NPO法人築地居留地研究会 ホームへ戻る
研究報告会
・日 時: 2022年 11月26日(土) 14:00~16:00築地居留地研究会

・場 所: カトリック築地教会 2階
     東京都中央区明石町 5-26

・テーマ: 「ペリー来航と開港地 下田」

・講 師: 尾形 征巳 (おがた まさみ)
     下田開国博物館 館長 下田郷土史研究会事務局長
     南伊豆町史編集委員

定刻となり薮純夫事務局長の司会で研究会をスタート。
今回の研究報告会は、下田開国博物館の館長 尾形 征巳氏をお招きし、ペリー来航と下田開港についてご講演をいただくことになった。
講演に先立って本研究会水野雅生理事長から挨拶と説明があった。
<写真クリックで拡大します>   

水野雅生理事長の挨拶と説明

尾形征巳氏

尾形征巳氏の著書

(講演のポイント)
  ○ 下田の歴史上の位置づけ
  ○ アメリカが日本に開国を求めた理由・ペリーの日本遠征の目的
  ○ そのころの日本と下田の海防
  ○ なぜ下田が日本最初の開港地となったか
  ○ 日米和親条約付録下田条約の交渉
  ○ 欠乏品(薪水食糧の他、反物、漆器、紙、下駄など土産品)の供給・日米貨幣
    の交換比率
  ○ 下田奉行所と開港場としての諸機関・施設
  ○  ペリーの下田評価、下田庶民の対応
  ○  ペリー来航以後-ロシア使節来航・アメリカ総領事ハリス等など

1853年7月8日ペリーが蒸気船2隻を含む4隻で浦賀沖に来航、大統領の親書を渡し翌年の回答を申し入れた。翌1854年2月13日ペリーは再来、1854年3月31日、日米和親条約が締結され下田が開港の運びとなった。その後さまざまな経緯の後諸外国との交流が始まりあらゆる文化、技術などが日本にもたらされることとなった。
尾形氏はその始まりとして下田開港の時期に行われた取り決め、米国側・日本側の対応などについて講演いただいた。
ペリーは日本がほぼ未開の国だと評価していたところ、実際の日本を見て意外と清潔でありアメリカより進んだ点もあると認識を新たにしたという話が印象的であった。下田の住民が外国人を恐れず親しみやすくしたのは下田の風土であるという点では尾形氏の「下田愛」のようなものを感じた。

講演に先立って、尾形氏から館長をつとめる下田開国博物館が今月リニューアルを完了し、新たに映像ホールを設けビジュアルに下田の歴史を紹介するなどバージョンアップしたので、是非訪れて戴きたいとの話があった。
この点参加者の中からも、下田は燃料、水および食料品の供給以外に反物や漆器などの販売が行われ、いわば居留地の産みの親とも言うべき場所であることを知らされ、是非一度訪問したいとの声が多数寄せられた。

講演終了後、活発な質疑応答がなされ、16時に1階の教会入り口で集合写真を撮り解散となった。
尚、今回は東京ベイネットワーク(株)のTVカメラが入り講演会の内容が撮影された。
ケーブルテレビ接続世帯であれば12月4日~10日の間に視聴が可能との事である。


講演会風景(1)

講演会風景(2)

集合写真(1)

集合写真(2)
第14回外国人居留地研究会2022年全国大会・長崎大会
・日 時: 2022年 11月19日(土)・20日(日)築地居留地研究会

   一日目 11月19日 基調講演  各居留地研究会発表
   二日目 11月20日 史跡見学

・場 所: 長崎大学経済学部新館 101教室

・テーマ:「うつりかわる文化と生活様式
      ~居留地、雑居地、そしてわが町~」

第14回外国人居留地研究会2022年全国大会・長崎大会は、コロナ問題で当初の予定より2か月遅れの11月19日(土)と20日(日)の二日間にわたり長崎大学経済学部新館101教室にて開催された。
今回は現地(対面)参加と通信(ZOOM)参加のハイブリッド形式での開催。
今回の大会のテーマは「うつりかわる文化と生活様式~居留地、雑居地、そしてわが町~」で、下記式次第で発表された。

一日目・11月19日(土)
第一部 基調講演 (13:40~14:40)
    ブライアン・バークガフニ
    長崎総合科学大学特任教授 グラバー園名誉園長
   「うつりかわる長崎居留地~居留民子孫が見た交流の軌跡~」

第二部 各居留地研究会発表 (14:45~17:50)
・函館 倉田有佳 「ロシアホテルの元従業員を介して生まれた明治初期の函館パン文化」
・新潟 鈴木孝二 「新潟の洋風文化生活に貢献するクリスチャン実業家大橋正吉の
          信仰生涯と大橋商店の歩み」 
・築地 野口孝一 「築地外国居留地における雑居地に関する資料」
・横浜 斎藤多喜夫「外来と在来の角逐」
・川口 井上邦久 「大阪と中国人」
・神戸 海老良平 「神戸、阪神間と珈琲-うつりかわる文化と生活様式
          ~居留地、雑居地、そしてわが町~-」
・長崎 藤本健太郎 「長崎の貿易商人による同業組合の形成過程について」

パネルディスカッション
ポスターセッション見学会
例年発表後、各居留地研究会の交流の場として、主催者による夕食会が設けられてきましたが、今回はコロナ問題で執り行われませんでした。
築地居留地研究会参加者で夕食は海鮮料理を頂く。
<写真クリックで拡大します>   

姫野順一 長崎大会実行
委員会会長挨拶

ブライアン・バークガフニ氏基調講演

基調講演

築地居留地研究会
野口孝一理事発表

横浜外国人居留地研究会
斎藤多喜夫会長
ZOOM発表


パネルディスカッション

ポスターセッション

夕食・食事会
二日目・11月20日(日)
10:00~11:30 長崎研究会主催 グラバー園見学
11:45~12:30 昼食 四海樓(中華料理)
12:45~14:00 築地研究会会員 唐人屋敷見学
       長崎大学南森茂太先生の案内
14:15~15:30 築地研究会会員 シーボルト記念館見学
       徳永宏館長の説明案内
15:45~17:00 築地研究会会員 出島見学

今回初めてのハイブリッド形式で開催され、全体としては合わせて80名を超える参加者。築地居留地研究会からは、水野雅生理事長をはじめ現地参加者12名、通信参加4名。
基調講演では、日本に残っている資料ではなく、かつて長崎に居留していた外国人の子孫から収集した写真、日記などから当時の様子を知る貴重な資料の紹介と説明がなされた。
また、各地研究会から、基本テーマに沿ったそれぞれの視点からの発表がなされ、それぞれの居留地のうつりかわる文化と生活様式を垣間見ることが出来ました。
発表後、長崎大学経済学部の生徒さんたちによる長崎外国人居留地のポスターでの研究発表もありました。将来彼らの中から外国人居留地研究者が育っていってくれればと願います。
この度は、築地居留地研究会からは、シーボルトの子孫関口忠相氏と長崎唐通事平井家子孫平井靖人氏も参加され、特に2日目の唐人屋敷見学、シーボルト記念館・出島見学はより意義深いものとなった。
全国大会開催に先立ち開かれた全国居留地研究会代表者会議にて、2023年度全国大会は大阪(川口)で開催される事に決定。9月22,23日川口基督教会での開催を予定。
テーマは各研究会が取り組んでいるそれぞれのテーマでの発表を予定。


グラバー園 (1)

グラバー園 (2)

グラバー園・
自然冷蔵庫入口

長崎ちゃんぽん・
四海樓

唐人屋敷・
南森茂太先生

唐人屋敷

シーボルト記念館・
徳永宏館長

シーボルト記念館

出島 (1)

出島 (2)

出島 (3)
中央区まるごとミュージアム
・日 時: 2022年 11月13日(日)
     講 演: 14:00 ~ 15:00
     街歩き: 15:00 ~ 16:00

・場 所: 築地カトリック教会 2階ホール

・テーマ: 「歴史散歩、かつて中央区にあった外国人の街のお話と散歩」

・講 師: 中島 耕二
     本研究会理事、元明治学院大学客員教授、東北大学博士(文学)

NPO法人築地居留地研究会、水野 雅生理事長の挨拶の後、中島氏によりパワーポイントを使って日本各地の居留地が生まれた時代背景、築地居留地の推移及びその特色などについて詳細な講義が行われた。参加者は皆関心をもって熱心に聴講していたのが印象的であった。
築地居留地は海が浅く大型船が入港できず、また狭隘で地代も横浜に比べ割高であった為貿易商人に敬遠され、代わりに宣教師や外交官が多く住み、その為ミッションスクール及び各国の公使館・領事館が多く建てられ、他の居留地とは異なる薫り高い文化の発祥地となった。残念ながらその異国文化の雰囲気があふれる街並みは、1923年の関東大震災により全てが焼失してしまった。
本日の資料として配布した築地居留地の鳥観図コピーは当時を思い起こす唯一の貴重な資料である。講演終了時には活発な質疑が交わされ、その後教会正面で集合写真を撮り、各20名弱の2班に分かれ、居留地歴史MAPを手に居留地内にある碑をめぐる街歩きを行った。
引率・説明は中島 耕二理事と村上 伊作理事が行った。街歩きは終盤小雨が降り始めたが、ほぼ予定通りのコースを周ることが出来た。 参加者:38名
薮 純夫 記 
<写真クリックで拡大します>   

水野理事長の挨拶

中島耕二氏

講演参加者

集合写真

街歩き 村上理事

街歩き 中島理事

街歩き

街歩き
研究報告会
・日 時: 2022年 9月24日(土) 14:00~16:00

・場 所: カトリック築地教会 2階
     東京都中央区明石町 5-26

・テーマ: 「築地居留地とタムソン宣教師」
      兼 『タムソン書簡集』出版記念会

・講 師: 中島 耕二
     本会理事、元明治学院大学客員教授、東北大学博士(文学)

・講演聴講: 無料 一般公開 予約不要 どなたでも聴講できます。

築地居留地研究会

タムソン書簡集
定刻となり薮純夫事務局長の司会で研究会をスタート。
今回の研究報告会は、当初9月に予定されていた長崎での全国外国人居留地研究会大会がコロナの流行により、11月に延期となったことから急遽開催が決まったため、中央区報に内容を掲載出来ないことになり一般参加者への周知が足りず、また当日は台風15号の影響で強風・豪雨もあり、参加者は25名と通常の定例報告会にくらべかなり少なかった。広報の重要さは今後の反省点としたい。しかしながら中島先生の講演は熱がこもっており、台風など吹き飛ばさんばかりの内容であった。
講演に先立って本研究会水野雅生理事長から挨拶、及び11月13日開催予定の「中央区まるごとミュージアム」で本研究会主催の「歴史散歩、かつて中央区にあった外国人の街のお話と散歩」、11月19日~20日開催の「第14回外国人居留地研究会 2022全国大会in長崎」および11月27日の定例報告会「ペリー来航と開港地・下田」についての案内説明があり、講演終了時にはあらためて中島先生の編集による『タムソン書簡集』の説明がなされた。

<写真クリックで拡大します>   

水野雅生理事長の挨拶
と説明

中央区まるごとミュー
ジアム・ロゴマーク

中島耕二先生の講演
■ 講 演 14:15~15:50
文久3年(1863年)にアメリカ・オハイオ州からプロテスタント・キリスト教宣教師として来日し、横浜滞在を経て明治元年(1869年)から大正3年(1914年)まで足掛け45年間、最も長く築地居留地に住み続け、キリスト教の伝道と共に日本の近代化に尽くしたデビッド・タムソンの生い立ちからその生涯を詳しくそして熱く語っていただいた。
・大鳥圭介、安藤太郎、大槻文彦、田口卯吉らへの英学教授
・新栄教会を始め多くの教会の創立と著名信徒への授洗
・南校(東京大学の前身校)の教師
・明治政府の米欧視察団のコンダクター兼通訳
・切支丹禁制の高札撤去運動
・日本の石油開発事業への助言
・キリスト教による葬儀の自由の実現運動
・ハンセン病院の応援
・日本昔噺(桃太郎、舌切り雀など六話)の英訳
残念なことに上記のようなデビッド・タムソンによる数々の功績は現在、広く一般の知識として広まっておらず、特に残存する画像などは非常に少ないと言われている。
今回、講演により日本の近代化にタムソンが深く関係し、功績を残していることを教えられた参加者たちは新たな感動と理解を深めたものと思われる。
そして講演と共に紹介された中島先生編集による『タムソン書簡集』には、中島先生が実際に情報収集のために訪米された際、入手された未公開の画像なども掲載されており、築地居留地及びデビッド・タムソンの事績を確認する上で非常に有益な書籍であると思われた。
薮 純夫 記 
 
