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  研究報告会・イベントスケジュール
研究報告会 「築地あじさい祭り」
・日 時: 2024年 5月18日(土) 14:00~16:00築地居留地研究会

・場 所: 築地本願寺 第二伝道会館

・テーマ: 「シーボルトの江戸滞在と「伊能図」をめぐる事件」

・梶 輝行 氏 横浜薬科大学教授

講演聴講:無料 一般公開 予約不要 どなたでも聴講できます。


2024年 築地居留地研究会・年間スケジュール

 2024年の年間スケジュール表です。
 (2024年3月15日更新)
 <クリックで拡大します>

研究報告会
・日 時: 2024年 3月23日(土) 14:00~16:00築地居留地研究会

・場 所: カトリック築地教会 2階
     東京都中央区明石町 5-26

・テーマ: 「東京のチェコスロヴァキア軍団兵士たち-1918年/大正7年」

・講 師: 長與 進 氏 早稲田大学名誉教授


■ 開催報告はただいま準備中です





2024年度通常総会 / 研究報告会
・日 時: 2024年 1月20日(土) 14:00~16:00築地居留地研究会

・場 所: カトリック築地教会 2階
     東京都中央区明石町 5-26

・テーマ: 「精養軒150年史」

・講 師: 松本 健一郎 氏 (株)精養軒 総務課長

■ NPO法人築地居留地研究会通常総会 13:00~13:40
  大島房太郎理事の司会により、総会出席者定数を満たし総会成立の旨が報告され開会が宣せられた。
議長に理事長の水野雅生氏を選任、以降第1号から第5号議案まで、間に鏑木純子監事による監査報告を挟み、全議案が審議され、賛成多数で承認され総会をつつがなく閉じた。

水野雅生理事長

総会議案



■ 研究報告会 14:00~16:00
  精養軒(築地精養軒・上野精養軒)は今年(2024年)創業152年目を迎える。その歴史は波乱万丈のものであった。
明治維新まもなくの頃東京には本格的な西洋料理店もなく、外国からの要人の接待に不便していた。岩倉具視に仕えていた北村重威が岩倉の支援を受けて明治5年2月26日(旧暦)に皇居前の馬場先門にて精養軒を開業する事になる。ところが開業当日皇居和田倉門にあった旧会津藩中屋敷から出火し大火となり銀座、築地へと燃え広がり、開店したその日に精養軒を消失してしまう。

しかしその悲運にめげず北村はその2か月後の4月には木挽町5丁目に精養軒を移し仮営業を開始している。翌明治6年に築地采女町に移転し本格的な西洋料理店及びホテルとして築地精養軒を始動する事になる。
その後築地精養軒は多くの西洋料理史上の名料理人を輩出し、西洋料理、また西洋文化の指導も行うなど、東京に西洋文化を広めていった。また大正14年から昭和8年まで東京駅駅舎に併設された東京ステーションホテルの営業も請け負うなど多角経営化も図っている。

明治9年4月には上野公園の開園にあわせ、公園内に上野精養軒(支店)を開業。
5月には天皇皇后陛下来臨のもと開園式典が挙行され上野精養軒はレセプション会場となった。明治12年には米国のグラント将軍(のちの18代大統領)来日の際、アメリカ独立103周年記念夜会が上野精養軒で行われた。上野精養軒は年々政府関連のイベントが行わるようになっていき本店を凌ぐ盛況を続けた。

しかし、全て順調に行ったわけでなく、今日までいくつかの大きな試練に直面している。 
一つは大正12年の関東大震災で築地精養軒が全焼し閉鎖し上野精養軒に本店を移すことになる。またその後は第二次世界大戦があり、最近においてはコロナでの極端な営業不振など、一連の試練を乗り越えて今日の精養軒がある。152年の歴史の重さを感じる。

この度は、精養軒総務部松本健一郎氏に当研究会にお越し頂き「精養軒150年史」について110枚ものスライドを用いて講演して頂きました。
改めて我が国における西洋料理店の老舗として、また西洋式ホテルとして精養軒が果たした役割とその功績の大きさを再認識させられる講演であった。
大島 房太郎 記 
<写真クリックで拡大します>  

講演風景

精養軒150年史

築地精養軒

上野精養軒

精養軒の由来

会場

集合写真

 精養軒の詳細「精養軒150年史」と「日本最古の洋食店“精養軒”の舞台裏」(ビデオ)は
 下のバナーから見る事ができます。 ご覧になってください。
             

研究報告会
・日 時: 2023年 11月25日(土) 14:00~16:00築地居留地研究会

・場 所: カトリック築地教会 2階
     東京都中央区明石町 5-26

・Part 1: 「よみがえる明治の西洋レシピ」~築地居留地の今昔物語~
   講師: 東出 りさ 氏 東京大学大学院 情報学環教育部

・Part 2: 「築地居留地の料理人から洋食へ」
   講 師: 長谷川 和子 氏 日東珈琲(株)役員

定刻となり薮純夫事務局長の司会で研究会をスタート。
今回の研究報告会は、築地居留地にまつわる料理についてお二方の女性にご講演をいただいた。お二方共に過去(2017年9月30日)に当研究会でご講演いただいた村上 隆氏の編著書「築地居留地の料理人」の中に書かれた当時の多くのレシピから幾つかの料理を再現されたという経験があり本日の講演をお願いすることになった。
講演に先立って本研究会水野雅生理事長から挨拶と説明があった。

Part1:東出 りさ氏 講演
講演に先立って放映されたVTR
「築地居留地の料理人」なる書籍は明治前期に基督教に入信し宣教師館に料理人として勤務していた野村高治という人物が築地居留地で作られていたと思われる西洋料理のレシピ126点を手帳に書き残していた。
その手帳を野村高治の孫、村上百合子氏が解読し、元新記者で曽孫である村上 隆氏が纏められたものであるとの事。
東出氏が再現された料理
・マヨネーズソース
・サラダ
・人参スープ
・ケジャリー(ほぐした魚の身、炊いた米、パセリ、ゆで卵、カレー粉、バターorクリーム
 などを加えた料理)
・小海老とカレー
・アップルスノウ(リンゴ、卵白、砂糖、水を材料とするクラシックデザート様の料理)
・パンケークス

以上の再現料理をレシピに忠実に作られている場面がDVD動画により放映された。
          (※ 右バナーから動画をご覧頂けます)

再現したレシピの特徴として
・調味料や材料が少なくシンプルな味付け、シンプルであるが
 美味しい。いかに今の私達が贅沢なのか気付く。
・西洋家庭料理。ホテルやレストランで提供される高級料理ではない。
126点のレシピはおもてなしが出来る家庭料理。食卓は交歓の場。レシピ一つ一つに物語やエピソードがある。おいしい物は人と人を結びます。(東出氏資料より)
以上の感想を述べられている


Part2:長谷川 和子氏 講演
長谷川氏配布の講演目次
・日本の肉食
・外交手段としてのフランス料理をベースとしたイギリス料理風料理
・パトロンによる仕出し料理
・大正から昭和にかけての洋食の台頭
・~三大洋食 トンカツ コロッケ カレー~
・洋食は日本料理

長谷川和子氏も娘さんの協力により「築地居留地の料理人」の書籍にあるレシピを基に当時の料理を再現されており、その料理は当研究会作成の「開市150年記念 築地居留地」DVDに動画が収められている。
ご講演は上記の目次にそって進められたが、ともかくその精力的とも思われる講演のされ方に驚いた。約30分間手元の原稿から目をそらさずお話を続けられたのである。誠に失礼ながらご高齢にもかかわらずそのパワーには脱帽せざるを得ないものであった。(参加者 55名)

