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■ 午前: 日本語での案内 10:00~12:00 案内人: 村上伊作 理事

聖路加国際大学正面玄関前 |

聖路加国際病院旧棟前の石碑
(薮理事説明) |

トイスラー記念館 |
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立教学院発祥の碑
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指紋研究発祥の碑 |

暁星学園発祥の地 |
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| ■ 午後: 英語での案内 13:00~15:00 案内人: 村上伊作 理事 |

聖路加国際病院旧棟正面玄関前
一瞬マスクをとって記念写真 |

アメリカ公使館跡石標 |

海岸女学校(青山学院)発祥の地 |
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雙葉学園発祥の碑
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カトリック築地教会 |

あかつき公園 シーボルト像 |
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英語コースに参加された松田亜由美さんが素敵なショートビデオ 「築地外国人居留地・WALKING-AROUND-THE-TOWN TOUR」 を作って送ってくれました。
ご覧になってください。
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全国大会 |
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◆ 第13回 外国人居留地研究会全国大会 in 新潟 (延期) |
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コロナウイルス感染拡大の第二波到来している中での開催の在り方について、リモート開催の可能性も検討しましたが、新潟での初めての開催という事もあり、新潟を訪れて見聞する意義を第一と考え、同大会開催を一年延期することとなりました。
来年度の同大会開催に関しましては、改めて日程が決まりましたらご案内致します。
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研究報告会 |
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◆ 2020年9月度研究報告会 中止(延期) |
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9月5日(土)開催を予定しておりました研究報告会「築地居留地と銀座十字屋」は、コロナウイルスの収束方向が見られず、皆さん楽しみにされていたのですが、残念ですが延期する事になりました。
再講演の日時に関しましては後日改めましてご案内致します。
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研究報告会 |
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◆ 2020年7月度研究報告会 中止(延期) |
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7月18日(土)開催を予定しておりました東京藝術大学音楽部楽理科塚原康子教授のご講演は、今般のコロナウイルス問題で会場確保が難しく残念ですが一旦中止とさせて頂きます。
塚原先生には2021年1月23日(土)に改めてご講演して頂く事になりました。 ご期待ください。
現時点における今年度の研究報告会開催予定に関しましては「2020年築地居留地研究会・年間スケジュール」欄をご参照ください。
以上よろしくお願い致します。
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研究報告会 「築地あじさい祭り」 |
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◆ 2020年5月度研究報告会 中止(延期) |
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5月23日(日)開催を予定しておりました「築地あじさい祭り」は、コロナウイルスに関する「緊急事態宣言」が全国に拡大された事を受け、残念ですが一旦中止(延期)する事になりました。
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研究報告会 |
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◆ 2020年3月度研究報告会 中止(延期) |
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3月28日の定例研究報告会は、昨今の新型コロナウイルスによる感染・拡大の状況に鑑み、一旦中止(延期)する事になりました。
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研究報告会 |
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・日時: 2020年1月18日(土) 14:00~16:00
・場所: 聖路加臨床学術センター 3階 3302号室
東京都中央区築地3-6-2
・テーマ: 「築地居留地時代のフルベッキ博士」
・報告者: 中島 耕二
築地居留地研究会理事、元明治学院大学客員教授、東北大学博士(文学)
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| ■2020年1月度総会 13:10~13:50 |

研究会新年メッセージ |

総会議案 |
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当日は風雨が強く荒天のため、総会の開始時間を10分送らせた。規約により水野雅生理事長が議長となり、事務局大島房太郎理事から議決権保有総数72の所、議決権保有者35、委任状10
合計45で過半数を超え総会の成立を宣言。
議案審議に入る前に1990年の当研究会創立時の発起人の一人であり、2008年のNPO法人化に尽力戴いた元理事の石山稔氏が去る1月8日に病気のため79歳で逝去されたので、出席者全員で一分間の黙祷を捧げた。
その後、添付総会議案第1号議案から第4号議案を審議、賛成多数で可決。第5号議案の理事及び監事改選については、理事は前任の岡野峻氏を除いて重任および鏑木純子氏の監事新任が賛成多数で可決された。全議案の審議を終えて総会を終了した。今後2年間、新理事・監事に当研究会の運営をお願いすることとなった。
総会終了後、新理事による互選で水野雅生氏が理事長に再選された。
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■ 研究報告会 14:00~16:00