デビッド・タムソンと
夫人子供たち

講演会風景

講演会風景

集合写真
研究報告会
・日時: 2022年 7月30日(土) 14:00~16:00

・場所: カトリック築地教会 2Fホール及び1F聖堂
      東京都中央区明石町 5-26

・テーマ: 「築地居留地と銀座十字屋」
      ~築地居留地で洗礼を受けた4人の創業者たち~

・講 師: 中村 千恵子 ㈱銀座十字屋 取締役会長
      倉田 恭伸  ㈱銀座十字屋 代表取締役社長

・ハープ演奏: 田中 淳子 銀座十字屋ハープ&フルートサロン講師

■ 講 演 14:00 ~15:20
定刻となり薮 純夫事務局長の司会で研究会をスタート。
本報告会は以前から開催準備をしていたが、新型コロナ感染の影響で過去3回にわたり延期を余儀なくされており、今回は何とか開催に及んだことは誠に喜ばしい。
講演に先立って本研究会水野 雅生理事長の挨拶、続いてシーボルト6代目子孫の関口 忠相氏から舞台「シーボルト父子伝~蒼い目のサムライ~」(8月10日~14日於:築地本願寺ブディストホール)の説明があり、主演女優の鳳 恵弥(おおとり えみ)さんの紹介がなされた。
最初に中村 千恵子(株)銀座十字屋取締役会長の挨拶・説明に続き、(株)銀座十字屋代表取締役社長 倉田 恭伸氏により「銀座十字屋 傍流を歩む気質 その原点とこれから」と題してパワーポイントの映写による講演がなされた。
十字屋の開設に深く関与した4人は、原 胤昭(はら たねあき)、鈴木 舎定(すずき いえさだ)、田村 直臣(たむら なおみ)、戸田 欽堂(とだ きんどう)であり、4名とも米国長老派宣教師のカロザースから洗礼を受けた。明治7年の創業から概ね150年を迎える銀座十字屋の歴史について、関連する人名や漢字名等をPCのアプリを使用して発音を聞かせるなど、倉田社長の工夫とわかりやすい軽快な説明により参加者は大いに理解を深めたと感じた。
<写真クリックで拡大します>   

中村千恵子
取締役会長

倉田恭伸
代表取締役社長

講演会風景

講演会風景
■ ハープ演奏(田中 淳子先生) 15:30 ~16:00
会場を1階聖堂に移し、カトリック築地教会レオ・シューマカ神父の挨拶のあと、銀座十字屋ハープ&フルートサロンにて講師をされている田中 淳子先生により、6曲の著名な曲の演奏とハープの構造などについて説明がなされた。
まさしく「天上の音楽を表現する楽器」のたとえのとおり、田中先生のテクニックによるハープの音色、それに聖堂の高い天井が生み出すホールトーン効果が加わり、得も言われぬ心地よさが広がり参加者は心を揺さぶられたであろう。予定の6曲が終了した後、参加者の「アンコール!」によりコーヒールンバが追加演奏された。一方、ハープの構造などについても説明がなされたが、47本の弦が3色に色分けされていることや、下部にある7つのペダルを操作することにより、ミとファあるいはシとドのように半音が並び、連音で弾いた時に不協和音とならないように調整ができるメカニズムなど、参加者は演奏終了後実際にハープの近くに集まり興味深く確認していた。
演奏終了後解散の前に教会正面で集合写真を撮影し、本日の研究報告会を終了とした。なお、後日会員からメールで「今でもハープの素晴らしい音色が耳に残っています」という声が寄せられた。

 
ハープ演奏
田中淳子先生

田中淳子先生

ハープの構造を教えて
もらう会員

集合写真
理事会
・日時: 2022年 6月23日(木) 10:30~13:00

・場所: 銀座パウリスタ 2階サロン

研究報告会 「築地あじさい祭り」
・日時: 2022年 5月28日(土) 14:00~16:00

・場所: カトリック築地教会 2F
      東京都中央区明石町 5-26

・テーマ: 「~次世代に伝えたい日本のこころ~
        シーボルトと熊谷五右衛門義比」

・講 師: 中村 麻美 (なかむら まみ)
       画家・挿画家、(資)アトリエ麻美乃絵代表
      元NHKBSニュースキャスター
・ゲストスピーカー: 江口 伊織 (えぐち いおり)
      熊谷五右衛門11代目当主、萩市熊谷美術館理事長

■ 研究報告会 14:00 ~16:00
定刻となり藪純夫事務局長の司会で研究会をスタート。
毎年5月の研究会は「あじさい祭り」と銘打ってシーボルトにまつわるテーマで報告会を開催しているが、今年は画家の中村麻美氏をお招きしてお話を戴くこととした。
講演に先立って本研究会水野理事長の挨拶、続いてシーボルト6代目子孫の関口忠相氏および会場を提供戴いたカトリック築地教会レオ・シューマカ神父からそれぞれご挨拶を戴いた。
加えて去る3月に中島耕二理事が教文館から『タムソン書簡集』を出版し、その著書の紹介が行われた。
<写真クリックで拡大します>    

司会の藪純夫事務局長

シーボルト6代目子孫の関口忠相氏

水野理事長と中島理事
(著書出版の紹介)

本日の講師の中村麻美氏は、チラシの略歴にもある通り各方面で活躍されており、画業では日本武道館発行の月刊誌『武道』の表紙絵を2008年から描き続けておられ、大型画集の出版もされている。
本日は、多数の作品の中から「次世代に伝えたい日本のこころ」のテーマに沿って22作品を厳選され、それぞれの作品の制作意図および作品の歴史的背景について、詳しい解説を戴いた。教科書などに出てくる話の他に、あまり知られていない歴史逸話の作品もあって興味深く聴き入った。
同氏はテレビ放送でキャスターをされていたことから、話が明快でテンポも良く、さすがプロと感じさせられた。
 
講師の中村麻美氏

中村麻美氏の自己紹介

講演のレジメと熊谷家のこと
 
作品説明 「熊谷五右衛門義比
とシーボルトのピアノ」

作品説明 「鉢の木」

講演に聞き入る参加者

講演の半ばに「あじさい祭り」のテーマに相応しい、「熊谷五右衛門義比とシーボルトのピアノ」について、熊谷家11代目で熊谷美術館理事長の江口伊織氏から「ピアノ」の由来について解説を戴いた。シーボルトと長州藩萩の豪商の熊谷家とは中々結びつかなかったが、熊谷家4代目の義比が蘭学に関心を寄せ、シーボルトの私塾鳴滝塾長であった岡研介を支援した関係で、シーボルトと知己を得て彼の帰国前(1828年)にピアノを譲り受けたという経緯を教えられ、なるほどと納得がいった。
このシーボルトゆかりのピアノは、1955年の調査で日本最古のピアノであることが立証され、現在も現役としてコンサートで奏でられ200年前の音色で現代人を魅了し続けている。

江口伊織氏

江口伊織氏

中村麻美氏 ピアノの説明

中村麻美氏の画集

礼拝堂正面で集合記念写真

こうした説明を聞いて、改めて中村氏の「「熊谷五右衛門義比とシーボルトのピアノ」の作品を観ると、当時の憧憬が浮かんできてより親しみを覚えさせられた。
今回の講演によって「日本最古のピアノ」がシーボルトにつながることを知って、益々シーボルトの日本に残した事績の深さを知らされることになった。講演の終わりに、中村麻美氏および江口伊織氏に参加者から惜しみない拍手が送られた。
従来、例会では講演後旧居留地ミニツアーおよび講演者との懇親茶話会を催していたが、コロナ流行下しばらく中止とし、今回もまだコロナ収束に至っていないことから、これらのプログラムをスキップした。
解散の前に教会堂正面で集合記念写真を撮って、本日の研究報告会を終了とした。

