・場 所: 築地本願寺 第二伝道会館

・テーマ: 「シーボルトの江戸滞在と「伊能図」をめぐる事件」

・梶 輝行 氏 横浜薬科大学教授



築地居留地研究会
同日 築地本願寺でも外国人居留地にまつわるイベントが開催されました

・「プロジェクションマッピング in 築地本願寺」
江戸から明治にかけ築地にあった外国人居留地の歴史絵巻
投影予定時間 18:00~ 19:00~ 20:00~ 3回開催

・「小・中学生対照のワークショップ」
作曲家・山田耕筰の音楽に学ぶ(音)の発生する仕組み 17:00~18:00

■ 研究報告会
定刻となり薮純夫事務局長の司会で研究会をスタート。
毎年5月の定例報告研究会はシーボルトの娘「イネ」の生誕を記念し、シーボルト関連の講演をお願いしている。昨年5月のあじさい祭りはシーボルト研究の第一人者と言われる石山 禎一氏(日本シーボルト協会幹事)にご講演頂いた。
今回は石山氏のご紹介で、石山氏が一番弟子と言われていた横浜薬科大学教授の梶 輝行氏にご講演頂くことになった。お二人は共にシーボルトの研究をされており特に関連する膨大な書簡などを翻訳分析調査され、その成果を研究発表そして執筆もされている。

会場はいつもと異なり築地本願寺第二伝道会館で設備の整った場所で参加者をお迎えすることとなった。
当日は東京都の助成・中央区の後援により築地本願寺で様々なイベントも同時に開催され、テントによる出店も多くあった。一番大きなイベントとして18時30分、19時30分、20時30分の3回、築地本願寺の建物全体に築地居留地から始まる築地の歴史について錦絵や画像をプロジェクションマッピングで映し出すという大掛かりなプログロムが行われた。当日築地本願寺への来場者は1万2千人に上ったそうである。

1823年に来日したドイツ人シーボルトが、オランダの要請に基づき、対日貿易の再興に向けた日本の総合的な調査研究を果たす中で、1826年の江戸参府旅行による江戸滞在がどのような役割を果たし、また如何なる日本人と交流を深めたかを紹介し、そのなかで、
特に「シーボルト事件」となる幕府の天文方兼書物奉行の高橋作左衛門景保との出会いに注目し、伊能忠敬作成の日本地図いわゆる「伊能図」をめぐり、この事件がどのように起こり、そして事件の真相が何であったのか、これまでの研究成果に基づいて梶氏にお話しいただいた。
講演に先立って、いつもは本研究会の水野雅生理事長から挨拶と説明を行う事としているが、前回に引き続き本日も欠席であり、大島理事が水野理事長からのコメントを代読した。
(水野 雅生理事長の人形(3Dプリンターで作成)を持ちコメントを
 代読する大島理事)


シーボルトの6代目子孫である関口忠相氏から挨拶があり、
演劇シーボルト父子伝「青い目のサムライ」主演・演出の鳳恵弥氏が紹介された。










■ 講演 14:00~15:50 梶 輝行 氏

<講演内容>
「シーボルトの江戸滞在と「伊能図」をめぐる事件」

梶 輝行氏から年月日まで詳細にかつ克明に調査された研究報告がなされた。参加者は梶氏のわかりやすい説明に理解を示していた。

*当時の幕府が、シーボルトへの判決文の中で一貫して国外持ち出し禁制品の日本地図を高橋景保との交際により入手し、持ち出そうとしたことを問い糺し、それを罪状として日本追放・再渡来禁止を申し渡し、同時に江戸参府の際のオランダ商館長ドゥ・ステュルレルに対しても監督不行届きとしてやはりシーボルトと同様な申し渡しを行った。
しかし、シーボルトは開国後、出島のオランダ商館にあったドンケル・クルティウスの幕府への申請により日本追放・再渡来禁止を解除され、シーボルトの再来日に尽力した。そのことから考えても、幕府はシーボルトをスパイ容疑で処断したのではないこと、さらには再来日後、幕府はシーボルトを蕃書調所の日本人への語学指導の名目で外交顧問として重用したことを併せて考えも、シーボルトのスパイ説は成立しないといえる。        (梶氏資料より)

シーボルトに関連する
地図を示す梶氏

講演会会場風景 集合写真
研究報告会
・日 時: 2024年 3月23日(土) 14:00~16:00築地居留地研究会

・場 所: カトリック築地教会 2階
     東京都中央区明石町 5-26

・テーマ: 「東京のチェコスロヴァキア軍団兵士たち-1918年/大正7年」

・講 師: 長與 進 氏 早稲田大学名誉教授


■ 研究報告会 14:00~16:00
定刻となり薮純夫事務局長の司会で研究会をスタート。
1918年(大正7年)第1次世界大戦後のロシア、シベリアに日本政府が行った出兵宣言は、「チェコスロヴァキア軍救援」を大義名分として掲げていた。その関連で、同年9月と10月、ルースキー島(ウラジヴォストーク)のアメリカ軍赤十字病院に収容されていたチェコスロヴァキア軍の負傷兵の一部(約100名)が船と汽車で日本に移送されて東京・築地の聖路加国際病院で治療を施された。
今回の定例研究報告会は関連する歴史について研究されている早稲田大学名誉教授の長與 進先生に当時の日本の新聞記事及び当時ロシアで刊行されていた「チェコスロヴァキア日刊新聞」に掲載された記事等を突き合わせることで、この忘れられたエピソードを再現していただくことになった。
講演に先立って、いつもは本研究会の水野雅生理事長から挨拶と説明を行う事としているが、本日は欠席であり大島理事が水野理事長からのコメントを代読し配布の資料「改めて印刷を考える」を基に説明がなされた。

・ 講演内容
東京のチェコスロヴァキア軍団兵士たち―1918年/大正7年
本講演のキーワード―
第一次世界大戦/ロシア革命とロシア内戦/チェコスロヴァキア軍団とチェコスロヴァキア国家成立/シベリア出兵/大正期の日本社会
・ 構 成
Ⅰ はじめに―チェコスロヴァキア軍団の自己イメージと連合軍のイメージ
Ⅱ 東京のチェコスロヴァキア軍団兵士たち―関連年表
Ⅲ 入院していた兵士たちが出していた雑誌『アノ・ネ』
Ⅳ チェコ共和国外務省文書館で見つかった来日傷病兵のリスト
Ⅴ マリオン・フライシャーについての記事
Ⅵ まとめに代えて―今後の調査課題、写真が語る未解明の「謎」
<写真クリックで拡大します>
白赤の兵士 チェコスロヴァキア軍団の自己イメージと連合軍のイメージ
「ホウパチキ」第2号1919年8月



パイプをふかして、牛を撫でているのはイギリス兵、牛の背にもたれているのはフランス兵、カーボーイ・ハットで牛の乳を搾っているのはアメリカ兵、直接に乳を吸っているのは日本兵、馬草を積んでいる(あるいは下ろしている)のがチェコスロヴァキア兵(ただ一人、勤勉に働いていることを暗示?) 赤いウシは、おそらくロシアを象徴している
「ホウパチキ」第3号1919年9月

当時のチェコスロヴァキア軍と連合軍のイメージ(風刺画)でチェコスロヴァキア軍と連合軍の関連がどのようなものであったかを示された。
関連年表については月日まで1918年から1919年にかけての出来事が詳細に記載されていた。これによりいつ何名のチェコスロヴァキア負傷兵が日本に移送されてきたのかが分かる。兵士達は聖路加国際病院(現在の聖路加国際大学)に収容され治療が施された。在日中のチェコスロヴァキア兵士が発行していた雑誌「アノ・ネ」や発行された他の記事等も紹介され、その手記内容からは当時の兵士達の生活や環境などがうかがえる貴重なものであった。驚くべきは移送されてきた負傷兵士達の氏名、所属連隊まで記載されていた。
その他、収容されていた兵士たちの聖路加国際病院での写真や、当時アメリカ軍赤十字シベリア救護団としてウラジヴォストークのルースキー島の病院で診療にあたっていた聖路加国際病院看護師等多くの写真(チェコスロヴァキア国民文書館保管)が紹介された。
長與氏の研究されているこの歴史については一般的に多くは知られてはいない。おそらく初めて「こういう歴史がチェコスロヴァキアと日本の間にあった」という事を聞いた参加者は大いに興味深く聴講されていたと思われた。

東京のアメリカ病院(聖路加国際病院)前のチェコスロヴァキア人




軍事歴史文書館(プラハ)から提供された写真の一枚。聖路加国際病院の広場(現在の聖路加ガーデン)での集合写真
写真にペン書きされているのは、右上端に Amer. (アメリカ赤十字)、左上から Franta Halas (フランタ・ハラス)、 Fleishman (ミス・フライシマン)、Marion Doon(ミス・マリオン・ドーン:聖路加国際病院高等看護婦学校 副校長)、Dr. m. Frazier (フレイザー博士)、下段には ČS. invalide v Tokiu Japan (日本の東京のチェコスロヴァキア傷病兵) ※不明文字省略

1919年1月24日、東京、第3号、『アノ・ネ』
在日チェコスロヴァキア人兵士の雑誌 子供たちへのエッセイや日本昔話の出来事が書かれている


アメリカ軍赤十字シベリア救護団として派遣された聖路加国際病院看護師の一人 宇高はる
(チェコスロヴァキア国民文書館所蔵)


アメリカ軍赤十字シベリア救護団としてシベリア救済事業の総指揮R・B・トイスラー(聖路加創設者)医師と共に派遣された看護師たち
前列左端に宇高はる (聖路加国際大学所蔵)


   
(講演会会場風景)     (集合写真)

2024年度通常総会 / 研究報告会
・日 時: 2024年 1月20日(土) 14:00~16:00築地居留地研究会

・場 所: カトリック築地教会 2階
     東京都中央区明石町 5-26

・テーマ: 「精養軒150年史」

・講 師: 松本 健一郎 氏 (株)精養軒 総務課長

■ NPO法人築地居留地研究会通常総会 13:00~13:40
  大島房太郎理事の司会により、総会出席者定数を満たし総会成立の旨が報告され開会が宣せられた。
議長に理事長の水野雅生氏を選任、以降第1号から第5号議案まで、間に鏑木純子監事による監査報告を挟み、全議案が審議され、賛成多数で承認され総会をつつがなく閉じた。

水野雅生理事長

総会議案



■ 研究報告会 14:00~16:00
  精養軒(築地精養軒・上野精養軒)は今年(2024年)創業152年目を迎える。その歴史は波乱万丈のものであった。
明治維新まもなくの頃東京には本格的な西洋料理店もなく、外国からの要人の接待に不便していた。岩倉具視に仕えていた北村重威が岩倉の支援を受けて明治5年2月26日(旧暦)に皇居前の馬場先門にて精養軒を開業する事になる。ところが開業当日皇居和田倉門にあった旧会津藩中屋敷から出火し大火となり銀座、築地へと燃え広がり、開店したその日に精養軒を消失してしまう。

しかしその悲運にめげず北村はその2か月後の4月には木挽町5丁目に精養軒を移し仮営業を開始している。翌明治6年に築地采女町に移転し本格的な西洋料理店及びホテルとして築地精養軒を始動する事になる。
その後築地精養軒は多くの西洋料理史上の名料理人を輩出し、西洋料理、また西洋文化の指導も行うなど、東京に西洋文化を広めていった。また大正14年から昭和8年まで東京駅駅舎に併設された東京ステーションホテルの営業も請け負うなど多角経営化も図っている。

明治9年4月には上野公園の開園にあわせ、公園内に上野精養軒(支店)を開業。
5月には天皇皇后陛下来臨のもと開園式典が挙行され上野精養軒はレセプション会場となった。明治12年には米国のグラント将軍(のちの18代大統領)来日の際、アメリカ独立103周年記念夜会が上野精養軒で行われた。上野精養軒は年々政府関連のイベントが行わるようになっていき本店を凌ぐ盛況を続けた。

しかし、全て順調に行ったわけでなく、今日までいくつかの大きな試練に直面している。 
一つは大正12年の関東大震災で築地精養軒が全焼し閉鎖し上野精養軒に本店を移すことになる。またその後は第二次世界大戦があり、最近においてはコロナでの極端な営業不振など、一連の試練を乗り越えて今日の精養軒がある。152年の歴史の重さを感じる。

この度は、精養軒総務部松本健一郎氏に当研究会にお越し頂き「精養軒150年史」について110枚ものスライドを用いて講演して頂きました。
改めて我が国における西洋料理店の老舗として、また西洋式ホテルとして精養軒が果たした役割とその功績の大きさを再認識させられる講演であった。
大島 房太郎 記 
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講演風景