薮 純夫 記 
<写真クリックで拡大します>   

蘇る明治の西洋レシピVTR
文中のバナーで再生します

煉瓦亭にて
4代目木田浩一郎氏と

煉瓦亭元祖オムライス

煉瓦亭元祖カツレツ

会場風景

質疑をされる参加者

集合写真
中央区まるごとミュージアム
・日 時: 2023年 11月5日(日)
     講 演: 14:00 ~ 15:00
     街歩き: 15:00 ~ 16:30

・場 所: 築地カトリック教会 2階ホール

・テーマ:「歴史散歩、かつて中央区にあった外国人の街のお話と散歩」

・講 師: 中島 耕二
     本研究会理事、元明治学院大学客員教授、東北大学博士(文学)

冒頭、NPO法人築地居留地研究会、水野 雅生理事長の挨拶がなされた。
引き続き中島 耕二氏によりパワーポイントを使って築地居留地の特色について、当時どのような建物が有ったか、どのような職種の人が居たか、そしてどのような文化が日本に影響を与えたか等興味深い講演がなされた。
本日資料として配布された築地居留地鳥瞰図(ガーディナー作 立教学院蔵)と築地居留地の区画・番地を示す図は建物のイメージとその建物がどの番地にあったか説明内容を確認できる貴重な資料であった。

(※以下中島耕二氏のスライドより引用)
〇 築地居留地にあったミッションスクール
 ・新栄女学校(女子学院)
 ・東京一致神学校・築地大学校・東京一致英和学校(明治学院)
 ・海岸女学校(青山女学院・青山学院)
 ・立教女学校(立教女学院)
 ・立教学校(立教学院)
 ・築地童貞学校・女子語学校・高等和仏女学校(雙葉学園)
 ・暁星学校(暁星学園)
 ・東京中学院(関東学院)
 ・女子聖学院(女子聖学院)

〇 ミッションスクール以外の学校
 ・慶応義塾(慶應義塾)
 ・工手学校(工学院)

〇 築地居留地にあった教会
 ・東京ユニオンチャーチ
 ・東京基督公会(新栄教会)
 ・東京第一長老教会(芝教会・巣鴨教会)
 ・築地美以教会(銀座教会)
 ・築地聖ヨゼフ天主堂(カトリック築地教会)※本日の会場
 ・聖パウロ教会
 ・築地福音教会(和泉教会)
 ・聖三一聖堂(東京聖三一教会)
 ・サンモール修道院(雙葉学園内)

〇 築地居留地と日本の近代化
 ・電信 電話創業 横浜居留地と築地居留地間
 ・外国人専用ホテル 築地外国人ホテル館
 ・西洋料理 精養軒
 ・パン創業 チャリ舎のフランスパンとサイダー
 ・活字(築地明朝体) ・印刷 ・造船所
 ・キリスト教会 日本最初の日本人クリスマス祝会
 ・ミッションスクール(初等から高等教育 女子教育)
 ・讃美歌と西洋音楽 
 ・病院 築地ホスピタル 聖路加国際病院
 ・新聞 『日新真事誌』ブラック
 ・指紋研究 フォールズ博士
 ・訓盲院 点字、盲学校

参加者は100年以上前に築地にあった外国人文化とそれがその後の日本に対して与えた影響について興味深く聴講されていた。
講演終了後カトリック築地教会聖堂前で記念写真撮影の後、中島耕二理事班と村上伊作理事班の2班に分かれ「歴史散歩」が行われた。
歴史散歩については途中で参加者から活発な質疑や意見が有ったようで、終了予定時刻を30分以上超過して予定のコースを巡ることが出来た。
終了後中島理事から「参加者から、いろいろ知らないことばかりで、旧築地居留地に興味が湧いたとの声をたくさん聞きました。また、このような講演は次回何時あるのかなど、嬉しい質問もありました。築地外国人ホテル館の再建を期待する参加者が多かったのも印象的でした。」という報告が有り参加者の関心度は非常に高かったと感じられた。
参加者:39名(申込者:49名)
薮 純夫 記 
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講師 中島耕二氏

講演風景1

講演風景2

集合写真

会場入り口掲示

街歩き 村上理事

街歩き 中島理事
第15回外国人居留地研究会2023年全国大会・大阪大会
・日 時: 2023年 9月22日(金)・23日(土)築地居留地研究会

    一日目 9月22日 基調講演 各居留地研究会発表 親睦会
    二日目 9月23日 見学会「中之島~川口居留地クルーズ」

・場 所: 日本聖公会 川口基督教会

・主 催: 川口居留地研究会

・テーマ:「外国人居留地とホテル」

第15回外国人居留地研究会全国大会in大阪は、9月22日(金)と23日(土)の二日間にわたり
川口基督教会にて開催された。
現地(対面)参加とオンライン参加のハイブリッド形式での開催。
総勢70名の参加(築地居留地研究会からは12名の参加)。

一日目・9月22日(金)

12:30~12:40 開会の挨拶: 堀田暁生(川口居留地研究会会長)

12:40~13:20 基調講演: 堀田暁生「川口居留地と自由亭ホテル」

13:20~13:50 スペシャル対談 自由亭ホテルの研究と『朝星夜星』朝井まかてX堀田暁生/
       コーディネーター高田宏
川口居留地研究会堀田暁生会長による開会の挨拶に引き続き、堀田氏により川口居留地のレストラン及びホテル「自由亭」の研究発表・基調講演がなされた。そしてその洋食店「自由亭」を開業した草野丈吉とその家族を描いた小説「朝星夜星」の作者・朝井まかてさんをスペシャルゲストに迎えてのトーク・対談が行われた。

13:50~14:00 川口基督教会の紹介: 柳時京(川口基督教会司祭)

14:00~14:30 礼拝堂自由見学(休憩時間を兼ねる)
各居留地研究会の発表に先立ち、今回の全国大会の会場となった川口基督教会の柳時京司祭より川口教会の歴史また教会内の案内がなされた。
川口基督教教会の歴史は、1869年に米国聖公会宣教師C.M.ウイリアムズ主教が長崎から川口にやってきて翌年の1870年に英語講習所を開校し英語礼拝を開始する事に遡る。
ウイリアムズ司教はその後築地にやってきて現・立教学院・立教女学院を創立。
日本におけるキリスト教の歴史の流れを再認識させられる。
聖堂にはめ込まれた花や幾何学模様のステンドグラスが美しい。

14:30~17:15 各居留地研究会研究発表(報告時間各30分)
  ・函館 倉田有佳 函館の大町築島の居留地に建てられた「ロシアホテル」
  ・新潟 青柳正俊 「ホテル」を育てた新潟の人たち
  ・神戸 谷口義子 神戸居留地のホテル史
  ・長崎 齋藤義朗 先進歯科診療所が置かれた長崎居留地のホテル
  ・築地 松波秀子 築地居留地と築地ホテル館
  **横浜 斎藤多喜夫 ご事情により欠席(開港・開始場を結ぶホテル人たち)
1858年の五カ国条約以後、開港地や開市地にホテルが作られていきます。
それぞれ特色を持つ各居留地に作られたホテルが、どのようなものであったか、欧米人にどのように映ったのか、また日本人がどのように捉えたのか、またそれらがその後日本文化にどのような影響を与えていったのか、等について発表がなされた。