研究報告会
・日時: 2022年 3月26日(土) 14:00~16:00

・場所: カトリック築地教会 2F
      東京都中央区明石町 5-26

・テーマ: 「明治大正期の女子教育者・櫻井ちか と ガントレット恒
      -櫻井女学校(女子学院の前身) や櫻井女塾に関連して-」

・講 師: 遠藤 由紀子(えんどう ゆきこ)
      博士(学術)、昭和女子大学歴史文化学科非常勤講師、
      女性文化研究所研究員


■ 研究報告会 14:00 ~16:00
2022年3月26日の定例研究報告会(講演)は、3月21日にまん延防止重点措置が解除されての開催であったものの、念には念を入れ万全なコロナ感染予防対策を敷いて行った。
  薮・新事務局長の司会で、冒頭水野理事長の挨拶があり、今回の講演者・昭和女子大学女性文化研究所研究員(歴史文化学科所属)の遠藤由紀子先生の紹介と今回の講演のテーマに掲げられた明治大正期の女子教育者「櫻井ちか」の曾孫にあたる倉辻明男さんの紹介がなされた。倉辻さんは、長年聖路加国際病院にお勤めになった方で、当研究会の薮事務局長の2年先輩にあたり、現在は聖アンドレ教会(港区芝公園)にてご活躍中との事。
  今回の講演テーマは「明治大正期の女子教育者櫻井ちかとガントレット恒―櫻井女学校(女子学院の前身)や櫻井女塾に関してー」であった。12ページに及ぶ詳細かつ系統だったレジュメと資料が配布され、講演内容を理解するのに大いに役立った。  
  櫻井ちか、一般的にはあまり知られていない明治大正期の女子教育者、いやもっと知られ評価されてしかるべき女子教育者だったことを今回の講演から感じさせられた。 
  明治5年、幕臣の娘であったちかは17歳で結婚。結婚まもなく夫櫻井昭悳(海軍士官)の理解を得て、学校に寄宿して英語を学ぶことに。明治7年に新栄教会のタムソンから洗礼を受ける。横浜の「共立女学校」(現、横濱共立学園)で学ぶと、明治9年に「私学開業願」を文部省に提出し、日本人による最初のキリスト教主義の女学校「櫻井女校」(櫻井女学校)を設立した。明治11年には山田恒(築地で音楽の才能が芽吹いた山田耕筰の姉、のちのガントレット恒)が数え6歳で入学している。実はこの櫻井女学校は、現在の「女子学院」源流の一つである。築地居留地には「女子学院発祥の碑」がある。櫻井女学校には、同年、全員通学生の「貧学校」を併設、さらに日本初の私立幼稚園「櫻井女学校付属幼稚園」も創立し幼児教育も展開した。この頃、一人娘となるふきを養女にしている。
  明治14年、ちかは、キリスト教伝道師となった夫と2歳になったふきと共に函館へ行くことになり、櫻井女学校の運営を矢島楫子(熊本四賢婦人のひとり)に委託、その後、函館(函館相生教会創立)・高知・愛知(大洲教会創立)・福井と各地を巡った。この間ちかは、函館師範学校女子部で教鞭を執り、「大阪一致女学校」(現、大阪女学院)の創立にも奔走している。
  そしてふきが、母の母校である共立女学校に入学し、寄宿舎生活を送り始めたこともあり、ちか自身は、明治26年、明治29年、明治40年の3回に分け、合計4年間アメリカに遊学した。
  ちかは、明治31年(ちか43歳)、文京区本郷向か丘彌生町三番地の自宅に女子寄宿舎を併設した「櫻井女塾」を創立する(津田塾創立⇒明治33年)。当時、明治学院2代総裁であった井深梶之助も教えに来ている。女子学院で教える梶之助の妻せきが、ちかの同窓生で懇意であった。その後、大正2年に東京音楽学校(現、東京藝術大学)を卒業したふき(ジャーナリスト倉辻明義(筆名倉辻白蛇)と結婚)、また大正5年に教え子だったガントレット恒も同校の教師に。講義科目は英語が専門ではあるが、和漢文、裁縫・編み物やピアノをはじめ、割烹、西洋料理もあった。
  ちかは、西洋料理や家事の効率化を図る欧米文化を知り、その知識を共有することで、日本の家庭改良を啓発した。明治大正期の女性雑誌を調べると、ちかは当時著名な「西洋料理研究家」であり、レシピ本を6冊も出版していた。岡本かの子(岡本太郎母)や人気エッセイストなど、バラエティ豊かな生徒が学んでいた。この頃、「女子の英語は津田か櫻井か」とまで世の信用を博していた。
  しかし、ちかの死後、櫻井女塾(櫻井女子英学塾と改称)は、戦前の英語教育排撃の煽りを受け、昭和16年に日本女子高等学院(現、昭和女子大学)英文科に合併され、今日に継承されている。櫻井ちかは、内面的支柱をキリスト教信仰に持ち、女子教育に強い信念を持ち、教育に一生をささげた女性だった。
  ちなみに、櫻井ちかの教え子山田恒(山田耕筰の姉)は、明治31年に英国人の教師エドワード・ガントレットと結婚しガントレット恒となった。日本で最初の法的手続きをした国際結婚を果たしていた。結婚の翌年、岡山に移住。岡山在住中に13歳年下の弟の山田耕筰を引き取り、面倒見ている。この時耕筰は、姉の夫エドワードから西洋音楽の手ほどきを受けており、この刺激が耕筰のドイツ留学へとつながる。
  大正初期に上京した恒は、櫻井女塾をはじめ、東京女子大学や自由学園で教鞭を執った。そして、日本基督教婦人矯風会(婦人更生、廃娼運動)、女性参政権運動、平和活動に貢献。久布白落実、守屋東と共に三羽烏と呼ばれた。昭和21年には矯風会会頭に就任、また日本婦人平和協会を発足している。
  おわりに「明治・大正期に生きた女性は・・・いつも常に向上心を持ち、人の役に立とうと、自分を常に研鑽し、律している。」というメッセージでもって講演が締めくくられた。明治をグローバルに颯爽に生きた女性から学ぶことはとても多い。
  ちかに関する学術論文があるので、読みたい方は事務局まで。
  また、遠藤先生は現在、会津藩家老山川家の女性に関する本を執筆中(『会津藩家老山川家の明治-山川二葉・山川操・大山捨松とその姉妹たち-』(仮)で、5月頃に発売予定との事です。楽しみにしてます。

<写真クリックで拡大します>    

水野理事長挨拶

倉辻明男さんご挨拶

遠藤由紀子先生(1)
 
遠藤由紀子先生(2)

レジュメ&資料

櫻井ちか肖像
 
倉辻ふき女史(中央手前)

会場風景

参加者との懇親

集合記念写真

遠藤先生と倉辻さんご夫妻

倉辻明男さんと記念写真
研究報告会
※ 2022年 1月29日(土)の研究報告会は再延期します。
研究報告会は、新型コロナウイルスの感染急拡大を受け残念ですが、再延期する
ことに致します。
「築地居留地と銀座十字屋」の講演開催に関しましては後日改めてご連絡致します。


定期総会
※ 2022年 1月29日(土)の定期総会は書面総会に変更します。
定期総会に関しましては、対面による総会ではなく、前年同様書面による
書面総会に変更して行います。
書面総会に関しては、会員の皆様にはメールもしくは郵便にてご連絡致します。



研究報告会
・日時: 2021年12月4日(土) 14:00~16:00

・場所: カトリック築地教会 2F
      東京都中央区明石町 5-26

・テーマ: 「居留地があった街をたどる」

・講 師: 菅原 健二 (すがわら けんじ)
      東京都市史研究家、司書
      令和2年3月まで京橋図書館地域資料室勤務

■ 研究報告会 14:00 ~16:00
14.:00 定刻通り定例会開始
大島理事の司会により本日のスケジュールと趣旨の説明があり、続いて水野理事長から開会の挨拶がなされた。
  本年度はコロナ禍の影響により、聖路加国際大学の教室が使用できず開催時期も変則的となっている。本日も築地カトリック教会のレオ神父のご厚意により、教会併設の場所を使わせていただくことにより開催することが出来た。
本日ご講演頂く菅原健二先生は京橋図書館の地域資料室に長く勤務されていたご経験を持たれ、中央区をはじめ東京江戸にまつわる貴重なお話が聞けるものと思う。

菅原先生のご講演
 本日は明石町を中心に歴史を掘り下げて話をしたいとの事で、資料はA3で6枚の紙に纏められ、参加者全員に配布された。
幕末に築地居留地が設置される以前の話が中心になるとの事で、資料には貴重な図が多く含まれていた。この図は京橋図書館でいつでも閲覧が可能とのことであった。
1. 都市・江戸の特徴
2. 江戸の町と人口構成
3. 江戸の水運
4. 江戸の経済を支えた湊の具体的施設=物揚場と河岸
5. 鉄砲洲の河岸と町
6. 築地居留地
7. 最後に

  菅原先生が提示された図によると、築地が地名として出るのは遅く、江戸の初期は今ある中央区の多くの場所が「海」であった。約100年かけて江戸が出来上がった経緯についてお話があった。中には普段多くの人が知らないであろうという事があり、例えば海上の島にある「砲台」について、有名なのが「お台場」であるが、浜離宮、越中島、佃島など築地のそばにも「砲台」があった。江戸は物資の大量輸送を目的とした水路(運河)が必須であった。幕末の明石町は本当に小さな地域であった。
  我々が良く知っている地名や川の名前が資料や菅原先生のお話の中に出てきたが、それらが江戸の歴史の中でどういう位置にあり、又、どういう働きをしていたのか、それを教えていただいたことはまさに「目からウロコ」の状態であった。

質疑応答・カトリック築地教会の見学
  本日の参加者は50名の予定であったが、69名と予想以上に多くのご参加があった。
講演終了後、質疑応答がいくつかあり、「中央区文化財MAP」「中央区絵図」、中央エフエムラジオシティによる菅原先生の「江戸の昔の河岸のお話」の紹介があった。
その後、カトリック築地教会の内部を自由見学し、参加者の記念撮影を行い散会となった。
(記:薮純夫理事) 
<写真クリックで拡大します>    

水野雅生理事長挨拶

会場風景

菅原健二講師
 
レジメ

参考図

質疑応答
 
教会聖堂見学

集合記念写真
中央区まるごとミュージアム2021に参画
「歴史散歩 かつて中央区にあった外国人の街のお話と散歩」
           
・日時: 2021年11月14日(日)

・場所: カトリック築地教会 2階

・募集:一般の方(会員以外の方) 30名(先着順) 事前予約制

■ 研究報告会 14:00 ~16:00
名所・旧跡、画廊・美術館、水辺など、豊かな文化環境に恵まれている中央区、まち全体がまさに「ミュージアム」になり、中央区の文化的魅力を発見・再認識して頂こうというイベントです。

今年は11月14日(日)に開催されました。 事前募集イベントまた当日イベント合わせて38のイベントが中央区のあちこちで繰り広げられました。

当築地居留地研究会は、歴史散歩「かつて中央区にあった外国人の街のお話と散歩」で参加。今年で4度目になります。

多くの参加申込を受けました。 当初予定していた定員30名を、コロナ収束傾向にあった事もあり、50名に増員し受付。 それでも残念ながらお断りをせざるを得なかった申込者もおられました。 それらの方々には12月4日(土)の定例研究報告会の案内をさせて頂きました。

 集合場所: カトリック築地教会 2階 
 ・14:00 ~ 14:05 挨拶 NPO法人築地居留地研究会 水野雅生理事長
 ・14:05 ~ 14:30 「築地居留地と音楽のお話」 中島耕二理事
 ・14:30 ~ 14:45 「カトリック築地教会の歴史のお話」 レオ・シューマカ神父
 ・14:45 ~ 15:00 「カトリック築地教会案内」 レオ・シューマカ神父、田中洋子さん
 ・15:00 ~ 16:00 「築地居留地史跡案内」 中島耕二理事、村上伊作理事
 ・16:00 散会
<写真クリックで拡大します>    

会場:カトリック築地教会

会場風景

水野理事長挨拶
 
講師:中島耕二理事

中島講師:居留地鳥観図

中島講師:納所辨次郎
 
講師:レオ・シューマカ神父

旧・カトリック築地教会

集合記念写真
 
アンジェラスの鐘
 
カトリック築地教会内-1

カトリック築地教会内-2
 
カトリック築地教会前
 
アメリカ公使館跡地

明治学院源流の地
 
居留地跡地散歩
 
雙葉学園源流の地

指紋研究発祥の地

教会内・史跡は2組に分けての案内。 限られた時間の中での史跡案内でしたが、要所要所を案内。 多くの参加者から参加して良かったとの声。
アンケートの一部をご紹介します。
 ・ いつも通る道いろいろな歴史があることわかって大変おもしろかった。
 ・ この企画でとても有意義な時間を過ごさせて頂きました。
 ・ 築地が文化的先進の町だった事に驚きました。
 ・ 区や都の施設を活用しつつもっと拡張して欲しい。 大変興味深かった。

第13回全国外国人居留地研究会 2021 in 新潟
・日時: 2021年9月17日(金)

・場所: 新発田市敬和学園大学

・テーマ: 「居留地とリベラルアーツ教育」


外国人居留地研究会全国大会2021in新潟(新潟居留地研究会主催)は全面ZOOMでの開催となりました。
本来は昨年2020年9月新潟県新発田市の敬和学園大学で行われる予定になっておりましたが、コロナ問題で一年延期。
一年も有ればコロナ問題も十分収束しているだろうとの読みでした。ところが今年になって昨年を大幅に上回るコロナ第五波が到来。
これ以上延期は無理との判断で、今年も対面での開催は諦め、全面ZOOMで9月17日(金)に行われました

・12:00 ~13:00 全国代表者会議
・13:30 ~14:45 開会挨拶
■ 基調講演 「居留地なき開港場・新潟の成立と顛末」
  講師:青柳正俊 国立歴史民俗博物館研究員

・15:00 ~17:40
■ 研究発表 「居留地のリベラルアーツ教育」
  函館、築地、横浜、川口、神戸、長崎、新潟
  築地居留地研究会からは水野雅生理事長が
  「福沢諭吉とアメリカ長老教会宣教師カロザース夫妻」を発表。

ZOOM参加者 全国参加者合計70名(築地からの参加者12名)


全国大会の挨拶、各居留地発表内容(パンフレット)、バスハイク(新潟史跡案内)
および篠笛演奏は次のURLから参照できますのでご覧になって下さい。
     https://drive.google.com/drive/folders/1re_pvlhPLQlX1CFyh67LLNw09Ku_cIU_?usp=sharing


また、敬和学園パーム館の説明(動画)を次のURLからご覧になれます。
    https://www.youtube.com/watch?v=E0WDGYFnsZY


9月17日(金)一日のみでの開催。当初予定されていました大会後の月岡温泉での親睦会、
また翌日のバスハイクも残念ながらキャンセルとなってしまいました。
全国大会のもう一つの楽しみである各居留地の皆さんとの親睦・交流が出来なかった事は非常に残念ですが、コロナ状況から考え致し方無かったと思います。