精養軒150年史

築地精養軒

上野精養軒

精養軒の由来

会場

集合写真

 精養軒の詳細「精養軒150年史」と「日本最古の洋食店“精養軒”の舞台裏」(ビデオ)は
 下のバナーから見る事ができます。 ご覧になってください。
             

研究報告会
・日 時: 2023年 11月25日(土) 14:00~16:00築地居留地研究会

・場 所: カトリック築地教会 2階
     東京都中央区明石町 5-26

・Part 1: 「よみがえる明治の西洋レシピ」~築地居留地の今昔物語~
   講師: 東出 りさ 氏 東京大学大学院 情報学環教育部

・Part 2: 「築地居留地の料理人から洋食へ」
   講 師: 長谷川 和子 氏 日東珈琲(株)役員

定刻となり薮純夫事務局長の司会で研究会をスタート。
今回の研究報告会は、築地居留地にまつわる料理についてお二方の女性にご講演をいただいた。お二方共に過去(2017年9月30日)に当研究会でご講演いただいた村上 隆氏の編著書「築地居留地の料理人」の中に書かれた当時の多くのレシピから幾つかの料理を再現されたという経験があり本日の講演をお願いすることになった。
講演に先立って本研究会水野雅生理事長から挨拶と説明があった。

Part1:東出 りさ氏 講演
講演に先立って放映されたVTR
「築地居留地の料理人」なる書籍は明治前期に基督教に入信し宣教師館に料理人として勤務していた野村高治という人物が築地居留地で作られていたと思われる西洋料理のレシピ126点を手帳に書き残していた。
その手帳を野村高治の孫、村上百合子氏が解読し、元新記者で曽孫である村上 隆氏が纏められたものであるとの事。
東出氏が再現された料理
・マヨネーズソース
・サラダ
・人参スープ
・ケジャリー(ほぐした魚の身、炊いた米、パセリ、ゆで卵、カレー粉、バターorクリーム
 などを加えた料理)
・小海老とカレー
・アップルスノウ(リンゴ、卵白、砂糖、水を材料とするクラシックデザート様の料理)
・パンケークス

以上の再現料理をレシピに忠実に作られている場面がDVD動画により放映された。
          (※ 右バナーから動画をご覧頂けます)

再現したレシピの特徴として
・調味料や材料が少なくシンプルな味付け、シンプルであるが
 美味しい。いかに今の私達が贅沢なのか気付く。
・西洋家庭料理。ホテルやレストランで提供される高級料理ではない。
126点のレシピはおもてなしが出来る家庭料理。食卓は交歓の場。レシピ一つ一つに物語やエピソードがある。おいしい物は人と人を結びます。(東出氏資料より)
以上の感想を述べられている


Part2:長谷川 和子氏 講演
長谷川氏配布の講演目次
・日本の肉食
・外交手段としてのフランス料理をベースとしたイギリス料理風料理
・パトロンによる仕出し料理
・大正から昭和にかけての洋食の台頭
・~三大洋食 トンカツ コロッケ カレー~
・洋食は日本料理

長谷川和子氏も娘さんの協力により「築地居留地の料理人」の書籍にあるレシピを基に当時の料理を再現されており、その料理は当研究会作成の「開市150年記念 築地居留地」DVDに動画が収められている。
ご講演は上記の目次にそって進められたが、ともかくその精力的とも思われる講演のされ方に驚いた。約30分間手元の原稿から目をそらさずお話を続けられたのである。誠に失礼ながらご高齢にもかかわらずそのパワーには脱帽せざるを得ないものであった。(参加者 55名)

薮 純夫 記 
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蘇る明治の西洋レシピVTR
文中のバナーで再生します

煉瓦亭にて
4代目木田浩一郎氏と

煉瓦亭元祖オムライス

煉瓦亭元祖カツレツ

会場風景

質疑をされる参加者

集合写真
中央区まるごとミュージアム
・日 時: 2023年 11月5日(日)
     講 演: 14:00 ~ 15:00
     街歩き: 15:00 ~ 16:30

・場 所: 築地カトリック教会 2階ホール

・テーマ:「歴史散歩、かつて中央区にあった外国人の街のお話と散歩」

・講 師: 中島 耕二
     本研究会理事、元明治学院大学客員教授、東北大学博士(文学)

冒頭、NPO法人築地居留地研究会、水野 雅生理事長の挨拶がなされた。
引き続き中島 耕二氏によりパワーポイントを使って築地居留地の特色について、当時どのような建物が有ったか、どのような職種の人が居たか、そしてどのような文化が日本に影響を与えたか等興味深い講演がなされた。
本日資料として配布された築地居留地鳥瞰図(ガーディナー作 立教学院蔵)と築地居留地の区画・番地を示す図は建物のイメージとその建物がどの番地にあったか説明内容を確認できる貴重な資料であった。

(※以下中島耕二氏のスライドより引用)
〇 築地居留地にあったミッションスクール
 ・新栄女学校(女子学院)
 ・東京一致神学校・築地大学校・東京一致英和学校(明治学院)
 ・海岸女学校(青山女学院・青山学院)
 ・立教女学校(立教女学院)
 ・立教学校(立教学院)
 ・築地童貞学校・女子語学校・高等和仏女学校(雙葉学園)
 ・暁星学校(暁星学園)
 ・東京中学院(関東学院)
 ・女子聖学院(女子聖学院)

〇 ミッションスクール以外の学校
 ・慶応義塾(慶應義塾)
 ・工手学校(工学院)

〇 築地居留地にあった教会
 ・東京ユニオンチャーチ
 ・東京基督公会(新栄教会)
 ・東京第一長老教会(芝教会・巣鴨教会)
 ・築地美以教会(銀座教会)
 ・築地聖ヨゼフ天主堂(カトリック築地教会)※本日の会場
 ・聖パウロ教会
 ・築地福音教会(和泉教会)
 ・聖三一聖堂(東京聖三一教会)
 ・サンモール修道院(雙葉学園内)

〇 築地居留地と日本の近代化
 ・電信 電話創業 横浜居留地と築地居留地間
 ・外国人専用ホテル 築地外国人ホテル館
 ・西洋料理 精養軒
 ・パン創業 チャリ舎のフランスパンとサイダー
 ・活字(築地明朝体) ・印刷 ・造船所
 ・キリスト教会 日本最初の日本人クリスマス祝会
 ・ミッションスクール(初等から高等教育 女子教育)
 ・讃美歌と西洋音楽 
 ・病院 築地ホスピタル 聖路加国際病院
 ・新聞 『日新真事誌』ブラック
 ・指紋研究 フォールズ博士
 ・訓盲院 点字、盲学校

参加者は100年以上前に築地にあった外国人文化とそれがその後の日本に対して与えた影響について興味深く聴講されていた。
講演終了後カトリック築地教会聖堂前で記念写真撮影の後、中島耕二理事班と村上伊作理事班の2班に分かれ「歴史散歩」が行われた。
歴史散歩については途中で参加者から活発な質疑や意見が有ったようで、終了予定時刻を30分以上超過して予定のコースを巡ることが出来た。
終了後中島理事から「参加者から、いろいろ知らないことばかりで、旧築地居留地に興味が湧いたとの声をたくさん聞きました。また、このような講演は次回何時あるのかなど、嬉しい質問もありました。築地外国人ホテル館の再建を期待する参加者が多かったのも印象的でした。」という報告が有り参加者の関心度は非常に高かったと感じられた。
参加者:39名(申込者:49名)
薮 純夫 記 
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講師 中島耕二氏

講演風景1

講演風景2

集合写真

会場入り口掲示

街歩き 村上理事

街歩き 中島理事
第15回外国人居留地研究会2023年全国大会・大阪大会
・日 時: 2023年 9月22日(金)・23日(土)築地居留地研究会

    一日目 9月22日 基調講演 各居留地研究会発表 親睦会
    二日目 9月23日 見学会「中之島~川口居留地クルーズ」

・場 所: 日本聖公会 川口基督教会

・主 催: 川口居留地研究会

・テーマ:「外国人居留地とホテル」

第15回外国人居留地研究会全国大会in大阪は、9月22日(金)と23日(土)の二日間にわたり
川口基督教会にて開催された。
現地(対面)参加とオンライン参加のハイブリッド形式での開催。
総勢70名の参加(築地居留地研究会からは12名の参加)。

一日目・9月22日(金)

12:30~12:40 開会の挨拶: 堀田暁生(川口居留地研究会会長)

12:40~13:20 基調講演: 堀田暁生「川口居留地と自由亭ホテル」

13:20~13:50 スペシャル対談 自由亭ホテルの研究と『朝星夜星』朝井まかてX堀田暁生/
       コーディネーター高田宏
川口居留地研究会堀田暁生会長による開会の挨拶に引き続き、堀田氏により川口居留地のレストラン及びホテル「自由亭」の研究発表・基調講演がなされた。そしてその洋食店「自由亭」を開業した草野丈吉とその家族を描いた小説「朝星夜星」の作者・朝井まかてさんをスペシャルゲストに迎えてのトーク・対談が行われた。

13:50~14:00 川口基督教会の紹介: 柳時京(川口基督教会司祭)

14:00~14:30 礼拝堂自由見学(休憩時間を兼ねる)
各居留地研究会の発表に先立ち、今回の全国大会の会場となった川口基督教会の柳時京司祭より川口教会の歴史また教会内の案内がなされた。
川口基督教教会の歴史は、1869年に米国聖公会宣教師C.M.ウイリアムズ主教が長崎から川口にやってきて翌年の1870年に英語講習所を開校し英語礼拝を開始する事に遡る。
ウイリアムズ司教はその後築地にやってきて現・立教学院・立教女学院を創立。
日本におけるキリスト教の歴史の流れを再認識させられる。
聖堂にはめ込まれた花や幾何学模様のステンドグラスが美しい。

14:30~17:15 各居留地研究会研究発表(報告時間各30分)
  ・函館 倉田有佳 函館の大町築島の居留地に建てられた「ロシアホテル」
  ・新潟 青柳正俊 「ホテル」を育てた新潟の人たち
  ・神戸 谷口義子 神戸居留地のホテル史
  ・長崎 齋藤義朗 先進歯科診療所が置かれた長崎居留地のホテル
  ・築地 松波秀子 築地居留地と築地ホテル館
  **横浜 斎藤多喜夫 ご事情により欠席(開港・開始場を結ぶホテル人たち)
1858年の五カ国条約以後、開港地や開市地にホテルが作られていきます。
それぞれ特色を持つ各居留地に作られたホテルが、どのようなものであったか、欧米人にどのように映ったのか、また日本人がどのように捉えたのか、またそれらがその後日本文化にどのような影響を与えていったのか、等について発表がなされた。

17:30~17:40 閉会の挨拶
2024年度第16回外国人居留地研究会全国大会は函館で開催される事になった旨発表。
テーマおよび日程は追って連絡。

18:00~20:00 懇親会
「北京料理 徐園」にて総勢34名の参加者で各研究会間での親睦を深める。
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開会の挨拶 堀田暁美
川口居留地研究会会長

基調講演

特別対談

柳時京
川口基督教会司祭

川口基督教会

川口基督教会聖堂

ステンドグラス

倉田有佳
はこだて外国人居留地研究会

青柳正俊
新潟居留地研究会

谷口義子
神戸外国人居留地研究会

齋藤義朗
長崎居留地研究会

松波秀子
築地居留地研究会

懇親会 北京料理 徐園

懇親会

懇親会

懇親会


二日目・9月23日(土)

10:15~11:45 見学会「中之島~川口居留地クルーズ」
中之島西桟橋→ 土佐堀川→ 堂島川→ 木津川→ 道頓堀川
川口基督教会を木津川から見たり、また道頓堀川水門で高さの調整を見学するなど90分の
船旅を堪能。

12:00~13:30 昼食
下船後、道頓堀の「はり重グリル」で築地居留地研究会一行昼食。
食事後現地・自由解散


クルーズ・ルートマップ

クルーズ記念写真
研究報告会
・日 時: 2023年 9月9日(土) 14:00~16:00築地居留地研究会

・場 所: カトリック築地教会 2階
     東京都中央区明石町 5-26

・テーマ: 「築地居留地と築地ホテル館」

・講 師: 松波 秀子(まつなみ ひでこ)
日本建築学会々員。NPO法人歴史建築保存再生研究所 理事。研究分野:近代建築史、歴史的建造物保存修復。愛知県出身。名古屋大学工学部建築学科卒業。同大学院修士課程修了。博物館明治村建築学芸員を経て、清水建設技術研究所に転じ、歴史的建造物の史的調査及び保存復元プロジェクトに従事する傍ら、ガーディナーをはじめとする日本聖公会の建築史的研究等、多くの論文を発表。「田辺淳吉と明治から大正の清水組設計組織の研究」にて、東京大学より博士号を取得。
著作:『日本近代建築家列伝』(鹿島出版会,2017)/『写真集成 近代日本の建築「清水組工事年鑑」全7巻』(監修,解説,ゆまに書房,2011)/『写真集成 近代日本の建築「清水組明治建築写真集」「清水組住宅建築図集」他』(監修,ゆまに書房,2017)/『写真集成 近代日本の建築「清水組彩色設計図集」全4巻』(監修,解説,ゆまに書房,2020)