17:30~17:40 閉会の挨拶
2024年度第16回外国人居留地研究会全国大会は函館で開催される事になった旨発表。
テーマおよび日程は追って連絡。

18:00~20:00 懇親会
「北京料理 徐園」にて総勢34名の参加者で各研究会間での親睦を深める。
<写真クリックで拡大します>   

開会の挨拶 堀田暁美
川口居留地研究会会長

基調講演

特別対談

柳時京
川口基督教会司祭

川口基督教会

川口基督教会聖堂

ステンドグラス

倉田有佳
はこだて外国人居留地研究会

青柳正俊
新潟居留地研究会

谷口義子
神戸外国人居留地研究会

齋藤義朗
長崎居留地研究会

松波秀子
築地居留地研究会

懇親会 北京料理 徐園

懇親会

懇親会

懇親会


二日目・9月23日(土)

10:15~11:45 見学会「中之島~川口居留地クルーズ」
中之島西桟橋→ 土佐堀川→ 堂島川→ 木津川→ 道頓堀川
川口基督教会を木津川から見たり、また道頓堀川水門で高さの調整を見学するなど90分の
船旅を堪能。

12:00~13:30 昼食
下船後、道頓堀の「はり重グリル」で築地居留地研究会一行昼食。
食事後現地・自由解散


クルーズ・ルートマップ

クルーズ記念写真
研究報告会
・日 時: 2023年 9月9日(土) 14:00~16:00築地居留地研究会

・場 所: カトリック築地教会 2階
     東京都中央区明石町 5-26

・テーマ: 「築地居留地と築地ホテル館」

・講 師: 松波 秀子(まつなみ ひでこ)
日本建築学会々員。NPO法人歴史建築保存再生研究所 理事。研究分野:近代建築史、歴史的建造物保存修復。愛知県出身。名古屋大学工学部建築学科卒業。同大学院修士課程修了。博物館明治村建築学芸員を経て、清水建設技術研究所に転じ、歴史的建造物の史的調査及び保存復元プロジェクトに従事する傍ら、ガーディナーをはじめとする日本聖公会の建築史的研究等、多くの論文を発表。「田辺淳吉と明治から大正の清水組設計組織の研究」にて、東京大学より博士号を取得。
著作:『日本近代建築家列伝』(鹿島出版会,2017)/『写真集成 近代日本の建築「清水組工事年鑑」全7巻』(監修,解説,ゆまに書房,2011)/『写真集成 近代日本の建築「清水組明治建築写真集」「清水組住宅建築図集」他』(監修,ゆまに書房,2017)/『写真集成 近代日本の建築「清水組彩色設計図集」全4巻』(監修,解説,ゆまに書房,2020)


定刻となり薮純夫事務局長の司会で研究会をスタート。
今回の研究報告会は、日本で初めての本格的洋風ホテルである「築地ホテル館」をテーマに図面・錦絵などを提示しながら分かりやすく、また詳細に元清水建設技術研究所上席研究員の松波 秀子氏に講演していただくことになった。
講演に先立って本研究会水野雅生理事長から挨拶と説明があった。
<写真クリックで拡大します>   

水野 雅生 理事長の挨拶

松波 秀子 氏

今回の定例研究報告会は、約150年前に築地居留地に存在した日本で初めての本格的洋風ホテルである築地ホテル館について松波秀子氏にご講演いただいた。
ご自身は元清水建設技術研究所の上級研究員であり歴史的建造物の研究に非常に明るい方である。配布されたレジュメも詳細に築地ホテル館のことが示されており、当日スクリーンに映写された資料も非常に貴重なものばかりであった。設計は米国人のブリジェンス、建築は二代目清水喜助であるが、正式な図面は残っていないものの錦絵は100を超える数であるという。
当時このホテルの存在が国内でいかにセンセーショナルであったかがうかがえる。そしてこのホテルの狙いは今でいう「インバウンドプロジェクト」であったという説明もホテルの内装外装、全体デザイン及び位置的な条件などから納得できるものであった。
建築後のマネージメントは日本人により実行されていたが、経営的には非常に厳しい状況であったと記録されている。わずか4年で焼失してしまったホテルであるが、このような先進的ホテルが築地居留地にあったという事はしっかり記憶に残し後世に伝えていくべきであると感じた。
講演後の質疑応答で「築地ホテル館は実際にどこに在ったのか」という質問が有り「現在の波除神社から晴海通りにかけてのあたりだろう」という返答となった。
今回は9月とはいえ記録的な猛暑が続く中であったが65名と多くのご参加をいただいた。


東京築地ホテル館之図
清水建設所蔵

講演会築地ホテル館
スクリーン映写資料

講演会風景

講演会風景

集合写真
研究報告会
・日 時: 2023年 7月22日(土) 14:00~16:00築地居留地研究会

・場 所: カトリック築地教会 2階
     東京都中央区明石町 5-26

・テーマ: 「詩人山村暮鳥と築地居留地」

・講 師: 中村 不二夫 (なかむら ふじお)
     1950年横浜市生まれ。神奈川大学卒業。
     詩集に『Mets』(日本詩人クラブ新人賞)
     『コラール』(「地球賞」)など.評論集に『山村暮鳥論』『辻井喬論』
     『廃墟の詩学』(秋谷豊詩鴗賞)など。
     現在月刊詩誌「詩と思想」編集委員.―般社団法人日本時人クラブ会長を経て、
     現在顧間。日本文藝家協会,暮鳥会、中島敦の会各会員。日本聖公会三光教会信徒


定刻となり薮純夫事務局長の司会で研究会をスタート。
今回の研究報告会は、明治・大正期の日本の詩人、児童文学者である。山村暮鳥をテーマに築地居留地との関連を含め分かりやすく、楽しめる構成で、中村不二夫氏に講演していただくことになった。
講演に先立って本研究会水野雅生理事長から挨拶と説明があった。
<写真クリックで拡大します>   

水野 雅生 理事長の挨拶

山村暮鳥

中村 不二夫 氏

今回の定例研究報告会は、ご自身も多くの詩集を執筆されており、暮鳥に関しての論評集なども執筆・研究されている中村不二夫氏にお話しいただいた。冒頭、23分の山村暮鳥の一生をまとめたビデオ(和田義明氏編集)が放映された。これによりまず参加者は山村暮鳥がどのような生涯を送ったのかを理解できたように思われた。

中村氏が持参・配布頂いた資料は多種・大量に及びとても時間内に読破できるものではなかった。中村氏は資料の一部をご説明頂き、残りは家に帰ってじっくりお読みくださいと言われていた。
山村 暮鳥(やまむらぼちょう1884年(明治17年)1月10日 ~ 1924年(大正13年)12月8日)は、明治・大正期の日本の詩人、児童文学者である。本名、土田八九十(つちだ はくじゅう)、旧姓は志村。
複雑で貧しい家庭環境に育ち、1899年に堤ヶ岡尋常小学校(現在の高崎市立堤ヶ岡小学校)の代用教員となる。働きながら前橋の聖マッテア教会の英語夜学校に通う。
1903年、東京府築地の聖三一神学校に入学。聖三一大聖堂は現在の聖路加国際病院西側入り口付近にあり、神学校はその向かい側にあった。山村暮鳥と築地居留地の関係はこの時始まった。
神学校での6年間同じ時期を過ごした須貝止(すがいとどむ)は親友でありライバルでもあった。本日の資料にも須貝止が暮鳥について書いたものが配布されている。
須貝止は成功者であり1912年立教大学教授から1939年聖公会神学院校長、1941年には東京教区主教となり1946年には聖路加国際病院の第7代理事長に就任している。
一方暮鳥は聖三一神学校在学中より詩や短歌の創作をはじめ、前田林外らの雑誌「白百合」に木暮流星の筆名で短歌を発表。卒業後はキリスト教日本聖公会の伝道師として秋田、仙台、水戸などで布教活動に携わる。
1909年、人見東明から「静かな山村の夕暮れの空に飛んでいく鳥」という意味をこめて「山村暮鳥」の筆名をもらう。
1913年7月、萩原朔太郎、室生犀星と、詩、宗教、音楽の研究を目的とする「にんぎょ詩社」を設立。
1914年3月、同社の機関誌「卓上噴水」創刊。
1913年12月、教会の信者や知人達を中心に「新詩研究会」を結成。機関誌「風景」には萩原朔太郎、室生犀星の他、三木露風らが参加。1919年、結核のため伝道師を休職。
1924年12月8日、肺結核に悪性腸結核を併発し、茨城県東茨城郡大洗町の借家「鬼坊裏別荘」で死去、40歳であった。(一部Wikipediaから転載)
研究報告会は中村氏の説明で分かりやすく、時折柔らかい話も交えて進めていただいた。
当日の天候は猛暑であり参加者は少ないだろうという予測もあったが定員50名に迫るご参加を頂いた。