急遽、対面開催から全面ZOOM開催への変更、新潟居留地研究会山田耕太会長、白砂誠一事務局長はじめ皆様のご尽力に感謝と敬意をはらいたいと思います。

研究報告会
・日時: 2021年7月24日(土) 14:00~16:00

・場所: カトリック築地教会 2F
      東京都中央区明石町 5-26

・テーマ: 「明治期の築地周辺に響いた音楽―延遼館・海軍兵学校・
       新富座と軍楽隊」

・講 師: 塚原康子 東京勢術大学楽理科教授

■ 研究報告会 14:00 ~16:00

水野雅生理事長挨拶

塚原康子講師

講演風景

講演レジメ


講演発表スライド-1

講演発表スライド-2
大島理事の司会により定例研究報告会をスタート。
まず水野理事長から、本来2021年1月の予定であった塚原先生の講演がコロナ禍のため順延となっていたが、今回塚原先生およびカトリック築地教会のレオ・シューマカ神父のご厚意により、感染防止処置を講じて開催できることになった。大勢の参加者を得て皆様に感謝申し上げます、との開会の挨拶が行われた。
続いて塚原先生の講演に入った。

塚原先生は江戸後期から近代に至る音楽史の専門家で、今回の講演では、
1.日本の軍楽隊と欧米の軍楽隊との関係
2.延遼館(旧浜御殿に建てられた外国要人の迎賓館)における音楽
3.海軍軍楽隊屯所の変遷
4.新富座での陸海軍軍楽隊の演奏についての各項目ごとにパワーポイントによる画像および貴重な音声によって、丁寧かつ分かり易く説明された。 特に音声は興味く聴くことができた。
従来、日本人と西洋音楽との最初の出会いは、嘉永6年(1853)のペリー艦隊軍楽隊による演奏と覚えてきたが、それより10年以上も前の弘化元年(1844)に長崎来航のオランダ艦隊パレンバン号軍楽隊による演奏が嚆矢で、佐賀藩主の鍋島直正も聞いたことを知り大いに啓発を受けた。

軍楽隊に続いて浜御殿(現在の浜離宮)延遼館における国賓接遇と音楽が紹介され、明治5(1872)年のロシア皇子アレクセイ大公接遇時には、早くも自前の海軍軍楽隊によってフェントン作曲<君が代>とロシア国歌が演奏されたとのことで、日本人による西洋音楽の吸収の早さに感心させられた。
さらに海軍兵学校・海軍大学および居留地隣接の旧新島原遊郭のあとに建てられた新富座においても陸海軍軍楽隊の演奏が行われていたことを紹介戴いた。

最後に先生は築地居留地近辺は讃美歌に加え、軍楽隊による西洋音楽の故地であるとして講演を終えられた。
音楽がテーマであっただけに、先生の軽快かつ重厚なテンポの良い説明に時間が過ぎるのを忘れるほどであった。

■ 質疑応答、カトリック築地教会の見学
講演終了後、質疑応答が幾つか行われた後、お知らせとして、9月17日(金)、18日(土)の第13回外国人居留地研究会全国大会新潟大会(於:新発田市敬和学園大学)の案内が行われた。
その後、カトリック築地教会の内部を自由見学し、参加者の記念撮影を行って散会となった。


 質疑応答-1

質疑応答-2

参加者記念写真撮影

カトリック築地教会
「江戸のジャンヌ・ルイーズ」
研究報告会 「築地あじさい祭り」
・日時: 2021年5月29日(土) 14:00~16:00

・場所: カトリック築地教会 2F
      東京都中央区明石町 5-26

・テーマ: 『シーボルトと日本の植物』

・講 師: 加藤 僖重(かとう のぶしげ)
      獨協大学名誉教授(言語文化学科)、牧野標本館客員研究員
      東京都立大学理学研究科(博士課程)理学博士

■ 研究報告会 14:00 ~16:00

水野雅生理事長挨拶

シーボルト6代目子孫関口忠相氏と女優鳳恵弥さん

加藤僖重講師

講演レジメ 「シーボルトと
日本の植物」


あじさいとオタクサ標本

講演風景
水野理事長から「あじさいまつり」開会の挨拶、続いてシーボルト6代目子孫の関口忠相氏と女優の鳳恵弥さんからご挨拶を戴いた。
今回も3月と同様コロナ禍が収まらない中、万全の予防処置を講じての定例報告会開催となった。会場を提供戴いたカトリック築地教会のレオ・シューマカ神父および多くの参加者各位に感謝申し上げる。

本研究会では毎年五月に「あじさいまつり」と銘打ってシーボルトの事績を辿っているが、今年は「植物とシーボルト」という切り口で加藤先生に講演を戴いた。
先生はここ30年以上にわたってオランダ・ライデン市にある国立植物学標本館、ドイツ・ミュンヘン市のバイエルン州立博物館、東京都立大学の牧野標本館および東京大学総合科学博物館等でシーボルトが在日中に集めた植物標本を調査・研究されているが、「これらの標本を観るごとに植物を通しての日蘭独さらには日欧の確かな文化交流を実感する」と述べられた。
シーボルトは在日中、日本のあらゆるものに関心を抱き、本国に夥しい数の現品を持ち込んだが、その中の「植物」だけを取り上げても、極めて専門性が高かった。
例えば生きた植物は長旅で枯れてしまうので、一旦ジャワ島(当時オランダの植民地)高地に移殖して休養を与えてから欧州に運ぶと言った工夫をし、その他は押し葉、押し花にして送りその数は数百種に及んだという。
また、コレクションは自身、オランダ人助手および日本人の門弟もその製作を手伝ったという。これはやってみせるという教育であった。
本日の講演によってシーボルトのさらなる超人性を知ることが出来た。

加藤先生の諄々と説明される姿は、どこかシーボルトが大事に一枚ずつ押し葉や押し花を製作しているかのようであった。


■ 旧居留地ミニツアーとあかつき公園シーボルト胸像見学 16:30 ~17:30
講演終了後、カトリック築地教会の内部を見学し、その後参加者記念撮影、旧居留地のミニツアーを行い、最後にあかつき公園に設置されているシーボルト胸像の見学と加藤先生の解説を伺って解散とした。
天気も良く聖路加国際大学キャンパスやあかつき公園に咲くあじさいを愛でることができた。


参加者記念写真

中島耕二理事居留地説明

藪純夫理事
トイスラー記念館説明

水野雅生理事長慶応義塾発祥
  の碑説明

加藤僖重講師シーボルト胸像前
での解説
研究報告会
・日時: 2021年3月27日(土) 14:00~16:00

・場所: カトリック築地教会 2F
      東京都中央区明石町 5-26

・テーマ: 『長崎と築地活版印刷所』

・講 師: 平井 靖人 (ひらい やすひと)
      長崎唐通事 平井家子孫13代目
      東京都日本中国友好協会 理事 、 皇宮警察桐栄会 会員

■ 研究報告会 ・ 質疑応答

カトリック築地教会(左)
聖ヨゼフ幼稚園旧舎(右)

水野雅生理事長挨拶

平井靖人講師

報告会資料

報告会風景


質疑応答・懇親 1

質疑応答・懇親 2

記念写真
今年に入りコロナ問題でまず1月定例研究報告会が延期となり、また3月度の定例会開催も危ぶまれていましたが、なんとか無事開催に漕ぎつける事が出来ました。
又この度は会場探しで苦慮する中、カトリック築地教会が隣接する聖ヨゼフ幼稚園・旧舎2階の利用を快諾して頂いての開催でした。
会場提供して頂いたレオ・シューマカ神父様に感謝致します。 コロナ禍の中52名の参加。

当研究会水野雅生理事長の開会挨拶の中で、「実は私は聖ヨゼフ幼稚園(1924~2008)の卒園生の一人です。ただ卒園時は戦争になり一旦休園になった為、卒園出来ませんでした。 卒園状を頂いたのは息子の卒園式の時でした。つまり私は息子と一緒に聖ヨゼフ幼稚園を卒園したわけです」と話され、聴講の方々の笑いを誘っておられたと同時に歴史を感じさせるお話でした。

さて、今回の研究報告は久しぶりに会員による報告・講演。平井靖人講師(中央区在住)は、実は長崎唐通事平井家の13代目子孫にあたります。
平井家歴代通事のなかでも明治政府になり単なる通事(通弁)に留まらず有能な官僚、外交官として活躍した10代目子孫平井希昌(義十郎)と、さらに長崎、築地活版製造所との関連についての研究・報告。

長崎における唐通事は1604年に在留明人に唐通事を任じたのが初めとされていて、以後日本語の出来る在留中国人とその子孫が原則として任じられる世襲制でした。ただその中でも平井家は日本人の唐通事の家系。唐通事の仕事は単に取引の通弁に留まらず、宗門改、績荷帳、風説書の翻訳・上申、来航者の管理、唐人屋敷の管理等の仕事も兼ねていた。

平井義十郎(1839年生まれ)は、唐通事であるものの幕府の命令で1858年に英国船乗組の中国人から英語を学ぶ。義十郎は24歳時の1862年に、後に「近代活版印刷の父」と言われる本木昌造と後に築地活版製造所を立ち上げた平野冨二が当時勤めていた長崎製鉄所の通弁業務に命じられます。 この時義十郎は本木昌造と平野冨二と出会ったと推測。

そして1863年(25歳時)に幕府の士籍になり、長崎奉行支配定役格、調役並格通弁頭取に進み通事としての最高位に就く。1868年(慶応4年)には長崎裁判所の通弁御用頭として「万国公法」を訳す。義十郎は語学の天才的才能を持っていた人物だったと思われます。
明治3年、義十郎は明治新政府より民部省への出省を命じられ上京。義十郎の名前も希昌(ユキマサ)と改め、明治政府の表舞台の一員となります。翌明治4年外務省に転任。明治6年には外務卿副島種臣全権大使の二等書記官として清国へ随行。また同年イタリー国皇甥が明治天皇と共に観兵式をご観覧の時、希昌は通訳を命じられ観兵式に陪席。 これ以来希昌は亡くなるまで明治天皇の国賓の通訳を務める事に。

その後、単に通訳としてではなく、外交官として活躍。その功績に対し国内外から多くの勲章が授与される。もう一つ希昌の外交官としての活躍を裏付ける伊藤博文、副島種臣、山田顕義から希昌に宛てられた手紙も紹介される。
明治19年賞勲局書記官に任ぜられ、勲章制度整備に寄与します。
明治26年(55歳)退官。その後米国駐在弁理公使に任ぜられますが、待命期間中明治29年3月に当時の最高の医学陣の手当空しく死亡(58歳)。
葬儀の大喪始末記には多くの明治の元勲・政府関係者の名前が並んでいます。最後に同始末書に名前を連ねる長崎出身者および築地活版所関係者の紹介がなされました。

研究報告後、懇親も兼ねた質疑応答。今回の報告会には、平井講師の関係で東京都日本中国友好協会の方々も参加され, 中国の異なる地域民族の話を聞かせて頂くなど有意義な時間でした。

■ レオ神父の説明

レオ神父説明 1


バラとユリのレリーフ

レオ神父説明 2

聖堂内部
レオ神父によるカトリック築地教会の説明
報告会終了後レオ神父お忙しい中時間を作って頂き、カトリック築地教会の歴史について説明して頂いた。
カトリック築地教会は明治7年に居留地の35・36番(現在地)を借り受け、明治11年に最初の聖堂を建立。
最初の聖堂は大正12年9月1日の関東大震災で聖堂が焼失・倒壊。現在の聖堂は昭和2年4月10日に献堂された建物で、古代ギリシャのドーリア式神殿を忠実に模して木造モルタル造にて建設されている。
東京都選定歴史的建造物及び中央区の文化財に選定されています。一昨年より一年余りかけた耐震補強工事は昨年12月に完了。
レオ神父には改めてカトリック築地教会についてのご講演をお願い出来ればと思います。
また新装聖堂、まだご覧になっておられない方、時間がありましたら是非ご覧になって下さい。

定期総会/研究報告会
・2021年1月29日(金) 定期総会(書面総会)