定刻となり薮純夫事務局長の司会で研究会をスタート。
今回の研究報告会は、日本で初めての本格的洋風ホテルである「築地ホテル館」をテーマに図面・錦絵などを提示しながら分かりやすく、また詳細に元清水建設技術研究所上席研究員の松波 秀子氏に講演していただくことになった。
講演に先立って本研究会水野雅生理事長から挨拶と説明があった。
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水野 雅生 理事長の挨拶

松波 秀子 氏

今回の定例研究報告会は、約150年前に築地居留地に存在した日本で初めての本格的洋風ホテルである築地ホテル館について松波秀子氏にご講演いただいた。
ご自身は元清水建設技術研究所の上級研究員であり歴史的建造物の研究に非常に明るい方である。配布されたレジュメも詳細に築地ホテル館のことが示されており、当日スクリーンに映写された資料も非常に貴重なものばかりであった。設計は米国人のブリジェンス、建築は二代目清水喜助であるが、正式な図面は残っていないものの錦絵は100を超える数であるという。
当時このホテルの存在が国内でいかにセンセーショナルであったかがうかがえる。そしてこのホテルの狙いは今でいう「インバウンドプロジェクト」であったという説明もホテルの内装外装、全体デザイン及び位置的な条件などから納得できるものであった。
建築後のマネージメントは日本人により実行されていたが、経営的には非常に厳しい状況であったと記録されている。わずか4年で焼失してしまったホテルであるが、このような先進的ホテルが築地居留地にあったという事はしっかり記憶に残し後世に伝えていくべきであると感じた。
講演後の質疑応答で「築地ホテル館は実際にどこに在ったのか」という質問が有り「現在の波除神社から晴海通りにかけてのあたりだろう」という返答となった。
今回は9月とはいえ記録的な猛暑が続く中であったが65名と多くのご参加をいただいた。


東京築地ホテル館之図
清水建設所蔵

講演会築地ホテル館
スクリーン映写資料

講演会風景

講演会風景

集合写真
研究報告会
・日 時: 2023年 7月22日(土) 14:00~16:00築地居留地研究会

・場 所: カトリック築地教会 2階
     東京都中央区明石町 5-26

・テーマ: 「詩人山村暮鳥と築地居留地」

・講 師: 中村 不二夫 (なかむら ふじお)
     1950年横浜市生まれ。神奈川大学卒業。
     詩集に『Mets』(日本詩人クラブ新人賞)
     『コラール』(「地球賞」)など.評論集に『山村暮鳥論』『辻井喬論』
     『廃墟の詩学』(秋谷豊詩鴗賞)など。
     現在月刊詩誌「詩と思想」編集委員.―般社団法人日本時人クラブ会長を経て、
     現在顧間。日本文藝家協会,暮鳥会、中島敦の会各会員。日本聖公会三光教会信徒


定刻となり薮純夫事務局長の司会で研究会をスタート。
今回の研究報告会は、明治・大正期の日本の詩人、児童文学者である。山村暮鳥をテーマに築地居留地との関連を含め分かりやすく、楽しめる構成で、中村不二夫氏に講演していただくことになった。
講演に先立って本研究会水野雅生理事長から挨拶と説明があった。
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水野 雅生 理事長の挨拶

山村暮鳥

中村 不二夫 氏

今回の定例研究報告会は、ご自身も多くの詩集を執筆されており、暮鳥に関しての論評集なども執筆・研究されている中村不二夫氏にお話しいただいた。冒頭、23分の山村暮鳥の一生をまとめたビデオ(和田義明氏編集)が放映された。これによりまず参加者は山村暮鳥がどのような生涯を送ったのかを理解できたように思われた。

中村氏が持参・配布頂いた資料は多種・大量に及びとても時間内に読破できるものではなかった。中村氏は資料の一部をご説明頂き、残りは家に帰ってじっくりお読みくださいと言われていた。
山村 暮鳥(やまむらぼちょう1884年(明治17年)1月10日 ~ 1924年(大正13年)12月8日)は、明治・大正期の日本の詩人、児童文学者である。本名、土田八九十(つちだ はくじゅう)、旧姓は志村。
複雑で貧しい家庭環境に育ち、1899年に堤ヶ岡尋常小学校(現在の高崎市立堤ヶ岡小学校)の代用教員となる。働きながら前橋の聖マッテア教会の英語夜学校に通う。
1903年、東京府築地の聖三一神学校に入学。聖三一大聖堂は現在の聖路加国際病院西側入り口付近にあり、神学校はその向かい側にあった。山村暮鳥と築地居留地の関係はこの時始まった。
神学校での6年間同じ時期を過ごした須貝止(すがいとどむ)は親友でありライバルでもあった。本日の資料にも須貝止が暮鳥について書いたものが配布されている。
須貝止は成功者であり1912年立教大学教授から1939年聖公会神学院校長、1941年には東京教区主教となり1946年には聖路加国際病院の第7代理事長に就任している。
一方暮鳥は聖三一神学校在学中より詩や短歌の創作をはじめ、前田林外らの雑誌「白百合」に木暮流星の筆名で短歌を発表。卒業後はキリスト教日本聖公会の伝道師として秋田、仙台、水戸などで布教活動に携わる。
1909年、人見東明から「静かな山村の夕暮れの空に飛んでいく鳥」という意味をこめて「山村暮鳥」の筆名をもらう。
1913年7月、萩原朔太郎、室生犀星と、詩、宗教、音楽の研究を目的とする「にんぎょ詩社」を設立。
1914年3月、同社の機関誌「卓上噴水」創刊。
1913年12月、教会の信者や知人達を中心に「新詩研究会」を結成。機関誌「風景」には萩原朔太郎、室生犀星の他、三木露風らが参加。1919年、結核のため伝道師を休職。
1924年12月8日、肺結核に悪性腸結核を併発し、茨城県東茨城郡大洗町の借家「鬼坊裏別荘」で死去、40歳であった。(一部Wikipediaから転載)
研究報告会は中村氏の説明で分かりやすく、時折柔らかい話も交えて進めていただいた。
当日の天候は猛暑であり参加者は少ないだろうという予測もあったが定員50名に迫るご参加を頂いた。

中村氏配布の大量資料

講演会風景

講演会風景

集合写真
研究報告会 「築地あじさい祭り」
・日 時: 2023年 5月13日(土) 14:00~16:00
築地居留地研究会
・場 所: カトリック築地教会 2階
     東京都中央区明石町 5-26

・テーマ: 「シーボルト来航200年記念 ~シーボルトと絆を深めた人々~」

・講 師: 石山 禎一 (いしやま よしかず)
     東海大学元非常勤講師
     日本シーボルト協会幹事 法政大学文学部史学会評議員

定刻となり薮純夫事務局長の司会で研究会をスタート。
今回の研究報告会・あじさい祭りは、今年がシーボルト来航200年の記念に当たることもあり、シーボルト研究に関しては「第一人者」と言われる石山 禎一氏に最新研究から判るシーボルトと絆の深い人々に関するご講演を頂くことになった。
講演に先立って本研究会水野雅生理事長から挨拶と説明があった。
シーボルト子孫の関口忠相氏と、シーボルト父子伝演劇でハインリッヒ役を演じた女優の鳳恵弥さんの紹介があった。
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水野 雅生 理事長の挨拶

関口 忠相 氏

鳳 恵弥 さん

今回の定例研究報告会は、シーボルト来航200年記念という事もあり、シーボルト研究に最も詳しい石山禎一氏に講演をお願いした。
石山氏は1796年から1866年まで2回の来日を含め、驚愕に値する300通を超える書簡の翻訳から様々な情報について研究をされている。その他ブランデンシュタイン家所蔵の書簡、報告書類、草稿類、日記にまでに調査の幅は広がりシーボルトがいかに多くの人々とかかわりを持ち、いかに膨大な情報を収集してきたかを教えていただいた。
シーボルトの一行が長崎から江戸幕府まで大名行列のような旅をしたことや、ライデン国立植物標本館所蔵のアジサイの標本のメモにある「sonogi そのぎ」の記載、シーボルトが伝えたアジサイの名は「お滝さん」⇒「オタクサ」であるという認識に「そのぎ」という名が加わった。
その他一般的な認識とされている歴史上の事柄が多くの書簡からその実際はこういう事であった、という石山氏の研究は本当に興味深い内容であった。
質疑応答も活発に行われ、シーボルトの娘「イネ」が築地で開設した産院の場所はどこか?等かなり踏み込んだ質問が印象深く感じられた。
当日は雨天であり参加者は少ないだろうという予測もあったが定員50名の所60名を超えるご参加を頂いた。

石山 禎一 氏

石山 禎一 氏

講演会風景

石山 禎一 氏

講演会風景

集合写真

集合写真
研究報告会
・日 時: 2023年 3月25日(土) 14:00~16:00

・場 所: カトリック築地教会 2階
     東京都中央区明石町 5-26

・テーマ: 「築地外国人居留地と食の西洋化」

・講 師: 仲光 克顕
     中央区立郷土資料館総括文化財調査指導員

定刻となり薮純夫事務局長の司会で研究会をスタート。
今回の研究報告会は、中央区郷土資料館総括文化財調査指導員であり、数々の発掘調査を手がけられている仲光克顕氏に築地外国人居留地を含む多くの発掘調査から分かる当時の食生活の西洋化についてご講演をいただくことになった。
講演に先立って本研究会水野雅生理事長から挨拶と説明があった。
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水野雅生 理事長の挨拶

仲光 克顕 氏

今回の定例研究報告会は、今まで建物、人物、文書等を対象とする報告が多かった中、旧築地居留地の発掘調査の結果から、当時の建物の推定、出土した食器、瓶、生活用具、獣骨、貝殻等からその時代の文化及び住人の日々の生活までを調べていくという考古学の視点からの報告で、大いに興味が持たれた。発掘する場所により出土品に特徴があり、築地居留地跡からは食に関する外国人の西洋衛生観念が見られたという。

都市部の発掘調査に関しては、当該地区の再開発などタイミングの問題もあり、既存建物の解体後の更地になる時を見計らって実施する必要があり制約が多い。また明治以降の遺跡調査は法律上難しかったなど、異なる制約もある。
旧築地居留地の発掘調査も区立明石小学校および周辺地区の建て替え時に実施することが出来たレアケースであり、居留地全体の発掘調査が出来た訳ではない。
ともあれ、仲光講師から深い内容を分かり易く説明して戴き、我々が生活している地面の下に歴史を紐解くヒントが眠っているという新たな知識を与えられたことは感謝であった。

また築地居留地時代の食生活に関し、過去に報告のあった「築地居留地の料理人」というテーマからそのレシピを読み解き実際の料理を再現された、本研究会長谷川理事夫人の長谷川和子さんの話、またそのレシピを基に料理の再現をドキュメンタリーとして製作した東京大学大学院東出りささんの紹介も行われた。
他に日本近代史の新刊紹介が教文館 倉澤智子さんからあった。

今回の報告会には興味深いテーマということでご参加いただいた、中央区長の山本泰人氏からご挨拶をいただいた。
参加者は定員50名の所、雨模様にもかかわらず65名と盛況で、質疑応答も活発に行われ参加者の興味が非常に高かったものと思われた。


講演会風景

講演会風景

講演会風景

講演会風景
仲光氏スライドの一部 仲光氏スライドの一部 築地居留地の料理人レシピを基に料理を再現
された長谷川和子 理事夫人
ドキュメンタリーを作成した「築地居留地の料理人」
研究会 東京大学大学院 東出りささん
   YouTube再生は <こちらから>

日本近代史の新刊紹介をする
教文館 倉澤智子さん

講演会に参加頂いた
中央区長 山本泰人氏

集合写真

集合写真
研究報告会
・日 時: 2023年 1月28日(土) 14:00~16:00

・場 所: カトリック築地教会 2階
     東京都中央区明石町 5-26

・テーマ: 「草創期の立教女学校」

・講 師: 伊藤 泰子
     本研究会理事 元立教女学院資料室委員

定刻となり薮純夫事務局長の司会で研究会をスタート。
今回の研究報告会は、本研究会理事であり、元立教女学院資料室委員の伊藤泰子氏にお願いし、草創期の立教女学校(現在の立教女学院)の歴史と職員、生徒の生活などについてご講演をいただくことになった。
講演に先立って本研究会水野雅生理事長から挨拶と説明があった。
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 伊藤泰子理事

 