中村氏配布の大量資料

講演会風景

講演会風景

集合写真
研究報告会 「築地あじさい祭り」
・日 時: 2023年 5月13日(土) 14:00~16:00
築地居留地研究会
・場 所: カトリック築地教会 2階
     東京都中央区明石町 5-26

・テーマ: 「シーボルト来航200年記念 ~シーボルトと絆を深めた人々~」

・講 師: 石山 禎一 (いしやま よしかず)
     東海大学元非常勤講師
     日本シーボルト協会幹事 法政大学文学部史学会評議員

定刻となり薮純夫事務局長の司会で研究会をスタート。
今回の研究報告会・あじさい祭りは、今年がシーボルト来航200年の記念に当たることもあり、シーボルト研究に関しては「第一人者」と言われる石山 禎一氏に最新研究から判るシーボルトと絆の深い人々に関するご講演を頂くことになった。
講演に先立って本研究会水野雅生理事長から挨拶と説明があった。
シーボルト子孫の関口忠相氏と、シーボルト父子伝演劇でハインリッヒ役を演じた女優の鳳恵弥さんの紹介があった。
<写真クリックで拡大します>   

水野 雅生 理事長の挨拶

関口 忠相 氏

鳳 恵弥 さん

今回の定例研究報告会は、シーボルト来航200年記念という事もあり、シーボルト研究に最も詳しい石山禎一氏に講演をお願いした。
石山氏は1796年から1866年まで2回の来日を含め、驚愕に値する300通を超える書簡の翻訳から様々な情報について研究をされている。その他ブランデンシュタイン家所蔵の書簡、報告書類、草稿類、日記にまでに調査の幅は広がりシーボルトがいかに多くの人々とかかわりを持ち、いかに膨大な情報を収集してきたかを教えていただいた。
シーボルトの一行が長崎から江戸幕府まで大名行列のような旅をしたことや、ライデン国立植物標本館所蔵のアジサイの標本のメモにある「sonogi そのぎ」の記載、シーボルトが伝えたアジサイの名は「お滝さん」⇒「オタクサ」であるという認識に「そのぎ」という名が加わった。
その他一般的な認識とされている歴史上の事柄が多くの書簡からその実際はこういう事であった、という石山氏の研究は本当に興味深い内容であった。
質疑応答も活発に行われ、シーボルトの娘「イネ」が築地で開設した産院の場所はどこか?等かなり踏み込んだ質問が印象深く感じられた。
当日は雨天であり参加者は少ないだろうという予測もあったが定員50名の所60名を超えるご参加を頂いた。

石山 禎一 氏

石山 禎一 氏

講演会風景

石山 禎一 氏

講演会風景

集合写真

集合写真
研究報告会
・日 時: 2023年 3月25日(土) 14:00~16:00

・場 所: カトリック築地教会 2階
     東京都中央区明石町 5-26

・テーマ: 「築地外国人居留地と食の西洋化」

・講 師: 仲光 克顕
     中央区立郷土資料館総括文化財調査指導員

定刻となり薮純夫事務局長の司会で研究会をスタート。
今回の研究報告会は、中央区郷土資料館総括文化財調査指導員であり、数々の発掘調査を手がけられている仲光克顕氏に築地外国人居留地を含む多くの発掘調査から分かる当時の食生活の西洋化についてご講演をいただくことになった。
講演に先立って本研究会水野雅生理事長から挨拶と説明があった。
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水野雅生 理事長の挨拶

仲光 克顕 氏

今回の定例研究報告会は、今まで建物、人物、文書等を対象とする報告が多かった中、旧築地居留地の発掘調査の結果から、当時の建物の推定、出土した食器、瓶、生活用具、獣骨、貝殻等からその時代の文化及び住人の日々の生活までを調べていくという考古学の視点からの報告で、大いに興味が持たれた。発掘する場所により出土品に特徴があり、築地居留地跡からは食に関する外国人の西洋衛生観念が見られたという。

都市部の発掘調査に関しては、当該地区の再開発などタイミングの問題もあり、既存建物の解体後の更地になる時を見計らって実施する必要があり制約が多い。また明治以降の遺跡調査は法律上難しかったなど、異なる制約もある。
旧築地居留地の発掘調査も区立明石小学校および周辺地区の建て替え時に実施することが出来たレアケースであり、居留地全体の発掘調査が出来た訳ではない。
ともあれ、仲光講師から深い内容を分かり易く説明して戴き、我々が生活している地面の下に歴史を紐解くヒントが眠っているという新たな知識を与えられたことは感謝であった。

また築地居留地時代の食生活に関し、過去に報告のあった「築地居留地の料理人」というテーマからそのレシピを読み解き実際の料理を再現された、本研究会長谷川理事夫人の長谷川和子さんの話、またそのレシピを基に料理の再現をドキュメンタリーとして製作した東京大学大学院東出りささんの紹介も行われた。
他に日本近代史の新刊紹介が教文館 倉澤智子さんからあった。

今回の報告会には興味深いテーマということでご参加いただいた、中央区長の山本泰人氏からご挨拶をいただいた。
参加者は定員50名の所、雨模様にもかかわらず65名と盛況で、質疑応答も活発に行われ参加者の興味が非常に高かったものと思われた。


講演会風景

講演会風景

講演会風景

講演会風景
仲光氏スライドの一部 仲光氏スライドの一部 築地居留地の料理人レシピを基に料理を再現
された長谷川和子 理事夫人
ドキュメンタリーを作成した「築地居留地の料理人」
研究会 東京大学大学院 東出りささん
   YouTube再生は <こちらから>

日本近代史の新刊紹介をする
教文館 倉澤智子さん

講演会に参加頂いた
中央区長 山本泰人氏

集合写真

集合写真
研究報告会
・日 時: 2023年 1月28日(土) 14:00~16:00

・場 所: カトリック築地教会 2階
     東京都中央区明石町 5-26

・テーマ: 「草創期の立教女学校」

・講 師: 伊藤 泰子
     本研究会理事 元立教女学院資料室委員

定刻となり薮純夫事務局長の司会で研究会をスタート。
今回の研究報告会は、本研究会理事であり、元立教女学院資料室委員の伊藤泰子氏にお願いし、草創期の立教女学校(現在の立教女学院)の歴史と職員、生徒の生活などについてご講演をいただくことになった。
講演に先立って本研究会水野雅生理事長から挨拶と説明があった。
<写真クリックで拡大します>   

 伊藤泰子理事

 