今年度は、当初1月23日に定期総会の開催を予定しておりましたが、コロナ緊急事態宣言期間と重なり中止と致しました。特殊な状況下にあり、その代概としまして書面総会とし、書面にて決議を取らさせて頂く事としました。
会員の皆様には、事前に総会議案をメールもしくは郵送にて送付し、議案審議して頂き、その結果・決議票を同様な方法にて返送して頂く形を取りました。

1月29日(金)に書面総会(議決集計)を開催。開催にあたり、公正を期するため最小出席必要者として水野雅生理事長、大島房太郎理事(事務局)、松井信勝監事、鏑木純子監事の4名が出席。まず最初に2020年度の監査を松正勝監事および鏑木純子監事が行う。
その後会員皆様から返送して頂きました議決を集計。
社員 (議決権)総数69 (法 人会員 7社、個人会員62名) に対し書面議決行使数 38。
集計結果、議決権の半数以上の38の賛成票・委任票をもって全議案が可決されましたことを
ご報告致します。

・2021年1月 研究報告会 延期
東京芸術大学楽理科・塚原康子教授に「明治期の築地周辺 響いた音楽 ―延遼館・海軍兵学校・新富座と軍楽隊」というテーマでご講演をお願いしておりましたが、残念ながら延期となりました。


研究報告会
・日時: 2020年11月28日(土) 14:00~16:00
・場所: 日本印刷会館 2F会議室
      東京都中央区新富 1-16-8

・テーマ: 人類のコミュニケーションの大革命
      『活字が築地に来るまで ~パート2~』

・講 師: 水野 雅生 (みずの まさお)
      ミズノプリテック株式会社 会長、ミズノプリンティングミュージアム 館長
      NPO法人築地居留地研究会 理事長、ミュンヘンアカデミー工芸卒
      著 書: 『今、蘇る文字と印刷の歴史』 (雄松堂出版)

■ 研究報告会 14:00 ~16:00

山本泰人中央区長(左)

講演題目

水野雅生講師

講演風景

ミズノプリンティングミュージアム
新パンフレット



『学問のススメ』 復刻版

展示資料の説明を聞く山本区長

資料に見入る参加者

水野理事長による印刷実演のビデオをご覧いただけます。
例のごとく大島理事・事務局長の司会により定時に開会された。
まず最初に水野理事長からコロナ禍のため定例報告会は今年1月を最後に開催出来ずに来たが、今回感染予防対策を十分行った上で開催することにした、こうした中、多くの参加者を得て感謝申し上げたいとの挨拶が行われた。また、この10か月余りの間に当会理事の岡野俊氏、会員の関口忠志氏、新関和夫氏がご逝去され、出席者一同黙祷を捧げご冥福をお祈りした。

続いて、お忙しい中ご出席を戴いた山本泰人中央区長から、「中央区は日本橋や銀座といった江戸時代から続く日本の金融や商業の中心地であるとともに、かつて築地居留地があり明治以降の近代日本における西洋文化の発祥の地でもあった。しかし、このことは十分知らされていない。ついては今後中央区として明治以降の文化的価値を再評価し、より一層発信していきたい」との心強いご挨拶を戴いた。

報告会は水野理事長が講師として登場。人類の三大発明として①言語の発明、②文字の発明、そして③印刷技術の発明を挙げ、日本における最古の活字印刷物が『日本書紀』であることを説明し、その後、自身のドイツ、ミュンヘン・アカデミー工芸留学の経験を踏まえ、グーテンベルグによる印刷機の発明過程をわかり易く紹介され、そのグーテンベルクが1440年に印刷した聖書をロシアのペテルブルクの図書館で見た福澤諭吉に話を展開させていった。
福澤の女性解放や身分制度の打破の主張など優れた先見性を指摘し、特に『学問のススメ』の出版を高く評価した。ちなみにミズノプリテックは『学問のススメ』の復刻版を出版している。この書は未だにオリジナル版がどこで印刷されたかは現在も不明とのことであった。
話は料紙(被印刷体)に関しエジプトのパピルス、その後の皮革、そして紙に至り、又日本の印刷技術の祖、本木昌造およびその後継者で築地明朝体の活字を発明した平野冨二へと印刷技術に関する古今東西の話が縦横無尽に語られた。そしてミズノプリンティングミュージアムのコレクションは、ミズノプリテックの先代社長(水野理事長の尊父)が自由に資金を使うことを容認してくれたお陰で実現できたとの秘話も披露された。
人類第4の大発明はインターネットと話され、70分を超える講演であったが、水野講師の泉の如く湧き出る博識にあっという間に時間が過ぎたように感じられた。

■ 質疑応答・懇親会

大島理事からの質問

懇親会での初参加者挨拶
通常は、研究報告会のあと記念撮影、旧居留地のミニ・ツアーそして茶話会というプログラム構成を取っていたが、今回は報告会をそのまま延長して質疑・応答および懇親会に入った。懇親会では恒例の初参加者からご挨拶を戴き、次回研究会での再会を約して閉会とした。

今後、コロナ流行がどうなるか予断を許さないが、定例研究報告会は予防措置を十分取りながら実施して行くこととしている。

中央区まるごとミュージアムに参画
Japanese        English 
・日時: 2020年11月8日(日)

  名所・旧跡、画廊・美術館、水辺など、豊かな文化環境に恵まれている中央区は、まち全体が、まさに「ミュージアム」です。
毎年11月初旬の一日「中央区まるごとミュージアム」と題し中央区のあちこちで色んなイベントが企画されています。

当研究会は、街歩きツアー「近代文化の原点・築地居留地史跡を散策しましょう!」
で参加。

・10:00 ~ 12:00 日本語での案内
・13:00 ~ 15:00 英語での案内

・案内者: 村上伊作 (NPO法人築地居留地研究会理事)

2020年11月8日(日)「中央区まるごとミュージアム」が開催されました。
この企画は中央区と中央区文化・国際交流振興会の共済による、中央区を訪れるすべての方々に中央区の文化的魅力を発見・再認識して頂こうというものです。

中央区全体がミュージアムになり色々な場所で、色々な団体が参加し色々なイベントが執り行われました。
当築地居留地研究会は2018年度からの参加で3度目になります。
当研究会では、かつてこの中央区(現・明石町一帯)にあった築地外国人居留地の歴史とレガシーを出来るだけ多くの方々に知って頂こうと、居留地跡地の散策案内を企画。
10:00~12:00日本語での案内、13:00~15:00英語での案内を致しました。
それぞれ15名定員に対し、日本語コース参加者16名(当日参加者1名)、英語コース11名(米国人1名+日本人10名)でした。 英語コースに東京ユニオン・チャーチ(現・表参道)の牧師様も参加され、東京で明治5年に築地居留地内で設立された同教会跡地を訪れ感慨深い様子でした。
やはり参加者の半数以上の方々が、「ここに外国人居留地が有った事知りませんでした、今日参加出来て良かったです」とのコメント。
2時間の散策とはいうものの実質1時間半を、ゆっくり歩き、約20ヵ所の跡地で立ち止まり説明。秋晴れの中皆さん心地よく歴史散策を楽しまれた様子でした。

■ 午前: 日本語での案内 10:00~12:00   案内人: 村上伊作 理事

聖路加国際大学正面玄関前

聖路加国際病院旧棟前の石碑
(薮理事説明)

トイスラー記念館

立教学院発祥の碑

指紋研究発祥の碑

暁星学園発祥の地
■ 午後: 英語での案内 13:00~15:00  案内人: 村上伊作 理事

聖路加国際病院旧棟正面玄関前
一瞬マスクをとって記念写真

アメリカ公使館跡石標

海岸女学校(青山学院)発祥の地

雙葉学園発祥の碑

カトリック築地教会

あかつき公園 シーボルト像

英語コースに参加された松田亜由美さんが素敵なショートビデオ 「築地外国人居留地・WALKING-AROUND-THE-TOWN TOUR」 を作って送ってくれました。 ご覧になってください。

全国大会
◆ 第13回 外国人居留地研究会全国大会 in 新潟 (延期)
コロナウイルス感染拡大の第二波到来している中での開催の在り方について、リモート開催の可能性も検討しましたが、新潟での初めての開催という事もあり、新潟を訪れて見聞する意義を第一と考え、同大会開催を一年延期することとなりました。
来年度の同大会開催に関しましては、改めて日程が決まりましたらご案内致します。
研究報告会
◆ 2020年9月度研究報告会 中止(延期)
9月5日(土)開催を予定しておりました研究報告会「築地居留地と銀座十字屋」は、コロナウイルスの収束方向が見られず、皆さん楽しみにされていたのですが、残念ですが延期する事になりました。
再講演の日時に関しましては後日改めましてご案内致します。
研究報告会
◆ 2020年7月度研究報告会 中止(延期)
7月18日(土)開催を予定しておりました東京藝術大学音楽部楽理科塚原康子教授のご講演は、今般のコロナウイルス問題で会場確保が難しく残念ですが一旦中止とさせて頂きます。
塚原先生には2021年1月23日(土)に改めてご講演して頂く事になりました。 ご期待ください。
現時点における今年度の研究報告会開催予定に関しましては「2020年築地居留地研究会・年間スケジュール」欄をご参照ください。
以上よろしくお願い致します。

研究報告会 「築地あじさい祭り」
◆ 2020年5月度研究報告会 中止(延期)
5月23日(日)開催を予定しておりました「築地あじさい祭り」は、コロナウイルスに関する「緊急事態宣言」が全国に拡大された事を受け、残念ですが一旦中止(延期)する事になりました。

研究報告会
◆ 2020年3月度研究報告会 中止(延期)
3月28日の定例研究報告会は、昨今の新型コロナウイルスによる感染・拡大の状況に鑑み、一旦中止(延期)する事になりました。

研究報告会
・日時: 2020年1月18日(土) 14:00~16:00
・場所: 聖路加臨床学術センター 3階 3302号室
      東京都中央区築地3-6-2

・テーマ: 「築地居留地時代のフルベッキ博士」

・報告者: 中島 耕二
       築地居留地研究会理事、元明治学院大学客員教授、東北大学博士(文学)

■2020年1月度総会 13:10~13:50

研究会新年メッセージ

総会議案
当日は風雨が強く荒天のため、総会の開始時間を10分送らせた。規約により水野雅生理事長が議長となり、事務局大島房太郎理事から議決権保有総数72の所、議決権保有者35、委任状10 合計45で過半数を超え総会の成立を宣言。
議案審議に入る前に1990年の当研究会創立時の発起人の一人であり、2008年のNPO法人化に尽力戴いた元理事の石山稔氏が去る1月8日に病気のため79歳で逝去されたので、出席者全員で一分間の黙祷を捧げた。
その後、添付総会議案第1号議案から第4号議案を審議、賛成多数で可決。第5号議案の理事及び監事改選については、理事は前任の岡野峻氏を除いて重任および鏑木純子氏の監事新任が賛成多数で可決された。全議案の審議を終えて総会を終了した。今後2年間、新理事・監事に当研究会の運営をお願いすることとなった。
総会終了後、新理事による互選で水野雅生氏が理事長に再選された。

■ 研究報告会 14:00~16:00

水野雅生理事長

聖路加国際大学
糸魚川順理事長

中島耕二講師

講演風景

報告会レジュメ

参加者記念写真
水野新理事長から開会の挨拶。荒天ながら63名の熱心な参加者があり感謝が述べられた。
続いて、毎回報告会の会場使用を許可戴いている聖路加国際大学の糸魚川順理事長から、お忙しい中お時間を割いて戴きご挨拶を頂戴した。

フルベッキ博士は1830年にオランダに生まれ、22歳でアメリカに移民し土木技師として働いたのち、大病を契機に召命を覚え神学校に入り、卒業と同時にアメリカ・オランダ改革教会から日本派遣宣教師に選ばれて1859年11月に長崎に到着した。日本はまだ切支丹禁制であったため、私塾、幕府および佐賀藩の語学学校で英学教育に携わり、その中で大隈重信や副島種臣らのちに明治新政府で活躍する若者たちに親しく指導する機会を得た。