アメリカ聖公会初代日本伝道主教、立教創立者、日本聖公会の開祖であるチャニング・ムーア・ウィリアムズは、グリフィスが彼の著書『ミカドズ エンパイア』の中で、アメリカが日本に贈った4人の最高のプレゼントの一人として、G・H・F・フルベッキ、J・C・ヘボン、S・R・ブラウンと共に伝記を著そうとした。
しかしウィリアムズの伝記はかなわなかった。離日の前ウィリアムズは自らの書簡や説教のメモを焼き、弟子たちにそれらの出版を許さなかったからである。何事にも質素倹約で有名であるが、主教の給料のごく一部で生活し、大部分は教会建築、学校運営などに充てた。
アメリカバーモント州リッチモンドで生まれたウィリアムズは、キリスト教の高札が取れる前、27歳の時に上海から長崎に、そして大阪から東京へ。築地居留地内に、立教中学、立教大学、立教女学校を設立。
生涯独身で、主教の職を退いた後も、日本に留まり、日本語の話せる宣教師が必要と考えて全国各地を伝道して回った。1908年79歳の時にひっそりとリッチモンドに帰郷。衰弱した中でも日本語で祈祷する日々を送り、1910年81歳で世を去った。

ウィリアムズの意志により、1877年若山儀一を校主として湯島4丁目綾部藩の九鬼邸で立教女学校の開校届が出された。
初代校長はC・T・ブランシェ―司祭。女性の教育のためには女性の教師が必要と考え、ミス・ピットマンを第2代校長に、第3代校長にミス・リディックを据えた。当時の教育は、女性アメリカ人教師たちによる英語を中心とした欧米の文典だったり歴史だったりした。ミシンを使って洋服を仕立てたり、オーブンを使って料理をしたり、編物なども習っていた。
当時の卒業生たちは、英語は達者で、アメリカの地理なども詳しく知っていたが、日本のことはほとんど知らないという状況だった。これを憂いた日本人聖職者・教師たちが、ウィリアムズ退職後1891年に来日したヘーア臨時主教に、校長を日本人に、せめて教頭だけでも日本人にと要請した。
ヘーア臨時主教によって改革がなされ、第5代校長に清水友輔、教頭に石井亮一を据え、経済的にも独立し、若干のスカラシップと宣教師にかかる費用、校舎の修繕費を除いては、ミッションからの補助は受けなくなった。大変な苦労を背負った小宮珠子は、1902年同志会を設立し卒業生たちなどからの寄付を集めこの難局を乗り切った。1923年9月の関東大震災まで、教会の鐘の音が響く築地居留地で穏やかな教育が行われていた。



講演会風景(1)

講演会風景(2)

講演会風景(3)

講演会風景(4)

参加者から花束を貰う伊藤泰子理事

集合写真
研究報告会
・日 時: 2022年 11月26日(土) 14:00~16:00築地居留地研究会

・場 所: カトリック築地教会 2階
     東京都中央区明石町 5-26

・テーマ: 「ペリー来航と開港地 下田」

・講 師: 尾形 征巳 (おがた まさみ)
     下田開国博物館 館長 下田郷土史研究会事務局長
     南伊豆町史編集委員

定刻となり薮純夫事務局長の司会で研究会をスタート。
今回の研究報告会は、下田開国博物館の館長 尾形 征巳氏をお招きし、ペリー来航と下田開港についてご講演をいただくことになった。
講演に先立って本研究会水野雅生理事長から挨拶と説明があった。
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水野雅生理事長の挨拶と説明

尾形征巳氏

尾形征巳氏の著書

(講演のポイント)
  ○ 下田の歴史上の位置づけ
  ○ アメリカが日本に開国を求めた理由・ペリーの日本遠征の目的
  ○ そのころの日本と下田の海防
  ○ なぜ下田が日本最初の開港地となったか
  ○ 日米和親条約付録下田条約の交渉
  ○ 欠乏品(薪水食糧の他、反物、漆器、紙、下駄など土産品)の供給・日米貨幣
    の交換比率
  ○ 下田奉行所と開港場としての諸機関・施設
  ○  ペリーの下田評価、下田庶民の対応
  ○  ペリー来航以後-ロシア使節来航・アメリカ総領事ハリス等など

1853年7月8日ペリーが蒸気船2隻を含む4隻で浦賀沖に来航、大統領の親書を渡し翌年の回答を申し入れた。翌1854年2月13日ペリーは再来、1854年3月31日、日米和親条約が締結され下田が開港の運びとなった。その後さまざまな経緯の後諸外国との交流が始まりあらゆる文化、技術などが日本にもたらされることとなった。
尾形氏はその始まりとして下田開港の時期に行われた取り決め、米国側・日本側の対応などについて講演いただいた。
ペリーは日本がほぼ未開の国だと評価していたところ、実際の日本を見て意外と清潔でありアメリカより進んだ点もあると認識を新たにしたという話が印象的であった。下田の住民が外国人を恐れず親しみやすくしたのは下田の風土であるという点では尾形氏の「下田愛」のようなものを感じた。

講演に先立って、尾形氏から館長をつとめる下田開国博物館が今月リニューアルを完了し、新たに映像ホールを設けビジュアルに下田の歴史を紹介するなどバージョンアップしたので、是非訪れて戴きたいとの話があった。
この点参加者の中からも、下田は燃料、水および食料品の供給以外に反物や漆器などの販売が行われ、いわば居留地の産みの親とも言うべき場所であることを知らされ、是非一度訪問したいとの声が多数寄せられた。

講演終了後、活発な質疑応答がなされ、16時に1階の教会入り口で集合写真を撮り解散となった。
尚、今回は東京ベイネットワーク(株)のTVカメラが入り講演会の内容が撮影された。
ケーブルテレビ接続世帯であれば12月4日~10日の間に視聴が可能との事である。


講演会風景(1)

講演会風景(2)

集合写真(1)

集合写真(2)
第14回外国人居留地研究会2022年全国大会・長崎大会
・日 時: 2022年 11月19日(土)・20日(日)築地居留地研究会

   一日目 11月19日 基調講演  各居留地研究会発表
   二日目 11月20日 史跡見学

・場 所: 長崎大学経済学部新館 101教室

・テーマ:「うつりかわる文化と生活様式
      ~居留地、雑居地、そしてわが町~」

第14回外国人居留地研究会2022年全国大会・長崎大会は、コロナ問題で当初の予定より2か月遅れの11月19日(土)と20日(日)の二日間にわたり長崎大学経済学部新館101教室にて開催された。
今回は現地(対面)参加と通信(ZOOM)参加のハイブリッド形式での開催。
今回の大会のテーマは「うつりかわる文化と生活様式~居留地、雑居地、そしてわが町~」で、下記式次第で発表された。

一日目・11月19日(土)
第一部 基調講演 (13:40~14:40)
    ブライアン・バークガフニ
    長崎総合科学大学特任教授 グラバー園名誉園長
   「うつりかわる長崎居留地~居留民子孫が見た交流の軌跡~」

第二部 各居留地研究会発表 (14:45~17:50)
・函館 倉田有佳 「ロシアホテルの元従業員を介して生まれた明治初期の函館パン文化」
・新潟 鈴木孝二 「新潟の洋風文化生活に貢献するクリスチャン実業家大橋正吉の
          信仰生涯と大橋商店の歩み」 
・築地 野口孝一 「築地外国居留地における雑居地に関する資料」
・横浜 斎藤多喜夫「外来と在来の角逐」
・川口 井上邦久 「大阪と中国人」
・神戸 海老良平 「神戸、阪神間と珈琲-うつりかわる文化と生活様式
          ~居留地、雑居地、そしてわが町~-」
・長崎 藤本健太郎 「長崎の貿易商人による同業組合の形成過程について」

パネルディスカッション
ポスターセッション見学会
例年発表後、各居留地研究会の交流の場として、主催者による夕食会が設けられてきましたが、今回はコロナ問題で執り行われませんでした。
築地居留地研究会参加者で夕食は海鮮料理を頂く。
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姫野順一 長崎大会実行
委員会会長挨拶

ブライアン・バークガフニ氏基調講演

基調講演

築地居留地研究会
野口孝一理事発表

横浜外国人居留地研究会
斎藤多喜夫会長
ZOOM発表


パネルディスカッション

ポスターセッション

夕食・食事会
二日目・11月20日(日)
10:00~11:30 長崎研究会主催 グラバー園見学
11:45~12:30 昼食 四海樓(中華料理)
12:45~14:00 築地研究会会員 唐人屋敷見学
       長崎大学南森茂太先生の案内
14:15~15:30 築地研究会会員 シーボルト記念館見学
       徳永宏館長の説明案内
15:45~17:00 築地研究会会員 出島見学

今回初めてのハイブリッド形式で開催され、全体としては合わせて80名を超える参加者。築地居留地研究会からは、水野雅生理事長をはじめ現地参加者12名、通信参加4名。
基調講演では、日本に残っている資料ではなく、かつて長崎に居留していた外国人の子孫から収集した写真、日記などから当時の様子を知る貴重な資料の紹介と説明がなされた。
また、各地研究会から、基本テーマに沿ったそれぞれの視点からの発表がなされ、それぞれの居留地のうつりかわる文化と生活様式を垣間見ることが出来ました。
発表後、長崎大学経済学部の生徒さんたちによる長崎外国人居留地のポスターでの研究発表もありました。将来彼らの中から外国人居留地研究者が育っていってくれればと願います。
この度は、築地居留地研究会からは、シーボルトの子孫関口忠相氏と長崎唐通事平井家子孫平井靖人氏も参加され、特に2日目の唐人屋敷見学、シーボルト記念館・出島見学はより意義深いものとなった。
全国大会開催に先立ち開かれた全国居留地研究会代表者会議にて、2023年度全国大会は大阪(川口)で開催される事に決定。9月22,23日川口基督教会での開催を予定。
テーマは各研究会が取り組んでいるそれぞれのテーマでの発表を予定。


グラバー園 (1)

グラバー園 (2)

グラバー園・
自然冷蔵庫入口

長崎ちゃんぽん・
四海樓

唐人屋敷・
南森茂太先生

唐人屋敷

シーボルト記念館・
徳永宏館長

シーボルト記念館

出島 (1)

出島 (2)

出島 (3)
中央区まるごとミュージアム
・日 時: 2022年 11月13日(日)
     講 演: 14:00 ~ 15:00
     街歩き: 15:00 ~ 16:00

・場 所: 築地カトリック教会 2階ホール

・テーマ: 「歴史散歩、かつて中央区にあった外国人の街のお話と散歩」

・講 師: 中島 耕二
     本研究会理事、元明治学院大学客員教授、東北大学博士(文学)

NPO法人築地居留地研究会、水野 雅生理事長の挨拶の後、中島氏によりパワーポイントを使って日本各地の居留地が生まれた時代背景、築地居留地の推移及びその特色などについて詳細な講義が行われた。参加者は皆関心をもって熱心に聴講していたのが印象的であった。
築地居留地は海が浅く大型船が入港できず、また狭隘で地代も横浜に比べ割高であった為貿易商人に敬遠され、代わりに宣教師や外交官が多く住み、その為ミッションスクール及び各国の公使館・領事館が多く建てられ、他の居留地とは異なる薫り高い文化の発祥地となった。残念ながらその異国文化の雰囲気があふれる街並みは、1923年の関東大震災により全てが焼失してしまった。
本日の資料として配布した築地居留地の鳥観図コピーは当時を思い起こす唯一の貴重な資料である。講演終了時には活発な質疑が交わされ、その後教会正面で集合写真を撮り、各20名弱の2班に分かれ、居留地歴史MAPを手に居留地内にある碑をめぐる街歩きを行った。
引率・説明は中島 耕二理事と村上 伊作理事が行った。街歩きは終盤小雨が降り始めたが、ほぼ予定通りのコースを周ることが出来た。 参加者:38名
薮 純夫 記 
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水野理事長の挨拶

中島耕二氏

講演参加者

集合写真

街歩き 村上理事

街歩き 中島理事

街歩き

街歩き
研究報告会
・日 時: 2022年 9月24日(土) 14:00~16:00

・場 所: カトリック築地教会 2階
     東京都中央区明石町 5-26

・テーマ: 「築地居留地とタムソン宣教師」
      兼 『タムソン書簡集』出版記念会

・講 師: 中島 耕二
     本会理事、元明治学院大学客員教授、東北大学博士(文学)

・講演聴講: 無料 一般公開 予約不要 どなたでも聴講できます。

築地居留地研究会

タムソン書簡集
定刻となり薮純夫事務局長の司会で研究会をスタート。
今回の研究報告会は、当初9月に予定されていた長崎での全国外国人居留地研究会大会がコロナの流行により、11月に延期となったことから急遽開催が決まったため、中央区報に内容を掲載出来ないことになり一般参加者への周知が足りず、また当日は台風15号の影響で強風・豪雨もあり、参加者は25名と通常の定例報告会にくらべかなり少なかった。広報の重要さは今後の反省点としたい。しかしながら中島先生の講演は熱がこもっており、台風など吹き飛ばさんばかりの内容であった。
講演に先立って本研究会水野雅生理事長から挨拶、及び11月13日開催予定の「中央区まるごとミュージアム」で本研究会主催の「歴史散歩、かつて中央区にあった外国人の街のお話と散歩」、11月19日~20日開催の「第14回外国人居留地研究会 2022全国大会in長崎」および11月27日の定例報告会「ペリー来航と開港地・下田」についての案内説明があり、講演終了時にはあらためて中島先生の編集による『タムソン書簡集』の説明がなされた。