アメリカ聖公会初代日本伝道主教、立教創立者、日本聖公会の開祖であるチャニング・ムーア・ウィリアムズは、グリフィスが彼の著書『ミカドズ エンパイア』の中で、アメリカが日本に贈った4人の最高のプレゼントの一人として、G・H・F・フルベッキ、J・C・ヘボン、S・R・ブラウンと共に伝記を著そうとした。
しかしウィリアムズの伝記はかなわなかった。離日の前ウィリアムズは自らの書簡や説教のメモを焼き、弟子たちにそれらの出版を許さなかったからである。何事にも質素倹約で有名であるが、主教の給料のごく一部で生活し、大部分は教会建築、学校運営などに充てた。
アメリカバーモント州リッチモンドで生まれたウィリアムズは、キリスト教の高札が取れる前、27歳の時に上海から長崎に、そして大阪から東京へ。築地居留地内に、立教中学、立教大学、立教女学校を設立。
生涯独身で、主教の職を退いた後も、日本に留まり、日本語の話せる宣教師が必要と考えて全国各地を伝道して回った。1908年79歳の時にひっそりとリッチモンドに帰郷。衰弱した中でも日本語で祈祷する日々を送り、1910年81歳で世を去った。

ウィリアムズの意志により、1877年若山儀一を校主として湯島4丁目綾部藩の九鬼邸で立教女学校の開校届が出された。
初代校長はC・T・ブランシェ―司祭。女性の教育のためには女性の教師が必要と考え、ミス・ピットマンを第2代校長に、第3代校長にミス・リディックを据えた。当時の教育は、女性アメリカ人教師たちによる英語を中心とした欧米の文典だったり歴史だったりした。ミシンを使って洋服を仕立てたり、オーブンを使って料理をしたり、編物なども習っていた。
当時の卒業生たちは、英語は達者で、アメリカの地理なども詳しく知っていたが、日本のことはほとんど知らないという状況だった。これを憂いた日本人聖職者・教師たちが、ウィリアムズ退職後1891年に来日したヘーア臨時主教に、校長を日本人に、せめて教頭だけでも日本人にと要請した。
ヘーア臨時主教によって改革がなされ、第5代校長に清水友輔、教頭に石井亮一を据え、経済的にも独立し、若干のスカラシップと宣教師にかかる費用、校舎の修繕費を除いては、ミッションからの補助は受けなくなった。大変な苦労を背負った小宮珠子は、1902年同志会を設立し卒業生たちなどからの寄付を集めこの難局を乗り切った。1923年9月の関東大震災まで、教会の鐘の音が響く築地居留地で穏やかな教育が行われていた。



講演会風景(1)

講演会風景(2)

講演会風景(3)

講演会風景(4)

参加者から花束を貰う伊藤泰子理事

集合写真
研究報告会
・日 時: 2022年 11月26日(土) 14:00~16:00築地居留地研究会

・場 所: カトリック築地教会 2階
     東京都中央区明石町 5-26

・テーマ: 「ペリー来航と開港地 下田」

・講 師: 尾形 征巳 (おがた まさみ)
     下田開国博物館 館長 下田郷土史研究会事務局長
     南伊豆町史編集委員

定刻となり薮純夫事務局長の司会で研究会をスタート。
今回の研究報告会は、下田開国博物館の館長 尾形 征巳氏をお招きし、ペリー来航と下田開港についてご講演をいただくことになった。
講演に先立って本研究会水野雅生理事長から挨拶と説明があった。
<写真クリックで拡大します>   

水野雅生理事長の挨拶と説明

尾形征巳氏

尾形征巳氏の著書

(講演のポイント)
  ○ 下田の歴史上の位置づけ
  ○ アメリカが日本に開国を求めた理由・ペリーの日本遠征の目的
  ○ そのころの日本と下田の海防
  ○ なぜ下田が日本最初の開港地となったか
  ○ 日米和親条約付録下田条約の交渉
  ○ 欠乏品(薪水食糧の他、反物、漆器、紙、下駄など土産品)の供給・日米貨幣
    の交換比率
  ○ 下田奉行所と開港場としての諸機関・施設
  ○  ペリーの下田評価、下田庶民の対応
  ○  ペリー来航以後-ロシア使節来航・アメリカ総領事ハリス等など

1853年7月8日ペリーが蒸気船2隻を含む4隻で浦賀沖に来航、大統領の親書を渡し翌年の回答を申し入れた。翌1854年2月13日ペリーは再来、1854年3月31日、日米和親条約が締結され下田が開港の運びとなった。その後さまざまな経緯の後諸外国との交流が始まりあらゆる文化、技術などが日本にもたらされることとなった。
尾形氏はその始まりとして下田開港の時期に行われた取り決め、米国側・日本側の対応などについて講演いただいた。
ペリーは日本がほぼ未開の国だと評価していたところ、実際の日本を見て意外と清潔でありアメリカより進んだ点もあると認識を新たにしたという話が印象的であった。下田の住民が外国人を恐れず親しみやすくしたのは下田の風土であるという点では尾形氏の「下田愛」のようなものを感じた。

講演に先立って、尾形氏から館長をつとめる下田開国博物館が今月リニューアルを完了し、新たに映像ホールを設けビジュアルに下田の歴史を紹介するなどバージョンアップしたので、是非訪れて戴きたいとの話があった。
この点参加者の中からも、下田は燃料、水および食料品の供給以外に反物や漆器などの販売が行われ、いわば居留地の産みの親とも言うべき場所であることを知らされ、是非一度訪問したいとの声が多数寄せられた。

講演終了後、活発な質疑応答がなされ、16時に1階の教会入り口で集合写真を撮り解散となった。
尚、今回は東京ベイネットワーク(株)のTVカメラが入り講演会の内容が撮影された。
ケーブルテレビ接続世帯であれば12月4日~10日の間に視聴が可能との事である。


講演会風景(1)

講演会風景(2)

集合写真(1)

集合写真(2)
第14回外国人居留地研究会2022年全国大会・長崎大会
・日 時: 2022年 11月19日(土)・20日(日)築地居留地研究会

   一日目 11月19日 基調講演  各居留地研究会発表
   二日目 11月20日 史跡見学

・場 所: 長崎大学経済学部新館 101教室

・テーマ:「うつりかわる文化と生活様式
      ~居留地、雑居地、そしてわが町~」

第14回外国人居留地研究会2022年全国大会・長崎大会は、コロナ問題で当初の予定より2か月遅れの11月19日(土)と20日(日)の二日間にわたり長崎大学経済学部新館101教室にて開催された。
今回は現地(対面)参加と通信(ZOOM)参加のハイブリッド形式での開催。
今回の大会のテーマは「うつりかわる文化と生活様式~居留地、雑居地、そしてわが町~」で、下記式次第で発表された。

一日目・11月19日(土)
第一部 基調講演 (13:40~14:40)
    ブライアン・バークガフニ
    長崎総合科学大学特任教授 グラバー園名誉園長
   「うつりかわる長崎居留地~居留民子孫が見た交流の軌跡~」

第二部 各居留地研究会発表 (14:45~17:50)
・函館 倉田有佳 「ロシアホテルの元従業員を介して生まれた明治初期の函館パン文化」
・新潟 鈴木孝二 「新潟の洋風文化生活に貢献するクリスチャン実業家大橋正吉の
          信仰生涯と大橋商店の歩み」 
・築地 野口孝一 「築地外国居留地における雑居地に関する資料」
・横浜 斎藤多喜夫「外来と在来の角逐」
・川口 井上邦久 「大阪と中国人」
・神戸 海老良平 「神戸、阪神間と珈琲-うつりかわる文化と生活様式
          ~居留地、雑居地、そしてわが町~-」
・長崎 藤本健太郎 「長崎の貿易商人による同業組合の形成過程について」