維新後新政府から招かれ1869年から1877年までお雇いとして勤め、早々に海外使節団(岩倉使節団)派遣の提言書を提出、大学南校(東大の前身)の教頭、左院・元老院の顧問として欧米法律書の翻訳その他新政府のあらゆる文明開化施策に助言を与えた。1877年にお雇い契約終了となり、明治政府からその寄与するところ大として勲三等旭日中綬章を贈られた。
一時帰国後、日本に戻り1879年から1893年まで足掛け15年間築地居留地内、新湊町に居住し、居留地17番の東京一致神学校(明治学院神学部の前身)で教鞭を取りながら、聖書の翻訳、讃美歌の編集、関東のほか九州、四国、信州、北陸、東北の各地方に直接伝道に出張し、各地の教会の形成を助け日本のプロテスタント布教に大きな功績を残した。
築地居留地では妻子をアメリカに住まわせ、東京女子師範学校、立教女学校の教師となった二女のエマと共に住んだ。フルベッキ博士はオランダの国籍を失い、アメリカでも市民権を得られず無国籍であったが、明治政府から日本における国内旅行・居住の特許状を得た。
1894年以降の晩年は赤坂葵町(ホテルオークラの辺り)に住み地方伝道を続けたが、持病の腎臓病、心臓病が悪化、1898年3月心臓麻痺のため召天した。享年68歳。葬儀は芝教会で執り行われ、明治天皇から500円の下賜金および近衛儀仗兵が差し向かれ、遺体は儀仗兵に守られて青山墓地に埋葬された。翌年教え子たちによって大きな墓碑が建てられた。

講師の中島氏は、フルベッキ博士の日本での生涯を語る時、長崎時代およびお雇い時代の活躍に注目が集まるが、彼にとってはその時代は築地居留地時代の伝道活動を豊かにするための助走期間であった」と結論された。
質疑のあと、次回の報告会で講師をされる銀座十字屋会長の中村千恵子氏からご挨拶を戴いた。


■ 講師を囲んでの茶話会

茶話会風景

茶話会風景

二次会(懇親会)
フルベッキ博士の旧居跡などの散策を予定していたが、雨が続いて降っていたため中止し、若干早めに茶話会を開始した。
39名の出席があり、報告会では聞けなかったことなど熱心な質疑が行われ、いつになく盛り上がったが、フルベッキ博士のことになると「フルベッキ群像写真」に関心が集まり、結論の出ない話に時間が取られ残念な思いがした。
最期にいつもの通り、報告会に初参加の方に自己紹介がてら挨拶を戴き散会となった。


研究報告会 「特別講演」
Japanese        English 
・日時: 2019年11月23日(土) 14:00~16:00
・場所: 聖路加臨床学術センター 3階3301号室
      東京都中央区築地3-6-2

・テーマ: 「ミスター築地:ジョン・ビンガムとは?」
       激動の明治時代、築地が見た日米の歴史

・報告者: サミュエル・キダ―(Samuel Kidder)
      元在日アメリカ大使館商務担当公使、元在日アメリカ商工会議所専務理事

■ 研究報告会 14:00~16:00

水野雅生理事長

I山本泰人中央区長

講演者キダー氏

ミセス・キダ―による
通訳

旧アメリカ公使館全景

ベイネット社による取材

参加者記念写真
大島理事の英語による司会で開会。
水野理事長の元駐日米国大使ライシャワー氏が少年時代に築地居留地にあったアメリカン・スクールに通っていたことなどエピソードを交えて開会の挨拶。
続いて山本泰人中央区長から、中央区は日本橋、銀座、築地のように近代日本の金融、商業、工業、教育、文化の発祥の一大中心地であり、この史実をもっと区民、都民、国民に知って貰うことが必要で、そのために今後努力していきたいとの力強いご挨拶を戴いた。またこの度、日野原重明先生、矢田美英前区長に続いて、我々NPO法人築地居留地研究会の名誉顧問にご就任戴いた。

キダー氏の講演はパワーポイントを使い英語で行われたが、ミセス・キダーから同時通訳のような名訳が瞬時に行われたことから、ほとんど日本語の講演を聴いているような感じであった。
アメリカ公使館(現在の大使館)は、1874(明治7)年から1890(明治23)年に赤坂へ移るまで16年間、築地居留地1,2,3,21,22番(現在の聖路加ターワーの場所)にあった。
ジョン・ビンガム(John Armor Bingham, 1815-1900)はペンシルベニア州で生まれ、オハイオ州で育ち同州フランクリン大学を卒業し、オハイオ州下院議員となり、やがてリンカーン大統領のアドヴァイザーを務め、1868年に「合衆国市民権は出生または帰化によって取得される」とする米国憲法修正第14条を起草し、アメリカの公民権、奴隷解放、人権擁護の法的根拠を築いた。
大物政治家として、グラント大統領から日米の関係強化のため駐日公使(現在の大使)として派遣され、1873(明治6)年9月に着任し1885(明治18)年7月に本国に帰任するまで12年間在職(歴代最長)し、11年間を築地居留地で過ごした。
ビンガムは、在任中、列強と日本の不平等条約の見直しによって、明治政府の弱体化を防ぎ、欧州列強の進出を食い止める努力をした。また下関戦争による幕府・明治政府の英、仏、蘭、米に支払われた賠償金300万ドル(アラスカ買収費は720万ドル)のうちアメリカが受領した78万5,000ドルの全額(20年分の利息プラス)返還を本国政府に説いて、1883(明治16)年に上院を通過させた。またデビット・タムソンなどアメリカ人宣教師と交流し、日本のキリスト教布教を支援した。

キダー氏は丁寧かつ熱をもって語った最後に、ビンガムはアメリカでは忘れられた政治家となっているが、日本に於ける彼の働きを基に再評価につなげていきたいと結んだ。
本講演によってビンガム公使が築地居留地を舞台に、日本と欧米列強との不平等条約改正および下関戦争賠償金の全額返還(横浜築港に充当)に尽力してくれたことを学んだが、このことは長く記憶して置かなければならない。



■ ミニ・エクスカーション 16:10~16:40

トイスラー記念館

居留地跡小ツアー

聖路加タワー2階ホールで
そぼ降る雨の中であったが中島理事の案内で、トイスラー館(藪理事の説明)、旧アメリカ公使館跡地、米国建国100年記念モニュメント等のミニ・ツアーを行い、往時を偲び今日を新たに考えた。
旧アメリカ公使館跡地には是非記念碑の設置を実現したいと、中島理事から抱負と支援の訴えがあった。


■ レセプション・ディナー 17:00~20:00

ディナー風景

キダー氏スピーチ

ビンガム公使晩年の写真
京阪ホテル・オクターヴァでキダーご夫妻を囲んで歓迎ディナーを開催。
40人を超える参加者で大盛況であった。キダーご夫妻の前の席をフリーにして、5分間誰でも話が出来るという工夫をした結果、時間オーバー者が続出し、リピーターもいて講師と参加者の熱心な質疑が交わされた。
また恒例により初参加、新規入会の方からスピーチを戴いた。
最後にキダー氏から水野理事長にビンガム公使の晩年の額装写真の贈呈があり、ホテルとの契約時間を1時間近く超過し、温かい日米交流の有意義な夕べを持つことが出来た。
築地居留地研究会の益々の充実と発展を祈って、参加者は家路についた。

中央区まるごとミュージアム2019
Japanese        English 
■ 街歩きツアー 「かつて東京にあった外国人の
  街を歩いてみよう」

■ 「Let’s walk around
   “Tsukiji Foreign Settlement” in Meiji era」

・日時: 2019年11月4日(月・祝)
10:00~12:00 日本語でのご案内
13:00~15:00 英語でのご案内

・費用・定員: 無料 30名 (どなたでも参加歓迎)
・案内人: 村上伊作 NPO法人築地居留地研究会・理事
・集合場所: 聖路加国際大学正面玄関前 (明石町10-1)

■ テーマ:中央区まるごとミュージアム2019 「街歩きツアー」

今年は、午前10時から12時まで 「街歩きツアー かつて東京にあった外国人の街を歩いてみよう」
午後1時から3時まで 「Let’s walk around “Tsukiji Foreign Settlement” in Meiji era」 と題し、午前は日本語で、午後は英語で築地外国人居留地跡地の案内を行った。 午前と午後も当研究会の村上伊作理事が案内。

和気あいあい、ゆっくり探索。 参加者、かつてこの地に外国人居留地が存在していたことを初めて知った方がほとんど。また多くの有名学校もこの地で発祥したり、また一時期開設されていた事を知り興味深く説明を聞いておられました。

午後1時からは初めての試みとして、特に中央区に住んでおられる外国の人向けに、英語での案内を試みる。
午後は15名の参加でしたが、2名がアメリカ人で、他は全員日本人でした。大半が日本人なれど案内は英語で行う。
アメリカ人二人の内のお一人が11月23日に特別講演をして頂く事になっているサミュエル・キダー氏が特別に参加されました。 アメリカ公使館跡地では補足説明をしてくれました。
英語コースに参加して頂いた13名の日本の方々ですが、多くの皆さんが外国人のお友達を持っておられ、お友達が中央区にやってきた時は、彼らを英語で案内したいと言っておられました。
彼らが外国のお友達に、かつてこの中央区にあった築地外国人居留地の歴史とレガシーを伝えて頂けば、私たち研究会の喜びとするところです。

■ 午前:日本語での案内 10:00~12:00

トイスラー記念館内

立教学院発祥の地

立教女学院校舎跡地

女子聖学院発祥の地

聖路加タワーテラスにて

■ 午後:英語での案内 13:00~15:00

米国公使館跡地
キダー氏による補足説明

明治学院記念碑

青山学院記念碑

あかつき公園
  シーボルト像

隅田川沿いで記念写真

研究報告会

・日時: 2019年9月28日(土) 14:00~16:00
・場所: 聖路加臨床学術センター 3階3302号室
     東京都中央区築地3-6-2

・テーマ: 「活字が築地に来るまで -印刷とキリスト教伝道-」

・講 師: 宮坂 弥代生 (みやさか やよい)
      明治学院大学非常勤講師、中央大学政策文化総合客員研究員

■ 研究報告会 14:00 ~15:45

宮坂弥代生先生」

報告中の宮坂先生

講演レジュメ

会場風景

参加者記念写真
大島房太郎理事の司会により開会。水野雅生理事長の日頃の研究会への協力に対する感謝、続いて中島耕二理事から本日の講師、宮坂弥代生先生の紹介、そして報告会へと入った。

宮坂弥代生先生は都立築地産院で産湯を浸かり、実家は築地で印刷会社を経営していたという正真正銘の築地っ子。しかも日本ではほとんどいないという印刷史の研究者(中国語の先生でもある)で、築地居留地研究会の研究報告者としてピッタリの講師をお迎えした。

報告は東洋と西洋の印刷技術の発展比較、グーテンベルクの金属活字の発明と聖書印刷、19世紀にグーテンベルク技術の中国、日本への伝播。上海のミッションプレス美華書館の貢献(中国人への技術移転、ブラウン『日本語会話』の印刷、ヘボン『和英語林集成』の印刷と岸田吟香、ガンブル所長の長崎来航と宣教師フルベッキの斡旋、本木昌造への技術指導)、平野冨二の東京神田そして築地への進出、築地活版製造所社長。美華書館は中国人・日本人による印刷所の台頭をもって1931(昭和6)年の閉鎖までを、印刷と紙質やインキの関係なども含め、時系列に印刷技術用語など難しい内容をわかり易く、丁寧にかつはきはきとした築地弁で説明を戴き、大いに知見を広げさせて戴いた。

水野理事長を始め印刷関係の参加者の方からは、興味深い話に吸い込まれたと大満足の感想が聞かれた。
報告会終了後、聖路加国際病院チャペル前で記念撮影を行い、旧居留地のミニエクスカーションを実施、その後ミズノ・プリンティングミュージアムの見学に移動した。