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水野雅生理事長の挨拶
と説明

中央区まるごとミュー
ジアム・ロゴマーク

中島耕二先生の講演
■ 講 演 14:15~15:50
文久3年(1863年)にアメリカ・オハイオ州からプロテスタント・キリスト教宣教師として来日し、横浜滞在を経て明治元年(1869年)から大正3年(1914年)まで足掛け45年間、最も長く築地居留地に住み続け、キリスト教の伝道と共に日本の近代化に尽くしたデビッド・タムソンの生い立ちからその生涯を詳しくそして熱く語っていただいた。
・大鳥圭介、安藤太郎、大槻文彦、田口卯吉らへの英学教授
・新栄教会を始め多くの教会の創立と著名信徒への授洗
・南校(東京大学の前身校)の教師
・明治政府の米欧視察団のコンダクター兼通訳
・切支丹禁制の高札撤去運動
・日本の石油開発事業への助言
・キリスト教による葬儀の自由の実現運動
・ハンセン病院の応援
・日本昔噺(桃太郎、舌切り雀など六話)の英訳
残念なことに上記のようなデビッド・タムソンによる数々の功績は現在、広く一般の知識として広まっておらず、特に残存する画像などは非常に少ないと言われている。
今回、講演により日本の近代化にタムソンが深く関係し、功績を残していることを教えられた参加者たちは新たな感動と理解を深めたものと思われる。
そして講演と共に紹介された中島先生編集による『タムソン書簡集』には、中島先生が実際に情報収集のために訪米された際、入手された未公開の画像なども掲載されており、築地居留地及びデビッド・タムソンの事績を確認する上で非常に有益な書籍であると思われた。
薮 純夫 記 
 
デビッド・タムソンと
夫人子供たち

講演会風景

講演会風景

集合写真
研究報告会
・日時: 2022年 7月30日(土) 14:00~16:00

・場所: カトリック築地教会 2Fホール及び1F聖堂
      東京都中央区明石町 5-26

・テーマ: 「築地居留地と銀座十字屋」
      ~築地居留地で洗礼を受けた4人の創業者たち~

・講 師: 中村 千恵子 ㈱銀座十字屋 取締役会長
      倉田 恭伸  ㈱銀座十字屋 代表取締役社長

・ハープ演奏: 田中 淳子 銀座十字屋ハープ&フルートサロン講師

■ 講 演 14:00 ~15:20
定刻となり薮 純夫事務局長の司会で研究会をスタート。
本報告会は以前から開催準備をしていたが、新型コロナ感染の影響で過去3回にわたり延期を余儀なくされており、今回は何とか開催に及んだことは誠に喜ばしい。
講演に先立って本研究会水野 雅生理事長の挨拶、続いてシーボルト6代目子孫の関口 忠相氏から舞台「シーボルト父子伝~蒼い目のサムライ~」(8月10日~14日於:築地本願寺ブディストホール)の説明があり、主演女優の鳳 恵弥(おおとり えみ)さんの紹介がなされた。
最初に中村 千恵子(株)銀座十字屋取締役会長の挨拶・説明に続き、(株)銀座十字屋代表取締役社長 倉田 恭伸氏により「銀座十字屋 傍流を歩む気質 その原点とこれから」と題してパワーポイントの映写による講演がなされた。
十字屋の開設に深く関与した4人は、原 胤昭(はら たねあき)、鈴木 舎定(すずき いえさだ)、田村 直臣(たむら なおみ)、戸田 欽堂(とだ きんどう)であり、4名とも米国長老派宣教師のカロザースから洗礼を受けた。明治7年の創業から概ね150年を迎える銀座十字屋の歴史について、関連する人名や漢字名等をPCのアプリを使用して発音を聞かせるなど、倉田社長の工夫とわかりやすい軽快な説明により参加者は大いに理解を深めたと感じた。
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中村千恵子
取締役会長

倉田恭伸
代表取締役社長

講演会風景

講演会風景
■ ハープ演奏(田中 淳子先生) 15:30 ~16:00
会場を1階聖堂に移し、カトリック築地教会レオ・シューマカ神父の挨拶のあと、銀座十字屋ハープ&フルートサロンにて講師をされている田中 淳子先生により、6曲の著名な曲の演奏とハープの構造などについて説明がなされた。
まさしく「天上の音楽を表現する楽器」のたとえのとおり、田中先生のテクニックによるハープの音色、それに聖堂の高い天井が生み出すホールトーン効果が加わり、得も言われぬ心地よさが広がり参加者は心を揺さぶられたであろう。予定の6曲が終了した後、参加者の「アンコール!」によりコーヒールンバが追加演奏された。一方、ハープの構造などについても説明がなされたが、47本の弦が3色に色分けされていることや、下部にある7つのペダルを操作することにより、ミとファあるいはシとドのように半音が並び、連音で弾いた時に不協和音とならないように調整ができるメカニズムなど、参加者は演奏終了後実際にハープの近くに集まり興味深く確認していた。
演奏終了後解散の前に教会正面で集合写真を撮影し、本日の研究報告会を終了とした。なお、後日会員からメールで「今でもハープの素晴らしい音色が耳に残っています」という声が寄せられた。

 
ハープ演奏
田中淳子先生

田中淳子先生

ハープの構造を教えて
もらう会員

集合写真
理事会
・日時: 2022年 6月23日(木) 10:30~13:00

・場所: 銀座パウリスタ 2階サロン

研究報告会 「築地あじさい祭り」
・日時: 2022年 5月28日(土) 14:00~16:00

・場所: カトリック築地教会 2F
      東京都中央区明石町 5-26

・テーマ: 「~次世代に伝えたい日本のこころ~
        シーボルトと熊谷五右衛門義比」

・講 師: 中村 麻美 (なかむら まみ)
       画家・挿画家、(資)アトリエ麻美乃絵代表
      元NHKBSニュースキャスター
・ゲストスピーカー: 江口 伊織 (えぐち いおり)
      熊谷五右衛門11代目当主、萩市熊谷美術館理事長

■ 研究報告会 14:00 ~16:00
定刻となり藪純夫事務局長の司会で研究会をスタート。
毎年5月の研究会は「あじさい祭り」と銘打ってシーボルトにまつわるテーマで報告会を開催しているが、今年は画家の中村麻美氏をお招きしてお話を戴くこととした。
講演に先立って本研究会水野理事長の挨拶、続いてシーボルト6代目子孫の関口忠相氏および会場を提供戴いたカトリック築地教会レオ・シューマカ神父からそれぞれご挨拶を戴いた。
加えて去る3月に中島耕二理事が教文館から『タムソン書簡集』を出版し、その著書の紹介が行われた。
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司会の藪純夫事務局長

シーボルト6代目子孫の関口忠相氏

水野理事長と中島理事
(著書出版の紹介)

本日の講師の中村麻美氏は、チラシの略歴にもある通り各方面で活躍されており、画業では日本武道館発行の月刊誌『武道』の表紙絵を2008年から描き続けておられ、大型画集の出版もされている。
本日は、多数の作品の中から「次世代に伝えたい日本のこころ」のテーマに沿って22作品を厳選され、それぞれの作品の制作意図および作品の歴史的背景について、詳しい解説を戴いた。教科書などに出てくる話の他に、あまり知られていない歴史逸話の作品もあって興味深く聴き入った。
同氏はテレビ放送でキャスターをされていたことから、話が明快でテンポも良く、さすがプロと感じさせられた。
 
講師の中村麻美氏

中村麻美氏の自己紹介

講演のレジメと熊谷家のこと
 
作品説明 「熊谷五右衛門義比
とシーボルトのピアノ」

作品説明 「鉢の木」

講演に聞き入る参加者

講演の半ばに「あじさい祭り」のテーマに相応しい、「熊谷五右衛門義比とシーボルトのピアノ」について、熊谷家11代目で熊谷美術館理事長の江口伊織氏から「ピアノ」の由来について解説を戴いた。シーボルトと長州藩萩の豪商の熊谷家とは中々結びつかなかったが、熊谷家4代目の義比が蘭学に関心を寄せ、シーボルトの私塾鳴滝塾長であった岡研介を支援した関係で、シーボルトと知己を得て彼の帰国前(1828年)にピアノを譲り受けたという経緯を教えられ、なるほどと納得がいった。
このシーボルトゆかりのピアノは、1955年の調査で日本最古のピアノであることが立証され、現在も現役としてコンサートで奏でられ200年前の音色で現代人を魅了し続けている。

江口伊織氏

江口伊織氏

中村麻美氏 ピアノの説明

中村麻美氏の画集

礼拝堂正面で集合記念写真

こうした説明を聞いて、改めて中村氏の「「熊谷五右衛門義比とシーボルトのピアノ」の作品を観ると、当時の憧憬が浮かんできてより親しみを覚えさせられた。
今回の講演によって「日本最古のピアノ」がシーボルトにつながることを知って、益々シーボルトの日本に残した事績の深さを知らされることになった。講演の終わりに、中村麻美氏および江口伊織氏に参加者から惜しみない拍手が送られた。
従来、例会では講演後旧居留地ミニツアーおよび講演者との懇親茶話会を催していたが、コロナ流行下しばらく中止とし、今回もまだコロナ収束に至っていないことから、これらのプログラムをスキップした。
解散の前に教会堂正面で集合記念写真を撮って、本日の研究報告会を終了とした。