パネルディスカッション
ポスターセッション見学会
例年発表後、各居留地研究会の交流の場として、主催者による夕食会が設けられてきましたが、今回はコロナ問題で執り行われませんでした。
築地居留地研究会参加者で夕食は海鮮料理を頂く。
<写真クリックで拡大します>   

姫野順一 長崎大会実行
委員会会長挨拶

ブライアン・バークガフニ氏基調講演

基調講演

築地居留地研究会
野口孝一理事発表

横浜外国人居留地研究会
斎藤多喜夫会長
ZOOM発表


パネルディスカッション

ポスターセッション

夕食・食事会
二日目・11月20日(日)
10:00~11:30 長崎研究会主催 グラバー園見学
11:45~12:30 昼食 四海樓(中華料理)
12:45~14:00 築地研究会会員 唐人屋敷見学
       長崎大学南森茂太先生の案内
14:15~15:30 築地研究会会員 シーボルト記念館見学
       徳永宏館長の説明案内
15:45~17:00 築地研究会会員 出島見学

今回初めてのハイブリッド形式で開催され、全体としては合わせて80名を超える参加者。築地居留地研究会からは、水野雅生理事長をはじめ現地参加者12名、通信参加4名。
基調講演では、日本に残っている資料ではなく、かつて長崎に居留していた外国人の子孫から収集した写真、日記などから当時の様子を知る貴重な資料の紹介と説明がなされた。
また、各地研究会から、基本テーマに沿ったそれぞれの視点からの発表がなされ、それぞれの居留地のうつりかわる文化と生活様式を垣間見ることが出来ました。
発表後、長崎大学経済学部の生徒さんたちによる長崎外国人居留地のポスターでの研究発表もありました。将来彼らの中から外国人居留地研究者が育っていってくれればと願います。
この度は、築地居留地研究会からは、シーボルトの子孫関口忠相氏と長崎唐通事平井家子孫平井靖人氏も参加され、特に2日目の唐人屋敷見学、シーボルト記念館・出島見学はより意義深いものとなった。
全国大会開催に先立ち開かれた全国居留地研究会代表者会議にて、2023年度全国大会は大阪(川口)で開催される事に決定。9月22,23日川口基督教会での開催を予定。
テーマは各研究会が取り組んでいるそれぞれのテーマでの発表を予定。


グラバー園 (1)

グラバー園 (2)

グラバー園・
自然冷蔵庫入口

長崎ちゃんぽん・
四海樓

唐人屋敷・
南森茂太先生

唐人屋敷

シーボルト記念館・
徳永宏館長

シーボルト記念館

出島 (1)

出島 (2)

出島 (3)
中央区まるごとミュージアム
・日 時: 2022年 11月13日(日)
     講 演: 14:00 ~ 15:00
     街歩き: 15:00 ~ 16:00

・場 所: 築地カトリック教会 2階ホール

・テーマ: 「歴史散歩、かつて中央区にあった外国人の街のお話と散歩」

・講 師: 中島 耕二
     本研究会理事、元明治学院大学客員教授、東北大学博士(文学)

NPO法人築地居留地研究会、水野 雅生理事長の挨拶の後、中島氏によりパワーポイントを使って日本各地の居留地が生まれた時代背景、築地居留地の推移及びその特色などについて詳細な講義が行われた。参加者は皆関心をもって熱心に聴講していたのが印象的であった。
築地居留地は海が浅く大型船が入港できず、また狭隘で地代も横浜に比べ割高であった為貿易商人に敬遠され、代わりに宣教師や外交官が多く住み、その為ミッションスクール及び各国の公使館・領事館が多く建てられ、他の居留地とは異なる薫り高い文化の発祥地となった。残念ながらその異国文化の雰囲気があふれる街並みは、1923年の関東大震災により全てが焼失してしまった。
本日の資料として配布した築地居留地の鳥観図コピーは当時を思い起こす唯一の貴重な資料である。講演終了時には活発な質疑が交わされ、その後教会正面で集合写真を撮り、各20名弱の2班に分かれ、居留地歴史MAPを手に居留地内にある碑をめぐる街歩きを行った。
引率・説明は中島 耕二理事と村上 伊作理事が行った。街歩きは終盤小雨が降り始めたが、ほぼ予定通りのコースを周ることが出来た。 参加者:38名
薮 純夫 記 
<写真クリックで拡大します>   

水野理事長の挨拶

中島耕二氏

講演参加者

集合写真

街歩き 村上理事

街歩き 中島理事

街歩き

街歩き
研究報告会
・日 時: 2022年 9月24日(土) 14:00~16:00

・場 所: カトリック築地教会 2階
     東京都中央区明石町 5-26

・テーマ: 「築地居留地とタムソン宣教師」
      兼 『タムソン書簡集』出版記念会

・講 師: 中島 耕二
     本会理事、元明治学院大学客員教授、東北大学博士(文学)

・講演聴講: 無料 一般公開 予約不要 どなたでも聴講できます。

築地居留地研究会

タムソン書簡集
定刻となり薮純夫事務局長の司会で研究会をスタート。
今回の研究報告会は、当初9月に予定されていた長崎での全国外国人居留地研究会大会がコロナの流行により、11月に延期となったことから急遽開催が決まったため、中央区報に内容を掲載出来ないことになり一般参加者への周知が足りず、また当日は台風15号の影響で強風・豪雨もあり、参加者は25名と通常の定例報告会にくらべかなり少なかった。広報の重要さは今後の反省点としたい。しかしながら中島先生の講演は熱がこもっており、台風など吹き飛ばさんばかりの内容であった。
講演に先立って本研究会水野雅生理事長から挨拶、及び11月13日開催予定の「中央区まるごとミュージアム」で本研究会主催の「歴史散歩、かつて中央区にあった外国人の街のお話と散歩」、11月19日~20日開催の「第14回外国人居留地研究会 2022全国大会in長崎」および11月27日の定例報告会「ペリー来航と開港地・下田」についての案内説明があり、講演終了時にはあらためて中島先生の編集による『タムソン書簡集』の説明がなされた。

<写真クリックで拡大します>   

水野雅生理事長の挨拶
と説明

中央区まるごとミュー
ジアム・ロゴマーク

中島耕二先生の講演
■ 講 演 14:15~15:50
文久3年(1863年)にアメリカ・オハイオ州からプロテスタント・キリスト教宣教師として来日し、横浜滞在を経て明治元年(1869年)から大正3年(1914年)まで足掛け45年間、最も長く築地居留地に住み続け、キリスト教の伝道と共に日本の近代化に尽くしたデビッド・タムソンの生い立ちからその生涯を詳しくそして熱く語っていただいた。
・大鳥圭介、安藤太郎、大槻文彦、田口卯吉らへの英学教授
・新栄教会を始め多くの教会の創立と著名信徒への授洗
・南校(東京大学の前身校)の教師
・明治政府の米欧視察団のコンダクター兼通訳
・切支丹禁制の高札撤去運動
・日本の石油開発事業への助言
・キリスト教による葬儀の自由の実現運動
・ハンセン病院の応援
・日本昔噺(桃太郎、舌切り雀など六話)の英訳
残念なことに上記のようなデビッド・タムソンによる数々の功績は現在、広く一般の知識として広まっておらず、特に残存する画像などは非常に少ないと言われている。
今回、講演により日本の近代化にタムソンが深く関係し、功績を残していることを教えられた参加者たちは新たな感動と理解を深めたものと思われる。
そして講演と共に紹介された中島先生編集による『タムソン書簡集』には、中島先生が実際に情報収集のために訪米された際、入手された未公開の画像なども掲載されており、築地居留地及びデビッド・タムソンの事績を確認する上で非常に有益な書籍であると思われた。
薮 純夫 記 
 