■ ミニエクスカーション 16:10~16:40

水野理事長の案内

明石小学校前

伊藤素子理事の案内
(立教女学校記念碑前)

■ ミズノ・プリンティングミュージアム見学

ミュージアム見学

ミュージアム見学

水野理事長、宮坂先生、中島理事

宮坂先生を囲んで
■ 講師を囲んでの茶話会 17:30~18:30

ミズノプリテック様の食堂をお借りし、茶話会を実施。
報告会の余韻を残して、宮坂先生に聞き漏らしたことを自由に質問し、初参加の方の自己紹介など楽しいひと時を過ごした。
次回報告会で再会を期して解散とした。

研究報告会

・日時: 2019年7月13日(土) 14:00~16:00
・場所: 聖路加臨床学術センター 3階3302号室
      東京都中央区築地3-6-2

・テーマ: 「村岡花子と『赤毛のアン』」

・講 師: 村岡 恵理(むらおか えり)
        作家、村岡花子・孫
・著 書: 「アンのゆりかご 村岡花子の生涯」 (新潮社)  
      「村岡花子と赤毛のアンの世界」 (河出書房新社)
      「ラストダンスは私に 岩谷時子物語」 (光文社) 7月15日刊行予定

■ 研究報告会

講演テーマ
 村岡花子と「赤毛のアン」

村岡恵理講師

講演会風景

参加者記念写真
今回は、「村岡花子と『赤毛のアン』」というテーマで、2014年の前半、NHK朝の連続ドラマ「花子とアン」の原作者村岡恵理さんを迎えての講演であった。
村岡(旧姓、安中)花子は、大正8(1919)年に築地にあった日本基督教興文協会という出版社に勤めており、その半年後に村岡儆三と結婚、新しい人生の道を歩み始める。儆三は、当時横浜にあった福音印刷の御曹司であり、興文協会の印刷を一手に引き受ける福音印刷銀座支店の支店長でもあった。その印刷所は、銀座四丁目教文館の真裏にあった。
講演は、そこに至るまでの花子が甲府で生まれてから、東京に移り、父の勧めで東洋英和女学校に入ったいきさつ、そこで受けた厳しい英語教育、カナダ人女性宣教師の教育への情熱、そこで見聞きしたカナダ人のライフスタイルの細かい点にまで及んだ。特に、図書室の英語の本をすべて読んでしまうほどの花子の英文学への傾倒は他の追随を許さぬものがあったようだ。それに加えて、寮で出会った柳原白蓮や、佐々木信綱による和歌の指導は、英文学では学ぶことのできない日本語表現力への感性を培った。しかし、学校での影響にとどまらず、その後出会った片山広子や広岡浅子などとの交流は、花子の視野を広げ、のちに残るまでの人脈と影響関係を作る素地となった。処女作『爐邉』(1917年)の出版がきっかけで勤めるようになった興文協会は関東大震災で焼失、その後教文館と合併し、現在に至る。
花子も教文館で編集者として活躍するが、昭和の初めには「ラジオのおばさん」として親しまれ、子供の新聞の番組を受けもち、「全国のお小さい方々、ごきげんよう!」という挨拶で全国に知られるようになった。一方、戦争への道を突き進む日本から、花子が親しんだカナダ人宣教師は次第に去っていったが、その中のひとり、L. L. ショウさんから手渡されたのが、『赤毛のアン』の原書Ann of Green Gablesであった。花子は戦時下でも黙々と翻訳をつづけ、戦火のなかも訳稿を守り、戦後になってようやく出版にこぎ着けたいきさつや、日本語の題名が決まった話など、1時間半に及ぶ講演は、興味尽きない充実したもので、花子をはじめ、当時の女性たちが学んだ教育の力を改めて感嘆させるものであった。 (渡部満)



■ エクスカーション

興文協会跡地で
渡部満教文館社長による説明

エクスカーション
エクスカーションは、花子と儆三が暗号のように呼び合っていた「8番」、つまり当時の築地明石町8番地にあった日本基督教興文協会の跡地を訪ねた。
当時の地図を頼りに、隅田川沿いに歩いていくと、かつては瀟洒な洋館が並んでいたあたりは、新しい小道ができ、マンションの立ち並ぶ一角であった。ここら辺はすべて関東大震災で焼け落ち、その後の帝都復興事業では、隅田川からの物資や資材の陸揚げ基地となったあたりだ。跡地の確認ののちは、いくつかの築地ゆかりの碑を巡り歩き、築地からさまざまな近代文化が日本に広がっていった足跡をたどる時間となった。 (渡部満)


■ 講師を囲んでの茶話会

茶話会風景

茶話会風景
今回は、講演の参加者が定例報告会としては最高の118名を数え、エクスカーションも茶話会も多数の参加者でにぎわった。
特に今回は、花子と儆三が一緒に通ったカフェ・パウリスタのオーナー長谷川さんからコーヒーの提供もあり、一味違った会となった。
幾人もの初めての参加者もあり、活発な質問や、意見の開陳もあった。齢86歳を数えるご婦人は、東洋英和を卒業した祖母から言い聞かされてきた教えが、恵理さんの語る東洋英和の教育に原点があることが確認できたと話し、また別の方は広岡浅子を通しての村岡花子と市川房枝とのつながりを発見したなど、新しい知見も述べられ、なごやかで、活発な意見交換となった。また、村岡恵理さんの新著『ラストダンスは私に 岩谷時子物語』(光文社)の紹介もあり、恵理さんの今後の活躍を祝す会でもあった。岩谷時子物語もNHKの朝ドラになるといいですね。 (渡部満)

研究報告会 「築地あじさい祭り」

・日時: 2019年5月18日(土) 14:00~16:00
・場所: 聖路加臨床学術センター 3階3301号室
      東京都中央区築地3-6-2

・テーマ: 「シーボルトと日本 
      -二人の息子とおイネの活動にも触れながら-」

・報告者: 沓澤 宣賢 (くつざわ のぶかた)
        前東海大学教授、洋学史学会会長、日本シーボルト協会代表幹事

■ 研究報告会

沓澤宣賢講師

講演会会場風景

講演会会場風景

講演レジメ

シーボルトに関する貴重な
古書及び参考書

参加者記念写真
令和最初の定例報告会。今回のテーマは「シーボルトと日本 ~二人の息子とおイネの活動にもふれながら~」。
シーボルト研究の第一人者沓澤宣賢先生による講演。

フィリップ・フランツ・フォン・シーボルトは医師の家系に生まれ(1796年)、ビュルツブルグ大学医学部を卒業。
1823年8月(27歳時)にオランダ商館付き医師として一回目の来日をする。シーボルト来日の目的は、彼自身が持っていた日本研究の意図とオランダ東インド政庁の依頼に基づく日本の博物学調査であった。一回目の日本滞在時には鳴滝塾を開設するなどし日本の医師に西洋医学の伝授をするかたわら日本研究に多くの時間を費やす。シーボルトは自身が入手した資料以外に、日本人の学者、門人などの協力を得て膨大な資料を収集。しかしシーボルト事件により国外追放(1830年)となる。

オランダに戻ったシーボルトは、日本駐在中に取集した膨大な資料を基に日本研究の成果をまとめ、研究書「日本」を出版し、日本研究家としての名声を得る。その知識と情報がのちに日本開国の為活用されることになっていく。
1858年日蘭修好通商条約が結ばれ、シーボルトに対する追放令が解除。1859年シーボルト(63歳)は長男アレクサンダー(13歳)を帯同し再来日。再来日の目的は日本の国際社会参入への手助けと「日本」と「日本植物誌」の未完部分の完成であった。1860~61年にかけ父シーボルトは幕府の外交顧問としてアドバイスするなど幕末外交でも活躍をした。
父シーボルトの説明後、日本で活躍した二人の息子(長男アレクサンダーと次男ハインリッヒ)と娘おイネ、それぞれの人物像と活動についての説明に入る。

長男アレクサンダーは父シーボルトの再来日(1859年)の際に同行来日(当時13歳)。彼はその後日本政府(民部省、大蔵省、外務省)のお雇い外国人として40年勤務し、その間日本の近代化に大きく貢献(ウイーン万博、条約改正の際の活動、日清戦争、義和団事件の際の新聞操作等)。その功績が讃えられ1910(明治43)年日本政府より勲二等瑞宝章を授与されている。

次男ハインリッヒはアレクサンダーの勧誘に従い1869(明治2)年に来日(当時17歳)。ハインリッヒは長年駐日オーストリア・ハンガリー帝国公使館に勤務し、その間ウイーン万博に兄と共に参加、また1882年には条約改正予議会に参列しその功績により勲三等旭日小緩章が授与されている。ハインリッヒは単に政治的活動のみに留まらす、欧州の考古学を日本に紹介。長年にわたって蒐集した日本民俗学資料をウイーンの博物館に寄贈し、日本文化を紹介するなど考古学、民俗学、日本文化研究分野でも活躍している。

最後に、シーボルトが一回目の滞在の際に、日本人妻お滝との間にもうけた娘おイネの紹介。 イネは父の弟子石井宗謙や二宮敬作、そしてオランダ人医師ポンペ等の指導を受け、蘭方女医として、幕末から明治期にかけて活躍。父と娘は医学を通じて、遠く離れていたがお互いに強いきずなで結ばれていた。そして明治3年~10年に築地に産科医を開いていた事も紹介された。
フィリップ・フォン・シーボルトをはじめ二人の息子、娘おイネの実像とそれぞれの活動や功績が次々系統だって紹介されるわかりやすい講演でした。


■ エクスカーション

あかつき公園シーボルト胸像

シーボルト胸像の前で記念写真
エクスカーションは、あかつき公園にあるシーボルトの胸像を訪れる。
ここで国内外各所に存在するシーボルトの銅像、胸像、記念碑の紹介が沓澤先生よりなされた。あかつき公園にある胸像はライデンのシーボルトハウスにある胸像と同じものである事。その他ライデン大学シーボルト植物園にある胸像、一番有名なのがビュルツブルグにある胸像、意外なところとしてはウイン・シェーンブルン宮殿にシーボルトの石碑があるとの事。
日本では、長崎シーボルト記念館前にある銅像、鳴滝塾跡地の胸像、長崎大学坂本キャンパスにはシーボルト記念碑があるとの説明がありました。


■ 講師を囲んでの茶話会

ハインリッヒ・シーボルトの子孫
関口忠志氏と奥様

茶話会風景

茶話会風景
エクスカーション後講演会場に戻り、沓澤先生を囲んでの茶話会を催す。茶話会出席者37名。
今回は会員、一般参加者に加え、ハインリッヒ・フォン・シーボルトの子孫関口忠志氏をはじめ日本シーボルト協会からの参加者もあり、いつも以上に充実した質疑応答のやり取りがなされた。当初予定した1時間では時間不足になるほどでした。

■ 二次会

二次会

二次会
茶話会後、二次会へ。 東銀座の「築地きたろう」でお寿司を頂くことに。沓澤先生の良きお話を伺った流れで、一杯、二杯とお酒もお話もさらに弾む。
途中、「第九」をドイツ語で歌う事から始まり、ロシア語の歌、中国語、韓国語、英語の歌と次々歌うことに。たっぷり2時間大いに盛り上がる二次会となった。

研究報告会

・日時: 2019年3月23日(土) 14:00~16:00
・場所: 聖路加臨床学術センター 3階3302号室
      東京都中央区築地3-6-2

・テーマ: 『築地居留地と近代音楽-讃美歌と青年たちの出会い-』
      with 聖路加国際大学聖歌隊による合唱

・報告者: 中島 耕二 (なかじま こうじ)
       築地居留地研究会理事・東北大学博士(文学)
       明治学院大学元客員教授・フェリス女学院資料室研究員、
       長崎外国語大学客員研究員