研究報告会
・日時: 2022年 3月26日(土) 14:00~16:00

・場所: カトリック築地教会 2F
      東京都中央区明石町 5-26

・テーマ: 「明治大正期の女子教育者・櫻井ちか と ガントレット恒
      -櫻井女学校(女子学院の前身) や櫻井女塾に関連して-」

・講 師: 遠藤 由紀子(えんどう ゆきこ)
      博士(学術)、昭和女子大学歴史文化学科非常勤講師、
      女性文化研究所研究員


■ 研究報告会 14:00 ~16:00
2022年3月26日の定例研究報告会(講演)は、3月21日にまん延防止重点措置が解除されての開催であったものの、念には念を入れ万全なコロナ感染予防対策を敷いて行った。
  薮・新事務局長の司会で、冒頭水野理事長の挨拶があり、今回の講演者・昭和女子大学女性文化研究所研究員(歴史文化学科所属)の遠藤由紀子先生の紹介と今回の講演のテーマに掲げられた明治大正期の女子教育者「櫻井ちか」の曾孫にあたる倉辻明男さんの紹介がなされた。倉辻さんは、長年聖路加国際病院にお勤めになった方で、当研究会の薮事務局長の2年先輩にあたり、現在は聖アンドレ教会(港区芝公園)にてご活躍中との事。
  今回の講演テーマは「明治大正期の女子教育者櫻井ちかとガントレット恒―櫻井女学校(女子学院の前身)や櫻井女塾に関してー」であった。12ページに及ぶ詳細かつ系統だったレジュメと資料が配布され、講演内容を理解するのに大いに役立った。  
  櫻井ちか、一般的にはあまり知られていない明治大正期の女子教育者、いやもっと知られ評価されてしかるべき女子教育者だったことを今回の講演から感じさせられた。 
  明治5年、幕臣の娘であったちかは17歳で結婚。結婚まもなく夫櫻井昭悳(海軍士官)の理解を得て、学校に寄宿して英語を学ぶことに。明治7年に新栄教会のタムソンから洗礼を受ける。横浜の「共立女学校」(現、横濱共立学園)で学ぶと、明治9年に「私学開業願」を文部省に提出し、日本人による最初のキリスト教主義の女学校「櫻井女校」(櫻井女学校)を設立した。明治11年には山田恒(築地で音楽の才能が芽吹いた山田耕筰の姉、のちのガントレット恒)が数え6歳で入学している。実はこの櫻井女学校は、現在の「女子学院」源流の一つである。築地居留地には「女子学院発祥の碑」がある。櫻井女学校には、同年、全員通学生の「貧学校」を併設、さらに日本初の私立幼稚園「櫻井女学校付属幼稚園」も創立し幼児教育も展開した。この頃、一人娘となるふきを養女にしている。
  明治14年、ちかは、キリスト教伝道師となった夫と2歳になったふきと共に函館へ行くことになり、櫻井女学校の運営を矢島楫子(熊本四賢婦人のひとり)に委託、その後、函館(函館相生教会創立)・高知・愛知(大洲教会創立)・福井と各地を巡った。この間ちかは、函館師範学校女子部で教鞭を執り、「大阪一致女学校」(現、大阪女学院)の創立にも奔走している。
  そしてふきが、母の母校である共立女学校に入学し、寄宿舎生活を送り始めたこともあり、ちか自身は、明治26年、明治29年、明治40年の3回に分け、合計4年間アメリカに遊学した。
  ちかは、明治31年(ちか43歳)、文京区本郷向か丘彌生町三番地の自宅に女子寄宿舎を併設した「櫻井女塾」を創立する(津田塾創立⇒明治33年)。当時、明治学院2代総裁であった井深梶之助も教えに来ている。女子学院で教える梶之助の妻せきが、ちかの同窓生で懇意であった。その後、大正2年に東京音楽学校(現、東京藝術大学)を卒業したふき(ジャーナリスト倉辻明義(筆名倉辻白蛇)と結婚)、また大正5年に教え子だったガントレット恒も同校の教師に。講義科目は英語が専門ではあるが、和漢文、裁縫・編み物やピアノをはじめ、割烹、西洋料理もあった。
  ちかは、西洋料理や家事の効率化を図る欧米文化を知り、その知識を共有することで、日本の家庭改良を啓発した。明治大正期の女性雑誌を調べると、ちかは当時著名な「西洋料理研究家」であり、レシピ本を6冊も出版していた。岡本かの子(岡本太郎母)や人気エッセイストなど、バラエティ豊かな生徒が学んでいた。この頃、「女子の英語は津田か櫻井か」とまで世の信用を博していた。
  しかし、ちかの死後、櫻井女塾(櫻井女子英学塾と改称)は、戦前の英語教育排撃の煽りを受け、昭和16年に日本女子高等学院(現、昭和女子大学)英文科に合併され、今日に継承されている。櫻井ちかは、内面的支柱をキリスト教信仰に持ち、女子教育に強い信念を持ち、教育に一生をささげた女性だった。
  ちなみに、櫻井ちかの教え子山田恒(山田耕筰の姉)は、明治31年に英国人の教師エドワード・ガントレットと結婚しガントレット恒となった。日本で最初の法的手続きをした国際結婚を果たしていた。結婚の翌年、岡山に移住。岡山在住中に13歳年下の弟の山田耕筰を引き取り、面倒見ている。この時耕筰は、姉の夫エドワードから西洋音楽の手ほどきを受けており、この刺激が耕筰のドイツ留学へとつながる。
  大正初期に上京した恒は、櫻井女塾をはじめ、東京女子大学や自由学園で教鞭を執った。そして、日本基督教婦人矯風会(婦人更生、廃娼運動)、女性参政権運動、平和活動に貢献。久布白落実、守屋東と共に三羽烏と呼ばれた。昭和21年には矯風会会頭に就任、また日本婦人平和協会を発足している。
  おわりに「明治・大正期に生きた女性は・・・いつも常に向上心を持ち、人の役に立とうと、自分を常に研鑽し、律している。」というメッセージでもって講演が締めくくられた。明治をグローバルに颯爽に生きた女性から学ぶことはとても多い。
  ちかに関する学術論文があるので、読みたい方は事務局まで。
  また、遠藤先生は現在、会津藩家老山川家の女性に関する本を執筆中(『会津藩家老山川家の明治-山川二葉・山川操・大山捨松とその姉妹たち-』(仮)で、5月頃に発売予定との事です。楽しみにしてます。

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水野理事長挨拶

倉辻明男さんご挨拶

遠藤由紀子先生(1)
 
遠藤由紀子先生(2)

レジュメ&資料

櫻井ちか肖像
 
倉辻ふき女史(中央手前)

会場風景

参加者との懇親

集合記念写真

遠藤先生と倉辻さんご夫妻

倉辻明男さんと記念写真
研究報告会
※ 2022年 1月29日(土)の研究報告会は再延期します。
研究報告会は、新型コロナウイルスの感染急拡大を受け残念ですが、再延期する
ことに致します。
「築地居留地と銀座十字屋」の講演開催に関しましては後日改めてご連絡致します。


定期総会
※ 2022年 1月29日(土)の定期総会は書面総会に変更します。
定期総会に関しましては、対面による総会ではなく、前年同様書面による
書面総会に変更して行います。
書面総会に関しては、会員の皆様にはメールもしくは郵便にてご連絡致します。



研究報告会
・日時: 2021年12月4日(土) 14:00~16:00

・場所: カトリック築地教会 2F
      東京都中央区明石町 5-26

・テーマ: 「居留地があった街をたどる」

・講 師: 菅原 健二 (すがわら けんじ)
      東京都市史研究家、司書
      令和2年3月まで京橋図書館地域資料室勤務

■ 研究報告会 14:00 ~16:00
14.:00 定刻通り定例会開始
大島理事の司会により本日のスケジュールと趣旨の説明があり、続いて水野理事長から開会の挨拶がなされた。
  本年度はコロナ禍の影響により、聖路加国際大学の教室が使用できず開催時期も変則的となっている。本日も築地カトリック教会のレオ神父のご厚意により、教会併設の場所を使わせていただくことにより開催することが出来た。
本日ご講演頂く菅原健二先生は京橋図書館の地域資料室に長く勤務されていたご経験を持たれ、中央区をはじめ東京江戸にまつわる貴重なお話が聞けるものと思う。

菅原先生のご講演
 本日は明石町を中心に歴史を掘り下げて話をしたいとの事で、資料はA3で6枚の紙に纏められ、参加者全員に配布された。
幕末に築地居留地が設置される以前の話が中心になるとの事で、資料には貴重な図が多く含まれていた。この図は京橋図書館でいつでも閲覧が可能とのことであった。
1. 都市・江戸の特徴
2. 江戸の町と人口構成
3. 江戸の水運
4. 江戸の経済を支えた湊の具体的施設=物揚場と河岸
5. 鉄砲洲の河岸と町
6. 築地居留地
7. 最後に

  菅原先生が提示された図によると、築地が地名として出るのは遅く、江戸の初期は今ある中央区の多くの場所が「海」であった。約100年かけて江戸が出来上がった経緯についてお話があった。中には普段多くの人が知らないであろうという事があり、例えば海上の島にある「砲台」について、有名なのが「お台場」であるが、浜離宮、越中島、佃島など築地のそばにも「砲台」があった。江戸は物資の大量輸送を目的とした水路(運河)が必須であった。幕末の明石町は本当に小さな地域であった。
  我々が良く知っている地名や川の名前が資料や菅原先生のお話の中に出てきたが、それらが江戸の歴史の中でどういう位置にあり、又、どういう働きをしていたのか、それを教えていただいたことはまさに「目からウロコ」の状態であった。

質疑応答・カトリック築地教会の見学
  本日の参加者は50名の予定であったが、69名と予想以上に多くのご参加があった。
講演終了後、質疑応答がいくつかあり、「中央区文化財MAP」「中央区絵図」、中央エフエムラジオシティによる菅原先生の「江戸の昔の河岸のお話」の紹介があった。
その後、カトリック築地教会の内部を自由見学し、参加者の記念撮影を行い散会となった。
(記:薮純夫理事) 
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水野雅生理事長挨拶

会場風景

菅原健二講師
 
レジメ

参考図

質疑応答
 
教会聖堂見学

集合記念写真
中央区まるごとミュージアム2021に参画
「歴史散歩 かつて中央区にあった外国人の街のお話と散歩」
           
・日時: 2021年11月14日(日)

・場所: カトリック築地教会 2階

・募集:一般の方(会員以外の方) 30名(先着順) 事前予約制

■ 研究報告会 14:00 ~16:00
名所・旧跡、画廊・美術館、水辺など、豊かな文化環境に恵まれている中央区、まち全体がまさに「ミュージアム」になり、中央区の文化的魅力を発見・再認識して頂こうというイベントです。

今年は11月14日(日)に開催されました。 事前募集イベントまた当日イベント合わせて38のイベントが中央区のあちこちで繰り広げられました。

当築地居留地研究会は、歴史散歩「かつて中央区にあった外国人の街のお話と散歩」で参加。今年で4度目になります。

多くの参加申込を受けました。 当初予定していた定員30名を、コロナ収束傾向にあった事もあり、50名に増員し受付。 それでも残念ながらお断りをせざるを得なかった申込者もおられました。 それらの方々には12月4日(土)の定例研究報告会の案内をさせて頂きました。

 集合場所: カトリック築地教会 2階 
 ・14:00 ~ 14:05 挨拶 NPO法人築地居留地研究会 水野雅生理事長
 ・14:05 ~ 14:30 「築地居留地と音楽のお話」 中島耕二理事
 ・14:30 ~ 14:45 「カトリック築地教会の歴史のお話」 レオ・シューマカ神父
 ・14:45 ~ 15:00 「カトリック築地教会案内」 レオ・シューマカ神父、田中洋子さん
 ・15:00 ~ 16:00 「築地居留地史跡案内」 中島耕二理事、村上伊作理事
 ・16:00 散会
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会場:カトリック築地教会

会場風景

水野理事長挨拶
 
講師:中島耕二理事

中島講師:居留地鳥観図

中島講師:納所辨次郎
 
講師:レオ・シューマカ神父

旧・カトリック築地教会

集合記念写真
 
アンジェラスの鐘
 
カトリック築地教会内-1

カトリック築地教会内-2
 
カトリック築地教会前
 
アメリカ公使館跡地

明治学院源流の地
 
居留地跡地散歩
 
雙葉学園源流の地

指紋研究発祥の地

教会内・史跡は2組に分けての案内。 限られた時間の中での史跡案内でしたが、要所要所を案内。 多くの参加者から参加して良かったとの声。
アンケートの一部をご紹介します。
 ・ いつも通る道いろいろな歴史があることわかって大変おもしろかった。
 ・ この企画でとても有意義な時間を過ごさせて頂きました。
 ・ 築地が文化的先進の町だった事に驚きました。
 ・ 区や都の施設を活用しつつもっと拡張して欲しい。 大変興味深かった。

第13回全国外国人居留地研究会 2021 in 新潟
・日時: 2021年9月17日(金)

・場所: 新発田市敬和学園大学

・テーマ: 「居留地とリベラルアーツ教育」


外国人居留地研究会全国大会2021in新潟(新潟居留地研究会主催)は全面ZOOMでの開催となりました。
本来は昨年2020年9月新潟県新発田市の敬和学園大学で行われる予定になっておりましたが、コロナ問題で一年延期。
一年も有ればコロナ問題も十分収束しているだろうとの読みでした。ところが今年になって昨年を大幅に上回るコロナ第五波が到来。
これ以上延期は無理との判断で、今年も対面での開催は諦め、全面ZOOMで9月17日(金)に行われました

・12:00 ~13:00 全国代表者会議
・13:30 ~14:45 開会挨拶
■ 基調講演 「居留地なき開港場・新潟の成立と顛末」
  講師:青柳正俊 国立歴史民俗博物館研究員

・15:00 ~17:40
■ 研究発表 「居留地のリベラルアーツ教育」
  函館、築地、横浜、川口、神戸、長崎、新潟
  築地居留地研究会からは水野雅生理事長が
  「福沢諭吉とアメリカ長老教会宣教師カロザース夫妻」を発表。

ZOOM参加者 全国参加者合計70名(築地からの参加者12名)


全国大会の挨拶、各居留地発表内容(パンフレット)、バスハイク(新潟史跡案内)
および篠笛演奏は次のURLから参照できますのでご覧になって下さい。
     https://drive.google.com/drive/folders/1re_pvlhPLQlX1CFyh67LLNw09Ku_cIU_?usp=sharing


また、敬和学園パーム館の説明(動画)を次のURLからご覧になれます。
    https://www.youtube.com/watch?v=E0WDGYFnsZY


9月17日(金)一日のみでの開催。当初予定されていました大会後の月岡温泉での親睦会、
また翌日のバスハイクも残念ながらキャンセルとなってしまいました。
全国大会のもう一つの楽しみである各居留地の皆さんとの親睦・交流が出来なかった事は非常に残念ですが、コロナ状況から考え致し方無かったと思います。

急遽、対面開催から全面ZOOM開催への変更、新潟居留地研究会山田耕太会長、白砂誠一事務局長はじめ皆様のご尽力に感謝と敬意をはらいたいと思います。

研究報告会
・日時: 2021年7月24日(土) 14:00~16:00

・場所: カトリック築地教会 2F
      東京都中央区明石町 5-26

・テーマ: 「明治期の築地周辺に響いた音楽―延遼館・海軍兵学校・
       新富座と軍楽隊」

・講 師: 塚原康子 東京勢術大学楽理科教授

■ 研究報告会 14:00 ~16:00

水野雅生理事長挨拶

塚原康子講師

講演風景

講演レジメ


講演発表スライド-1

講演発表スライド-2
大島理事の司会により定例研究報告会をスタート。
まず水野理事長から、本来2021年1月の予定であった塚原先生の講演がコロナ禍のため順延となっていたが、今回塚原先生およびカトリック築地教会のレオ・シューマカ神父のご厚意により、感染防止処置を講じて開催できることになった。大勢の参加者を得て皆様に感謝申し上げます、との開会の挨拶が行われた。
続いて塚原先生の講演に入った。