デビッド・タムソンと
夫人子供たち

講演会風景

講演会風景

集合写真
研究報告会
・日時: 2022年 7月30日(土) 14:00~16:00

・場所: カトリック築地教会 2Fホール及び1F聖堂
      東京都中央区明石町 5-26

・テーマ: 「築地居留地と銀座十字屋」
      ~築地居留地で洗礼を受けた4人の創業者たち~

・講 師: 中村 千恵子 ㈱銀座十字屋 取締役会長
      倉田 恭伸  ㈱銀座十字屋 代表取締役社長

・ハープ演奏: 田中 淳子 銀座十字屋ハープ&フルートサロン講師

■ 講 演 14:00 ~15:20
定刻となり薮 純夫事務局長の司会で研究会をスタート。
本報告会は以前から開催準備をしていたが、新型コロナ感染の影響で過去3回にわたり延期を余儀なくされており、今回は何とか開催に及んだことは誠に喜ばしい。
講演に先立って本研究会水野 雅生理事長の挨拶、続いてシーボルト6代目子孫の関口 忠相氏から舞台「シーボルト父子伝~蒼い目のサムライ~」(8月10日~14日於:築地本願寺ブディストホール)の説明があり、主演女優の鳳 恵弥(おおとり えみ)さんの紹介がなされた。
最初に中村 千恵子(株)銀座十字屋取締役会長の挨拶・説明に続き、(株)銀座十字屋代表取締役社長 倉田 恭伸氏により「銀座十字屋 傍流を歩む気質 その原点とこれから」と題してパワーポイントの映写による講演がなされた。
十字屋の開設に深く関与した4人は、原 胤昭(はら たねあき)、鈴木 舎定(すずき いえさだ)、田村 直臣(たむら なおみ)、戸田 欽堂(とだ きんどう)であり、4名とも米国長老派宣教師のカロザースから洗礼を受けた。明治7年の創業から概ね150年を迎える銀座十字屋の歴史について、関連する人名や漢字名等をPCのアプリを使用して発音を聞かせるなど、倉田社長の工夫とわかりやすい軽快な説明により参加者は大いに理解を深めたと感じた。
<写真クリックで拡大します>   

中村千恵子
取締役会長

倉田恭伸
代表取締役社長

講演会風景

講演会風景
■ ハープ演奏(田中 淳子先生) 15:30 ~16:00
会場を1階聖堂に移し、カトリック築地教会レオ・シューマカ神父の挨拶のあと、銀座十字屋ハープ&フルートサロンにて講師をされている田中 淳子先生により、6曲の著名な曲の演奏とハープの構造などについて説明がなされた。
まさしく「天上の音楽を表現する楽器」のたとえのとおり、田中先生のテクニックによるハープの音色、それに聖堂の高い天井が生み出すホールトーン効果が加わり、得も言われぬ心地よさが広がり参加者は心を揺さぶられたであろう。予定の6曲が終了した後、参加者の「アンコール!」によりコーヒールンバが追加演奏された。一方、ハープの構造などについても説明がなされたが、47本の弦が3色に色分けされていることや、下部にある7つのペダルを操作することにより、ミとファあるいはシとドのように半音が並び、連音で弾いた時に不協和音とならないように調整ができるメカニズムなど、参加者は演奏終了後実際にハープの近くに集まり興味深く確認していた。
演奏終了後解散の前に教会正面で集合写真を撮影し、本日の研究報告会を終了とした。なお、後日会員からメールで「今でもハープの素晴らしい音色が耳に残っています」という声が寄せられた。

 
ハープ演奏
田中淳子先生

田中淳子先生

ハープの構造を教えて
もらう会員

集合写真
理事会
・日時: 2022年 6月23日(木) 10:30~13:00

・場所: 銀座パウリスタ 2階サロン

研究報告会 「築地あじさい祭り」
・日時: 2022年 5月28日(土) 14:00~16:00

・場所: カトリック築地教会 2F
      東京都中央区明石町 5-26

・テーマ: 「~次世代に伝えたい日本のこころ~
        シーボルトと熊谷五右衛門義比」

・講 師: 中村 麻美 (なかむら まみ)
       画家・挿画家、(資)アトリエ麻美乃絵代表
      元NHKBSニュースキャスター
・ゲストスピーカー: 江口 伊織 (えぐち いおり)
      熊谷五右衛門11代目当主、萩市熊谷美術館理事長

■ 研究報告会 14:00 ~16:00
定刻となり藪純夫事務局長の司会で研究会をスタート。
毎年5月の研究会は「あじさい祭り」と銘打ってシーボルトにまつわるテーマで報告会を開催しているが、今年は画家の中村麻美氏をお招きしてお話を戴くこととした。
講演に先立って本研究会水野理事長の挨拶、続いてシーボルト6代目子孫の関口忠相氏および会場を提供戴いたカトリック築地教会レオ・シューマカ神父からそれぞれご挨拶を戴いた。
加えて去る3月に中島耕二理事が教文館から『タムソン書簡集』を出版し、その著書の紹介が行われた。
<写真クリックで拡大します>    

司会の藪純夫事務局長

シーボルト6代目子孫の関口忠相氏

水野理事長と中島理事
(著書出版の紹介)

本日の講師の中村麻美氏は、チラシの略歴にもある通り各方面で活躍されており、画業では日本武道館発行の月刊誌『武道』の表紙絵を2008年から描き続けておられ、大型画集の出版もされている。
本日は、多数の作品の中から「次世代に伝えたい日本のこころ」のテーマに沿って22作品を厳選され、それぞれの作品の制作意図および作品の歴史的背景について、詳しい解説を戴いた。教科書などに出てくる話の他に、あまり知られていない歴史逸話の作品もあって興味深く聴き入った。
同氏はテレビ放送でキャスターをされていたことから、話が明快でテンポも良く、さすがプロと感じさせられた。
 
講師の中村麻美氏

中村麻美氏の自己紹介

講演のレジメと熊谷家のこと
 
作品説明 「熊谷五右衛門義比
とシーボルトのピアノ」

作品説明 「鉢の木」

講演に聞き入る参加者

講演の半ばに「あじさい祭り」のテーマに相応しい、「熊谷五右衛門義比とシーボルトのピアノ」について、熊谷家11代目で熊谷美術館理事長の江口伊織氏から「ピアノ」の由来について解説を戴いた。シーボルトと長州藩萩の豪商の熊谷家とは中々結びつかなかったが、熊谷家4代目の義比が蘭学に関心を寄せ、シーボルトの私塾鳴滝塾長であった岡研介を支援した関係で、シーボルトと知己を得て彼の帰国前(1828年)にピアノを譲り受けたという経緯を教えられ、なるほどと納得がいった。
このシーボルトゆかりのピアノは、1955年の調査で日本最古のピアノであることが立証され、現在も現役としてコンサートで奏でられ200年前の音色で現代人を魅了し続けている。

江口伊織氏

江口伊織氏

中村麻美氏 ピアノの説明

中村麻美氏の画集

礼拝堂正面で集合記念写真

こうした説明を聞いて、改めて中村氏の「「熊谷五右衛門義比とシーボルトのピアノ」の作品を観ると、当時の憧憬が浮かんできてより親しみを覚えさせられた。
今回の講演によって「日本最古のピアノ」がシーボルトにつながることを知って、益々シーボルトの日本に残した事績の深さを知らされることになった。講演の終わりに、中村麻美氏および江口伊織氏に参加者から惜しみない拍手が送られた。
従来、例会では講演後旧居留地ミニツアーおよび講演者との懇親茶話会を催していたが、コロナ流行下しばらく中止とし、今回もまだコロナ収束に至っていないことから、これらのプログラムをスキップした。
解散の前に教会堂正面で集合記念写真を撮って、本日の研究報告会を終了とした。