水野雅生理事長 |

聖路加国際大学
糸魚川順理事長 |

中島耕二講師 |
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講演風景 |

報告会レジュメ |

参加者記念写真 |
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水野新理事長から開会の挨拶。荒天ながら63名の熱心な参加者があり感謝が述べられた。
続いて、毎回報告会の会場使用を許可戴いている聖路加国際大学の糸魚川順理事長から、お忙しい中お時間を割いて戴きご挨拶を頂戴した。
フルベッキ博士は1830年にオランダに生まれ、22歳でアメリカに移民し土木技師として働いたのち、大病を契機に召命を覚え神学校に入り、卒業と同時にアメリカ・オランダ改革教会から日本派遣宣教師に選ばれて1859年11月に長崎に到着した。日本はまだ切支丹禁制であったため、私塾、幕府および佐賀藩の語学学校で英学教育に携わり、その中で大隈重信や副島種臣らのちに明治新政府で活躍する若者たちに親しく指導する機会を得た。
維新後新政府から招かれ1869年から1877年までお雇いとして勤め、早々に海外使節団(岩倉使節団)派遣の提言書を提出、大学南校(東大の前身)の教頭、左院・元老院の顧問として欧米法律書の翻訳その他新政府のあらゆる文明開化施策に助言を与えた。1877年にお雇い契約終了となり、明治政府からその寄与するところ大として勲三等旭日中綬章を贈られた。
一時帰国後、日本に戻り1879年から1893年まで足掛け15年間築地居留地内、新湊町に居住し、居留地17番の東京一致神学校(明治学院神学部の前身)で教鞭を取りながら、聖書の翻訳、讃美歌の編集、関東のほか九州、四国、信州、北陸、東北の各地方に直接伝道に出張し、各地の教会の形成を助け日本のプロテスタント布教に大きな功績を残した。
築地居留地では妻子をアメリカに住まわせ、東京女子師範学校、立教女学校の教師となった二女のエマと共に住んだ。フルベッキ博士はオランダの国籍を失い、アメリカでも市民権を得られず無国籍であったが、明治政府から日本における国内旅行・居住の特許状を得た。
1894年以降の晩年は赤坂葵町(ホテルオークラの辺り)に住み地方伝道を続けたが、持病の腎臓病、心臓病が悪化、1898年3月心臓麻痺のため召天した。享年68歳。葬儀は芝教会で執り行われ、明治天皇から500円の下賜金および近衛儀仗兵が差し向かれ、遺体は儀仗兵に守られて青山墓地に埋葬された。翌年教え子たちによって大きな墓碑が建てられた。
講師の中島氏は、フルベッキ博士の日本での生涯を語る時、長崎時代およびお雇い時代の活躍に注目が集まるが、彼にとってはその時代は築地居留地時代の伝道活動を豊かにするための助走期間であった」と結論された。
質疑のあと、次回の報告会で講師をされる銀座十字屋会長の中村千恵子氏からご挨拶を戴いた。
■ 講師を囲んでの茶話会
フルベッキ博士の旧居跡などの散策を予定していたが、雨が続いて降っていたため中止し、若干早めに茶話会を開始した。
39名の出席があり、報告会では聞けなかったことなど熱心な質疑が行われ、いつになく盛り上がったが、フルベッキ博士のことになると「フルベッキ群像写真」に関心が集まり、結論の出ない話に時間が取られ残念な思いがした。
最期にいつもの通り、報告会に初参加の方に自己紹介がてら挨拶を戴き散会となった。
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