塚原先生は江戸後期から近代に至る音楽史の専門家で、今回の講演では、
1.日本の軍楽隊と欧米の軍楽隊との関係
2.延遼館(旧浜御殿に建てられた外国要人の迎賓館)における音楽
3.海軍軍楽隊屯所の変遷
4.新富座での陸海軍軍楽隊の演奏についての各項目ごとにパワーポイントによる画像および貴重な音声によって、丁寧かつ分かり易く説明された。 特に音声は興味く聴くことができた。
従来、日本人と西洋音楽との最初の出会いは、嘉永6年(1853)のペリー艦隊軍楽隊による演奏と覚えてきたが、それより10年以上も前の弘化元年(1844)に長崎来航のオランダ艦隊パレンバン号軍楽隊による演奏が嚆矢で、佐賀藩主の鍋島直正も聞いたことを知り大いに啓発を受けた。

軍楽隊に続いて浜御殿(現在の浜離宮)延遼館における国賓接遇と音楽が紹介され、明治5(1872)年のロシア皇子アレクセイ大公接遇時には、早くも自前の海軍軍楽隊によってフェントン作曲<君が代>とロシア国歌が演奏されたとのことで、日本人による西洋音楽の吸収の早さに感心させられた。
さらに海軍兵学校・海軍大学および居留地隣接の旧新島原遊郭のあとに建てられた新富座においても陸海軍軍楽隊の演奏が行われていたことを紹介戴いた。

最後に先生は築地居留地近辺は讃美歌に加え、軍楽隊による西洋音楽の故地であるとして講演を終えられた。
音楽がテーマであっただけに、先生の軽快かつ重厚なテンポの良い説明に時間が過ぎるのを忘れるほどであった。

■ 質疑応答、カトリック築地教会の見学
講演終了後、質疑応答が幾つか行われた後、お知らせとして、9月17日(金)、18日(土)の第13回外国人居留地研究会全国大会新潟大会(於:新発田市敬和学園大学)の案内が行われた。
その後、カトリック築地教会の内部を自由見学し、参加者の記念撮影を行って散会となった。


 質疑応答-1

質疑応答-2

参加者記念写真撮影

カトリック築地教会
「江戸のジャンヌ・ルイーズ」
研究報告会 「築地あじさい祭り」
・日時: 2021年5月29日(土) 14:00~16:00

・場所: カトリック築地教会 2F
      東京都中央区明石町 5-26

・テーマ: 『シーボルトと日本の植物』

・講 師: 加藤 僖重(かとう のぶしげ)
      獨協大学名誉教授(言語文化学科)、牧野標本館客員研究員
      東京都立大学理学研究科(博士課程)理学博士

■ 研究報告会 14:00 ~16:00

水野雅生理事長挨拶

シーボルト6代目子孫関口忠相氏と女優鳳恵弥さん

加藤僖重講師

講演レジメ 「シーボルトと
日本の植物」


あじさいとオタクサ標本

講演風景
水野理事長から「あじさいまつり」開会の挨拶、続いてシーボルト6代目子孫の関口忠相氏と女優の鳳恵弥さんからご挨拶を戴いた。
今回も3月と同様コロナ禍が収まらない中、万全の予防処置を講じての定例報告会開催となった。会場を提供戴いたカトリック築地教会のレオ・シューマカ神父および多くの参加者各位に感謝申し上げる。

本研究会では毎年五月に「あじさいまつり」と銘打ってシーボルトの事績を辿っているが、今年は「植物とシーボルト」という切り口で加藤先生に講演を戴いた。
先生はここ30年以上にわたってオランダ・ライデン市にある国立植物学標本館、ドイツ・ミュンヘン市のバイエルン州立博物館、東京都立大学の牧野標本館および東京大学総合科学博物館等でシーボルトが在日中に集めた植物標本を調査・研究されているが、「これらの標本を観るごとに植物を通しての日蘭独さらには日欧の確かな文化交流を実感する」と述べられた。
シーボルトは在日中、日本のあらゆるものに関心を抱き、本国に夥しい数の現品を持ち込んだが、その中の「植物」だけを取り上げても、極めて専門性が高かった。
例えば生きた植物は長旅で枯れてしまうので、一旦ジャワ島(当時オランダの植民地)高地に移殖して休養を与えてから欧州に運ぶと言った工夫をし、その他は押し葉、押し花にして送りその数は数百種に及んだという。
また、コレクションは自身、オランダ人助手および日本人の門弟もその製作を手伝ったという。これはやってみせるという教育であった。
本日の講演によってシーボルトのさらなる超人性を知ることが出来た。

加藤先生の諄々と説明される姿は、どこかシーボルトが大事に一枚ずつ押し葉や押し花を製作しているかのようであった。


■ 旧居留地ミニツアーとあかつき公園シーボルト胸像見学 16:30 ~17:30
講演終了後、カトリック築地教会の内部を見学し、その後参加者記念撮影、旧居留地のミニツアーを行い、最後にあかつき公園に設置されているシーボルト胸像の見学と加藤先生の解説を伺って解散とした。
天気も良く聖路加国際大学キャンパスやあかつき公園に咲くあじさいを愛でることができた。


参加者記念写真

中島耕二理事居留地説明

藪純夫理事
トイスラー記念館説明

水野雅生理事長慶応義塾発祥
  の碑説明

加藤僖重講師シーボルト胸像前
での解説
研究報告会
・日時: 2021年3月27日(土) 14:00~16:00

・場所: カトリック築地教会 2F
      東京都中央区明石町 5-26

・テーマ: 『長崎と築地活版印刷所』

・講 師: 平井 靖人 (ひらい やすひと)
      長崎唐通事 平井家子孫13代目
      東京都日本中国友好協会 理事 、 皇宮警察桐栄会 会員

■ 研究報告会 ・ 質疑応答

カトリック築地教会(左)
聖ヨゼフ幼稚園旧舎(右)

水野雅生理事長挨拶

平井靖人講師

報告会資料

報告会風景


質疑応答・懇親 1

質疑応答・懇親 2

記念写真
今年に入りコロナ問題でまず1月定例研究報告会が延期となり、また3月度の定例会開催も危ぶまれていましたが、なんとか無事開催に漕ぎつける事が出来ました。
又この度は会場探しで苦慮する中、カトリック築地教会が隣接する聖ヨゼフ幼稚園・旧舎2階の利用を快諾して頂いての開催でした。
会場提供して頂いたレオ・シューマカ神父様に感謝致します。 コロナ禍の中52名の参加。

当研究会水野雅生理事長の開会挨拶の中で、「実は私は聖ヨゼフ幼稚園(1924~2008)の卒園生の一人です。ただ卒園時は戦争になり一旦休園になった為、卒園出来ませんでした。 卒園状を頂いたのは息子の卒園式の時でした。つまり私は息子と一緒に聖ヨゼフ幼稚園を卒園したわけです」と話され、聴講の方々の笑いを誘っておられたと同時に歴史を感じさせるお話でした。

さて、今回の研究報告は久しぶりに会員による報告・講演。平井靖人講師(中央区在住)は、実は長崎唐通事平井家の13代目子孫にあたります。
平井家歴代通事のなかでも明治政府になり単なる通事(通弁)に留まらず有能な官僚、外交官として活躍した10代目子孫平井希昌(義十郎)と、さらに長崎、築地活版製造所との関連についての研究・報告。

長崎における唐通事は1604年に在留明人に唐通事を任じたのが初めとされていて、以後日本語の出来る在留中国人とその子孫が原則として任じられる世襲制でした。ただその中でも平井家は日本人の唐通事の家系。唐通事の仕事は単に取引の通弁に留まらず、宗門改、績荷帳、風説書の翻訳・上申、来航者の管理、唐人屋敷の管理等の仕事も兼ねていた。

平井義十郎(1839年生まれ)は、唐通事であるものの幕府の命令で1858年に英国船乗組の中国人から英語を学ぶ。義十郎は24歳時の1862年に、後に「近代活版印刷の父」と言われる本木昌造と後に築地活版製造所を立ち上げた平野冨二が当時勤めていた長崎製鉄所の通弁業務に命じられます。 この時義十郎は本木昌造と平野冨二と出会ったと推測。

そして1863年(25歳時)に幕府の士籍になり、長崎奉行支配定役格、調役並格通弁頭取に進み通事としての最高位に就く。1868年(慶応4年)には長崎裁判所の通弁御用頭として「万国公法」を訳す。義十郎は語学の天才的才能を持っていた人物だったと思われます。
明治3年、義十郎は明治新政府より民部省への出省を命じられ上京。義十郎の名前も希昌(ユキマサ)と改め、明治政府の表舞台の一員となります。翌明治4年外務省に転任。明治6年には外務卿副島種臣全権大使の二等書記官として清国へ随行。また同年イタリー国皇甥が明治天皇と共に観兵式をご観覧の時、希昌は通訳を命じられ観兵式に陪席。 これ以来希昌は亡くなるまで明治天皇の国賓の通訳を務める事に。

その後、単に通訳としてではなく、外交官として活躍。その功績に対し国内外から多くの勲章が授与される。もう一つ希昌の外交官としての活躍を裏付ける伊藤博文、副島種臣、山田顕義から希昌に宛てられた手紙も紹介される。
明治19年賞勲局書記官に任ぜられ、勲章制度整備に寄与します。
明治26年(55歳)退官。その後米国駐在弁理公使に任ぜられますが、待命期間中明治29年3月に当時の最高の医学陣の手当空しく死亡(58歳)。
葬儀の大喪始末記には多くの明治の元勲・政府関係者の名前が並んでいます。最後に同始末書に名前を連ねる長崎出身者および築地活版所関係者の紹介がなされました。

研究報告後、懇親も兼ねた質疑応答。今回の報告会には、平井講師の関係で東京都日本中国友好協会の方々も参加され, 中国の異なる地域民族の話を聞かせて頂くなど有意義な時間でした。

■ レオ神父の説明

レオ神父説明 1


バラとユリのレリーフ

レオ神父説明 2

聖堂内部
レオ神父によるカトリック築地教会の説明
報告会終了後レオ神父お忙しい中時間を作って頂き、カトリック築地教会の歴史について説明して頂いた。
カトリック築地教会は明治7年に居留地の35・36番(現在地)を借り受け、明治11年に最初の聖堂を建立。
最初の聖堂は大正12年9月1日の関東大震災で聖堂が焼失・倒壊。現在の聖堂は昭和2年4月10日に献堂された建物で、古代ギリシャのドーリア式神殿を忠実に模して木造モルタル造にて建設されている。
東京都選定歴史的建造物及び中央区の文化財に選定されています。一昨年より一年余りかけた耐震補強工事は昨年12月に完了。
レオ神父には改めてカトリック築地教会についてのご講演をお願い出来ればと思います。
また新装聖堂、まだご覧になっておられない方、時間がありましたら是非ご覧になって下さい。

定期総会/研究報告会
・2021年1月29日(金) 定期総会(書面総会)

今年度は、当初1月23日に定期総会の開催を予定しておりましたが、コロナ緊急事態宣言期間と重なり中止と致しました。特殊な状況下にあり、その代概としまして書面総会とし、書面にて決議を取らさせて頂く事としました。
会員の皆様には、事前に総会議案をメールもしくは郵送にて送付し、議案審議して頂き、その結果・決議票を同様な方法にて返送して頂く形を取りました。

1月29日(金)に書面総会(議決集計)を開催。開催にあたり、公正を期するため最小出席必要者として水野雅生理事長、大島房太郎理事(事務局)、松井信勝監事、鏑木純子監事の4名が出席。まず最初に2020年度の監査を松正勝監事および鏑木純子監事が行う。
その後会員皆様から返送して頂きました議決を集計。
社員 (議決権)総数69 (法 人会員 7社、個人会員62名) に対し書面議決行使数 38。
集計結果、議決権の半数以上の38の賛成票・委任票をもって全議案が可決されましたことを
ご報告致します。

・2021年1月 研究報告会 延期
東京芸術大学楽理科・塚原康子教授に「明治期の築地周辺 響いた音楽 ―延遼館・海軍兵学校・新富座と軍楽隊」というテーマでご講演をお願いしておりましたが、残念ながら延期となりました。


研究報告会
・日時: 2020年11月28日(土) 14:00~16:00
・場所: 日本印刷会館 2F会議室
      東京都中央区新富 1-16-8

・テーマ: 人類のコミュニケーションの大革命
      『活字が築地に来るまで ~パート2~』

・講 師: 水野 雅生 (みずの まさお)
      ミズノプリテック株式会社 会長、ミズノプリンティングミュージアム 館長
      NPO法人築地居留地研究会 理事長、ミュンヘンアカデミー工芸卒
      著 書: 『今、蘇る文字と印刷の歴史』 (雄松堂出版)