研究報告会
・日時: 2022年 3月26日(土) 14:00~16:00

・場所: カトリック築地教会 2F
      東京都中央区明石町 5-26

・テーマ: 「明治大正期の女子教育者・櫻井ちか と ガントレット恒
      -櫻井女学校(女子学院の前身) や櫻井女塾に関連して-」

・講 師: 遠藤 由紀子(えんどう ゆきこ)
      博士(学術)、昭和女子大学歴史文化学科非常勤講師、
      女性文化研究所研究員


■ 研究報告会 14:00 ~16:00
2022年3月26日の定例研究報告会(講演)は、3月21日にまん延防止重点措置が解除されての開催であったものの、念には念を入れ万全なコロナ感染予防対策を敷いて行った。
  薮・新事務局長の司会で、冒頭水野理事長の挨拶があり、今回の講演者・昭和女子大学女性文化研究所研究員(歴史文化学科所属)の遠藤由紀子先生の紹介と今回の講演のテーマに掲げられた明治大正期の女子教育者「櫻井ちか」の曾孫にあたる倉辻明男さんの紹介がなされた。倉辻さんは、長年聖路加国際病院にお勤めになった方で、当研究会の薮事務局長の2年先輩にあたり、現在は聖アンドレ教会(港区芝公園)にてご活躍中との事。
  今回の講演テーマは「明治大正期の女子教育者櫻井ちかとガントレット恒―櫻井女学校(女子学院の前身)や櫻井女塾に関してー」であった。12ページに及ぶ詳細かつ系統だったレジュメと資料が配布され、講演内容を理解するのに大いに役立った。  
  櫻井ちか、一般的にはあまり知られていない明治大正期の女子教育者、いやもっと知られ評価されてしかるべき女子教育者だったことを今回の講演から感じさせられた。 
  明治5年、幕臣の娘であったちかは17歳で結婚。結婚まもなく夫櫻井昭悳(海軍士官)の理解を得て、学校に寄宿して英語を学ぶことに。明治7年に新栄教会のタムソンから洗礼を受ける。横浜の「共立女学校」(現、横濱共立学園)で学ぶと、明治9年に「私学開業願」を文部省に提出し、日本人による最初のキリスト教主義の女学校「櫻井女校」(櫻井女学校)を設立した。明治11年には山田恒(築地で音楽の才能が芽吹いた山田耕筰の姉、のちのガントレット恒)が数え6歳で入学している。実はこの櫻井女学校は、現在の「女子学院」源流の一つである。築地居留地には「女子学院発祥の碑」がある。櫻井女学校には、同年、全員通学生の「貧学校」を併設、さらに日本初の私立幼稚園「櫻井女学校付属幼稚園」も創立し幼児教育も展開した。この頃、一人娘となるふきを養女にしている。
  明治14年、ちかは、キリスト教伝道師となった夫と2歳になったふきと共に函館へ行くことになり、櫻井女学校の運営を矢島楫子(熊本四賢婦人のひとり)に委託、その後、函館(函館相生教会創立)・高知・愛知(大洲教会創立)・福井と各地を巡った。この間ちかは、函館師範学校女子部で教鞭を執り、「大阪一致女学校」(現、大阪女学院)の創立にも奔走している。
  そしてふきが、母の母校である共立女学校に入学し、寄宿舎生活を送り始めたこともあり、ちか自身は、明治26年、明治29年、明治40年の3回に分け、合計4年間アメリカに遊学した。
  ちかは、明治31年(ちか43歳)、文京区本郷向か丘彌生町三番地の自宅に女子寄宿舎を併設した「櫻井女塾」を創立する(津田塾創立⇒明治33年)。当時、明治学院2代総裁であった井深梶之助も教えに来ている。女子学院で教える梶之助の妻せきが、ちかの同窓生で懇意であった。その後、大正2年に東京音楽学校(現、東京藝術大学)を卒業したふき(ジャーナリスト倉辻明義(筆名倉辻白蛇)と結婚)、また大正5年に教え子だったガントレット恒も同校の教師に。講義科目は英語が専門ではあるが、和漢文、裁縫・編み物やピアノをはじめ、割烹、西洋料理もあった。
  ちかは、西洋料理や家事の効率化を図る欧米文化を知り、その知識を共有することで、日本の家庭改良を啓発した。明治大正期の女性雑誌を調べると、ちかは当時著名な「西洋料理研究家」であり、レシピ本を6冊も出版していた。岡本かの子(岡本太郎母)や人気エッセイストなど、バラエティ豊かな生徒が学んでいた。この頃、「女子の英語は津田か櫻井か」とまで世の信用を博していた。
  しかし、ちかの死後、櫻井女塾(櫻井女子英学塾と改称)は、戦前の英語教育排撃の煽りを受け、昭和16年に日本女子高等学院(現、昭和女子大学)英文科に合併され、今日に継承されている。櫻井ちかは、内面的支柱をキリスト教信仰に持ち、女子教育に強い信念を持ち、教育に一生をささげた女性だった。
  ちなみに、櫻井ちかの教え子山田恒(山田耕筰の姉)は、明治31年に英国人の教師エドワード・ガントレットと結婚しガントレット恒となった。日本で最初の法的手続きをした国際結婚を果たしていた。結婚の翌年、岡山に移住。岡山在住中に13歳年下の弟の山田耕筰を引き取り、面倒見ている。この時耕筰は、姉の夫エドワードから西洋音楽の手ほどきを受けており、この刺激が耕筰のドイツ留学へとつながる。
  大正初期に上京した恒は、櫻井女塾をはじめ、東京女子大学や自由学園で教鞭を執った。そして、日本基督教婦人矯風会(婦人更生、廃娼運動)、女性参政権運動、平和活動に貢献。久布白落実、守屋東と共に三羽烏と呼ばれた。昭和21年には矯風会会頭に就任、また日本婦人平和協会を発足している。
  おわりに「明治・大正期に生きた女性は・・・いつも常に向上心を持ち、人の役に立とうと、自分を常に研鑽し、律している。」というメッセージでもって講演が締めくくられた。明治をグローバルに颯爽に生きた女性から学ぶことはとても多い。
  ちかに関する学術論文があるので、読みたい方は事務局まで。
  また、遠藤先生は現在、会津藩家老山川家の女性に関する本を執筆中(『会津藩家老山川家の明治-山川二葉・山川操・大山捨松とその姉妹たち-』(仮)で、5月頃に発売予定との事です。楽しみにしてます。

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水野理事長挨拶

倉辻明男さんご挨拶

遠藤由紀子先生(1)
 
遠藤由紀子先生(2)

レジュメ&資料

櫻井ちか肖像
 
倉辻ふき女史(中央手前)

会場風景

参加者との懇親

集合記念写真

遠藤先生と倉辻さんご夫妻

倉辻明男さんと記念写真
研究報告会
※ 2022年 1月29日(土)の研究報告会は再延期します。
研究報告会は、新型コロナウイルスの感染急拡大を受け残念ですが、再延期する
ことに致します。
「築地居留地と銀座十字屋」の講演開催に関しましては後日改めてご連絡致します。


定期総会
※ 2022年 1月29日(土)の定期総会は書面総会に変更します。
定期総会に関しましては、対面による総会ではなく、前年同様書面による
書面総会に変更して行います。
書面総会に関しては、会員の皆様にはメールもしくは郵便にてご連絡致します。




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