■ 研究報告会 14:00 ~16:00

山本泰人中央区長(左)

講演題目

水野雅生講師

講演風景

ミズノプリンティングミュージアム
新パンフレット



『学問のススメ』 復刻版

展示資料の説明を聞く山本区長

資料に見入る参加者

水野理事長による印刷実演のビデオをご覧いただけます。
例のごとく大島理事・事務局長の司会により定時に開会された。
まず最初に水野理事長からコロナ禍のため定例報告会は今年1月を最後に開催出来ずに来たが、今回感染予防対策を十分行った上で開催することにした、こうした中、多くの参加者を得て感謝申し上げたいとの挨拶が行われた。また、この10か月余りの間に当会理事の岡野俊氏、会員の関口忠志氏、新関和夫氏がご逝去され、出席者一同黙祷を捧げご冥福をお祈りした。

続いて、お忙しい中ご出席を戴いた山本泰人中央区長から、「中央区は日本橋や銀座といった江戸時代から続く日本の金融や商業の中心地であるとともに、かつて築地居留地があり明治以降の近代日本における西洋文化の発祥の地でもあった。しかし、このことは十分知らされていない。ついては今後中央区として明治以降の文化的価値を再評価し、より一層発信していきたい」との心強いご挨拶を戴いた。

報告会は水野理事長が講師として登場。人類の三大発明として①言語の発明、②文字の発明、そして③印刷技術の発明を挙げ、日本における最古の活字印刷物が『日本書紀』であることを説明し、その後、自身のドイツ、ミュンヘン・アカデミー工芸留学の経験を踏まえ、グーテンベルグによる印刷機の発明過程をわかり易く紹介され、そのグーテンベルクが1440年に印刷した聖書をロシアのペテルブルクの図書館で見た福澤諭吉に話を展開させていった。
福澤の女性解放や身分制度の打破の主張など優れた先見性を指摘し、特に『学問のススメ』の出版を高く評価した。ちなみにミズノプリテックは『学問のススメ』の復刻版を出版している。この書は未だにオリジナル版がどこで印刷されたかは現在も不明とのことであった。
話は料紙(被印刷体)に関しエジプトのパピルス、その後の皮革、そして紙に至り、又日本の印刷技術の祖、本木昌造およびその後継者で築地明朝体の活字を発明した平野冨二へと印刷技術に関する古今東西の話が縦横無尽に語られた。そしてミズノプリンティングミュージアムのコレクションは、ミズノプリテックの先代社長(水野理事長の尊父)が自由に資金を使うことを容認してくれたお陰で実現できたとの秘話も披露された。
人類第4の大発明はインターネットと話され、70分を超える講演であったが、水野講師の泉の如く湧き出る博識にあっという間に時間が過ぎたように感じられた。

■ 質疑応答・懇親会

大島理事からの質問

懇親会での初参加者挨拶
通常は、研究報告会のあと記念撮影、旧居留地のミニ・ツアーそして茶話会というプログラム構成を取っていたが、今回は報告会をそのまま延長して質疑・応答および懇親会に入った。懇親会では恒例の初参加者からご挨拶を戴き、次回研究会での再会を約して閉会とした。

今後、コロナ流行がどうなるか予断を許さないが、定例研究報告会は予防措置を十分取りながら実施して行くこととしている。

中央区まるごとミュージアムに参画
Japanese        English 
・日時: 2020年11月8日(日)

  名所・旧跡、画廊・美術館、水辺など、豊かな文化環境に恵まれている中央区は、まち全体が、まさに「ミュージアム」です。
毎年11月初旬の一日「中央区まるごとミュージアム」と題し中央区のあちこちで色んなイベントが企画されています。

当研究会は、街歩きツアー「近代文化の原点・築地居留地史跡を散策しましょう!」
で参加。

・10:00 ~ 12:00 日本語での案内
・13:00 ~ 15:00 英語での案内

・案内者: 村上伊作 (NPO法人築地居留地研究会理事)

2020年11月8日(日)「中央区まるごとミュージアム」が開催されました。
この企画は中央区と中央区文化・国際交流振興会の共済による、中央区を訪れるすべての方々に中央区の文化的魅力を発見・再認識して頂こうというものです。

中央区全体がミュージアムになり色々な場所で、色々な団体が参加し色々なイベントが執り行われました。
当築地居留地研究会は2018年度からの参加で3度目になります。
当研究会では、かつてこの中央区(現・明石町一帯)にあった築地外国人居留地の歴史とレガシーを出来るだけ多くの方々に知って頂こうと、居留地跡地の散策案内を企画。
10:00~12:00日本語での案内、13:00~15:00英語での案内を致しました。
それぞれ15名定員に対し、日本語コース参加者16名(当日参加者1名)、英語コース11名(米国人1名+日本人10名)でした。 英語コースに東京ユニオン・チャーチ(現・表参道)の牧師様も参加され、東京で明治5年に築地居留地内で設立された同教会跡地を訪れ感慨深い様子でした。
やはり参加者の半数以上の方々が、「ここに外国人居留地が有った事知りませんでした、今日参加出来て良かったです」とのコメント。
2時間の散策とはいうものの実質1時間半を、ゆっくり歩き、約20ヵ所の跡地で立ち止まり説明。秋晴れの中皆さん心地よく歴史散策を楽しまれた様子でした。

■ 午前: 日本語での案内 10:00~12:00   案内人: 村上伊作 理事

聖路加国際大学正面玄関前

聖路加国際病院旧棟前の石碑
(薮理事説明)

トイスラー記念館

立教学院発祥の碑

指紋研究発祥の碑

暁星学園発祥の地
■ 午後: 英語での案内 13:00~15:00  案内人: 村上伊作 理事

聖路加国際病院旧棟正面玄関前
一瞬マスクをとって記念写真

アメリカ公使館跡石標

海岸女学校(青山学院)発祥の地

雙葉学園発祥の碑

カトリック築地教会

あかつき公園 シーボルト像

英語コースに参加された松田亜由美さんが素敵なショートビデオ 「築地外国人居留地・WALKING-AROUND-THE-TOWN TOUR」 を作って送ってくれました。 ご覧になってください。

全国大会
◆ 第13回 外国人居留地研究会全国大会 in 新潟 (延期)
コロナウイルス感染拡大の第二波到来している中での開催の在り方について、リモート開催の可能性も検討しましたが、新潟での初めての開催という事もあり、新潟を訪れて見聞する意義を第一と考え、同大会開催を一年延期することとなりました。
来年度の同大会開催に関しましては、改めて日程が決まりましたらご案内致します。
研究報告会
◆ 2020年9月度研究報告会 中止(延期)
9月5日(土)開催を予定しておりました研究報告会「築地居留地と銀座十字屋」は、コロナウイルスの収束方向が見られず、皆さん楽しみにされていたのですが、残念ですが延期する事になりました。
再講演の日時に関しましては後日改めましてご案内致します。
研究報告会
◆ 2020年7月度研究報告会 中止(延期)
7月18日(土)開催を予定しておりました東京藝術大学音楽部楽理科塚原康子教授のご講演は、今般のコロナウイルス問題で会場確保が難しく残念ですが一旦中止とさせて頂きます。
塚原先生には2021年1月23日(土)に改めてご講演して頂く事になりました。 ご期待ください。
現時点における今年度の研究報告会開催予定に関しましては「2020年築地居留地研究会・年間スケジュール」欄をご参照ください。
以上よろしくお願い致します。

研究報告会 「築地あじさい祭り」
◆ 2020年5月度研究報告会 中止(延期)
5月23日(日)開催を予定しておりました「築地あじさい祭り」は、コロナウイルスに関する「緊急事態宣言」が全国に拡大された事を受け、残念ですが一旦中止(延期)する事になりました。

研究報告会
◆ 2020年3月度研究報告会 中止(延期)
3月28日の定例研究報告会は、昨今の新型コロナウイルスによる感染・拡大の状況に鑑み、一旦中止(延期)する事になりました。

研究報告会
・日時: 2020年1月18日(土) 14:00~16:00
・場所: 聖路加臨床学術センター 3階 3302号室
      東京都中央区築地3-6-2

・テーマ: 「築地居留地時代のフルベッキ博士」

・報告者: 中島 耕二
       築地居留地研究会理事、元明治学院大学客員教授、東北大学博士(文学)

■2020年1月度総会 13:10~13:50

研究会新年メッセージ

総会議案
当日は風雨が強く荒天のため、総会の開始時間を10分送らせた。規約により水野雅生理事長が議長となり、事務局大島房太郎理事から議決権保有総数72の所、議決権保有者35、委任状10 合計45で過半数を超え総会の成立を宣言。
議案審議に入る前に1990年の当研究会創立時の発起人の一人であり、2008年のNPO法人化に尽力戴いた元理事の石山稔氏が去る1月8日に病気のため79歳で逝去されたので、出席者全員で一分間の黙祷を捧げた。
その後、添付総会議案第1号議案から第4号議案を審議、賛成多数で可決。第5号議案の理事及び監事改選については、理事は前任の岡野峻氏を除いて重任および鏑木純子氏の監事新任が賛成多数で可決された。全議案の審議を終えて総会を終了した。今後2年間、新理事・監事に当研究会の運営をお願いすることとなった。
総会終了後、新理事による互選で水野雅生氏が理事長に再選された。

■ 研究報告会 14:00~16:00

水野雅生理事長

聖路加国際大学
糸魚川順理事長

中島耕二講師

講演風景

報告会レジュメ

参加者記念写真
水野新理事長から開会の挨拶。荒天ながら63名の熱心な参加者があり感謝が述べられた。
続いて、毎回報告会の会場使用を許可戴いている聖路加国際大学の糸魚川順理事長から、お忙しい中お時間を割いて戴きご挨拶を頂戴した。

フルベッキ博士は1830年にオランダに生まれ、22歳でアメリカに移民し土木技師として働いたのち、大病を契機に召命を覚え神学校に入り、卒業と同時にアメリカ・オランダ改革教会から日本派遣宣教師に選ばれて1859年11月に長崎に到着した。日本はまだ切支丹禁制であったため、私塾、幕府および佐賀藩の語学学校で英学教育に携わり、その中で大隈重信や副島種臣らのちに明治新政府で活躍する若者たちに親しく指導する機会を得た。

維新後新政府から招かれ1869年から1877年までお雇いとして勤め、早々に海外使節団(岩倉使節団)派遣の提言書を提出、大学南校(東大の前身)の教頭、左院・元老院の顧問として欧米法律書の翻訳その他新政府のあらゆる文明開化施策に助言を与えた。1877年にお雇い契約終了となり、明治政府からその寄与するところ大として勲三等旭日中綬章を贈られた。
一時帰国後、日本に戻り1879年から1893年まで足掛け15年間築地居留地内、新湊町に居住し、居留地17番の東京一致神学校(明治学院神学部の前身)で教鞭を取りながら、聖書の翻訳、讃美歌の編集、関東のほか九州、四国、信州、北陸、東北の各地方に直接伝道に出張し、各地の教会の形成を助け日本のプロテスタント布教に大きな功績を残した。
築地居留地では妻子をアメリカに住まわせ、東京女子師範学校、立教女学校の教師となった二女のエマと共に住んだ。フルベッキ博士はオランダの国籍を失い、アメリカでも市民権を得られず無国籍であったが、明治政府から日本における国内旅行・居住の特許状を得た。
1894年以降の晩年は赤坂葵町(ホテルオークラの辺り)に住み地方伝道を続けたが、持病の腎臓病、心臓病が悪化、1898年3月心臓麻痺のため召天した。享年68歳。葬儀は芝教会で執り行われ、明治天皇から500円の下賜金および近衛儀仗兵が差し向かれ、遺体は儀仗兵に守られて青山墓地に埋葬された。翌年教え子たちによって大きな墓碑が建てられた。

講師の中島氏は、フルベッキ博士の日本での生涯を語る時、長崎時代およびお雇い時代の活躍に注目が集まるが、彼にとってはその時代は築地居留地時代の伝道活動を豊かにするための助走期間であった」と結論された。
質疑のあと、次回の報告会で講師をされる銀座十字屋会長の中村千恵子氏からご挨拶を戴いた。


■ 講師を囲んでの茶話会

茶話会風景

茶話会風景

二次会(懇親会)
フルベッキ博士の旧居跡などの散策を予定していたが、雨が続いて降っていたため中止し、若干早めに茶話会を開始した。
39名の出席があり、報告会では聞けなかったことなど熱心な質疑が行われ、いつになく盛り上がったが、フルベッキ博士のことになると「フルベッキ群像写真」に関心が集まり、結論の出ない話に時間が取られ残念な思いがした。
最期にいつもの通り、報告会に初参加の方に自己紹介がてら挨拶を戴き散会となった。



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