■ 研究報告会: 14:00~15:30

報告者中島耕二理事

報告者中島耕二理事

講演レジュメ

会場風景

聖路加国際大学聖歌隊演奏

北村季晴作曲長野県歌『信濃の国』独唱

参加者記念写真

理事長・講師と聖歌隊のみなさん
大島房太郎理事の司会、水野雅生理事長の研究会への協力に対する感謝の挨拶、続いて報告会へと入った。
近代西洋音楽の日本への流入は1853年のペリー艦隊の来航に端を発していること、その時、軍楽隊の演奏するアメリカ国歌やフォスターの曲とともに、主日に艦上で礼拝が行われ、士官・水夫300名が讃美歌の曲に合わせ合唱したこと、日本人が最初に耳にした西洋音楽の原点の一つに讃美歌があったことが紹介された。
その後各地に出来た外国人居留地を中心に日本人と西洋音楽の触れ合いが生じ、取り分け築地居留地では宣教師住宅、教会、ミッションスクールが立ち並び、日本人青年たちが讃美歌を通して西洋音楽を吸収していく姿がみられた。特に1880(明治13)年に居留地7番に出来た築地大学校(明治学院の前身)に学ぶ生徒の中から音楽に秀でた青年が多数輩出した。
彼らは居留地内の新栄教会で讃美歌に触れ音楽家を目指すようになった。納所辨次郎(兎と亀)、小山作之助(夏は来ぬ)、内田粂太郎(秋景)、北村季晴(信濃の国)、大塚淳(慶応義塾新応援歌)らは皆現在の東京芸術大学音楽学部に進学し、大作曲家となった。大塚淳と従弟の山田耕筰も居留地6番B棟の宣教師館で少年期を過ごし、新栄教会にも通い讃美歌の旋律や、居留地の家庭や外国公館から漏れてくるピアノの音によってその才能を磨いていった。
ここ築地居留地が日本の西洋音楽の多くの担い手たちを育んだ土地であったことが、豊富な史料によって紹介された。
講演の合間に讃美歌や作曲者ゆかりの曲が聖路加国際大学聖歌隊の皆さんにより演奏され、最後に山田耕筰の代表作の「赤とんぼ」を参加者全員で歌って報告会が閉じられた。いつになくほのぼのとした楽しい報告会となった。
83名の参加があった。



■ エクスカーション: 16:00~16:45
後の大作曲家たちが学んだ築地大学校跡地7番や山田耕筰ゆかりの6番B棟の跡地を中島講師の案内で訪ね、青年たちが行き交う往時に思いを馳せた。


■ 講師を囲んでの茶話会: 16:50~17:50

茶話会風景

茶話会風景

いのちのことば社
「クリスチャン新聞」
講演中に突然のお願いにもかかわらず、快く北村季晴作曲の長野県歌『信濃の国』を歌って戴いた栗山正雄さんに県歌の話を伺い、また初めて報告会・茶話会に参加された方から自己紹介および築地居留地研究会の例会へ参加した動機などを話して戴いた。単に面白いテーマであったから参加したという人、あるいは国会図書館の元職員で歴史に造詣の深い方など、この研究会が広い範囲から参加者を得ていることが分かり、頼もしく感じた。楽しい時間はすぐに過ぎて、次回5月の報告会での再会を約して散会となった。

☆ いのちのことば社「クリスチャン新聞」の中田朗記者が報告会の取材に来られ、4月7日付紙面に大きな記事を掲載戴いた。(右上にPDFを掲載)

総会・研究報告会

・日時:2019年1月19日(土) 13:00~16:00
・場所:聖路加臨床学術センター 3階3302号室
     東京都中央区築地3-6-2

・テーマ: 築地居留地と「カフェーパウリスタ」

・報告者:長谷川 泰三 (はせがわ たいぞう)
      慶應義塾大学経済学部卒  カフェーパウリスタ五代目社長・
      現相談役
      著書「カフェーパウリスタ物語」(文園社)  ノンフィクション部門最優秀作品

■ 築地居留地研究会通常総会: 13:10~13:50

通常総会・議案

通常総会

松井監事による会計監査報告
大島房太郎理事の司会により開会が宣せられ、総会出席者定数を満たし総会成立の旨が報告された。
議長に理事長の水野雅生氏を選任、以降第1号議案から第5号議案まで審議が行われ、全議案とも賛成多数で承認となりつつがなく総会を閉じた。


■ 研究報告会: 14:00~16:00

講演レジュメ

講師・長谷川泰三氏

報告会風景

講師と集合写真
定例研究報告会に先立ち、当研究会の水野雅生理事長から新年の挨拶があり、本日の講師:長谷川泰三氏の紹介が行われた。
長谷川泰三氏は昭和11年(1936年)、東京・八丁堀の生れで、慶応大学経済学部卒。 日東珈琲株式会社入社後、1995年取締役社長に就任、2006年退社後同社前身だった明治創業の喫茶店「カフェ-パウリスタ」について全国から多数の問合せを受け、店の歴史を徹底的に研究。
日本の文化と、日本人の食生活に計り知れぬ影響を与えていたことを現在も確認中とのこと。
著書『カフェ-パウリスタ物語』2008年発刊、ノンフィクション部門最優秀作品。
講演内容は、白河貞二の流行歌「モダン東京ロマンス」の歌詞内容の解説から始まり、「カフェ―パウリスタ」のブラジルの語源は「サンパウロ子のコーヒー」だそうな。
創業者であるブラジル移民事業の立役者「水野 龍」についての解説、そして我が水野理事長が発刊された福沢諭吉の「学問のすすめ」(解説付き)の現物をご披露された。
店員の教育・指導上、顧客に対する「出迎え3歩、見送り7歩」・親密さを深める手法として、「相手の名前を必ず記憶する」大切さを強調。有名人の多彩なポイントを引用した話は続く。
長谷川氏の著書「カフェ―パウリスタ物語」を天皇・皇后両陛下が読まれた事が判明。普通なら「凄い。ヤッター!!」と単純に喜ぶべきだが、「何と両陛下の読書分野が思った以上に広く、改めて感服した。」と謙虚なご意見を述べられている。
カフェ―パウリスタの功績、
①日本人にコーヒー飲用の習慣を与え、世界第3位(米国・ドイツ・日本)の大消費国とした。
②日本の文明、文化を誕生させた。
③沢山の人材を育て日本の食品業界に送り出した。
④日本の喫茶店の原型を作った。
長谷川講師、独特のゆったりした快い話を聞き、アツという間に終了となった。


■ トイスラー記念館案内: 16:10~16:30

トイスラー記念館

トイスラー記念館内部

トイスラー記念館内部
集合記念写真撮影後、薮純夫理事がトイスラー記念館を案内。
トイスラー記念館は昭和8年明石町19番地に聖路加国際病院の宣教師館として建設された鉄筋コンクリート2階建て一部木造の西洋風住宅。平成元年に解体工事が行われ、平成10年に現在地に移築復元された。
聖路加病院の簡単な歴史についての説明がなされた。


■ 講師を囲んでの茶話会: 16:40~17:40

茶話会風景

茶話会風景

二次会・玉寿司にて
参加人数 41名 今回、特別にカフェ―パウリスタさんのコーヒーとバウンドケーキを用意され、参加者全員ご馳走になりながら茶話会が始まった。
長谷川講師は幼少の頃、明石町にお住まいで、特に旧・入船町8丁目1番地在住の芥川龍之介に纏わる話は迫力が感じられた。
他にも多岐にわたっての質疑・応答があったが、特に長谷川講師の兄長谷川浩一氏(当・研究会理事、カフェ―パウリスタ会長)のお話。
弟の長谷川講師はカフェ―パウリスタが我が国に果たした功績を、具体的な事例を挙げ、歴史的観点からこの世に残す使命を維持し、現在も逞しく調査を続ける姿勢に感謝の念を持っているとのご発言。この様なご兄弟の強い結束が、歴史ある企業維持の原点と感じた。

第11回 外国人居留地研究会全国大会 in 築地
第11回 外国人居留地研究会全国大会 in 築地第11回 外国人居留地研究会全国大会 in 築地
・テーマ: 「居留地と女子教育」
・日 程:2018年11月3日(土) 13:00~17:00

   3日(土): 全国大会 (於:聖路加国際大学)
         基調講演: 小檜山ルイ氏
                (東京女子大学教授)
   4日(日): エクスカーション 旧築地居留地跡


第11回 外国人居留地研究会全国大会
  2018年11月3日(土)13:00~
■ テーマ:「居留地と女子教育」
・会場: 聖路加国際大学アリス記念ホール 
・総合司会: 村上伊作 (当会・理事)
・主催者挨拶: 水野雅生 (当会・理事長)
・来賓ご挨拶: 矢田美英氏 (中央区長)
・来賓ご挨拶: 福井次矢氏 (聖路加国際大学長・聖路加国際病院長)
・基調講演: 小檜山ルイ氏 (東京女子大学教授)
・シンポジュウム:コーディネーター 中島耕二 (当会理事)

■ 懇親会 於:クレストンホテル32階 プラシャンティ 
・ご挨拶: 神木哲男氏 (全国外国人居留地研究会会長)
・ご挨拶: 渡辺明良氏 (聖路加国際大学法人事務局長)
・ご挨拶: 陣内秀信氏 (中央区立郷土天文館館長)
・ご挨拶: ジョアンナ・シェルトン氏 (築地居留地在住宣教師子孫、元OECD事務次長)

■ 二次会 於:銀座カフェー パウリスタ (銀座8丁目)
・小講演: 「カフェーパウリスタ」 長谷川泰三 (カフェーパウリスタ5代目社長、現相談役)

2018年11月4日(日)10:00~
■ エクスカーション 旧築地居留地跡 案内 中島耕二、村上伊作


■ 全国大会の様子を写真で紹介 (写真クリックでウインドが開きます)
 11月3日(土)
  大会会場
 11月3日(土) 4日(日)
  懇親会/二次会/エクスカ―ション
研究報告会 「特別講演会」 

・日時:2018年9月22日(土) 14:00~16:00
・場所:聖路加臨床学術センター 3階3302号室
     東京都中央区築地3-6

・テーマ:築地居留地跡地に建つ塩瀬総本家 「塩瀬660年の歩み」

・報告者:川島英子 (かわしま えいこ) 塩瀬第34代当主・取締役会長

・エクスカーション:居留地跡散策 16:10~16:40

■ 特別講演: 14:00~16:00


講師の川島英子氏

発表レジュメ

報告会風景

講師の著書

集合写真 聖路加国際病院礼拝堂前
今回の報告会は、旧築地居留地17番2(現在の明石町7-14)に建つ、塩瀬総本家の34代当主で現在、取締役会長を務める川島英子氏にお願いし特別講演会として開催された。
川島会長は老舗和菓子屋の経営者に留まらず、豊富な知識に裏打ちされた著書も出版され、一級の文化人として良く知られている。
本日の講演では、660年を遡る僧林浄因による塩瀬創業の話、ある日の墓参りからルーツを知ることになった話、塩瀬の家訓を守りながら御夫婦で苦労を重ねて事業の発展を遂げた話、その一つ一つが感動を伴う話であった。
また川島会長が大正13(1924)年の生まれと聞き、誰もがその元気と変わらぬ聡明さに驚かされた。
講演後、著書『まんじゅう屋繁盛記・塩瀬の六五〇年』(岩波書店、2006年)の頒布会とサイン会が行われが、購入者ひとりひとりに丁寧にサインをされている川島会長の姿にまた感動させられた。



■ エクスカ―ション: 旧居留地跡と塩瀬総本店の店内見学

村上理事による案内

塩瀬総本店入口

塩瀬総本店内部

塩瀬のお饅頭


■ 講師を囲んでの茶話会

茶話会風景

茶話会風景

水野理事長の点茶

水野理事長の点茶
講師の川島会長を囲み茶話会を開いたが、会長の日々感謝してその日を過ごすことが大切という人生哲学を伺い元気を戴き、当研究会水野理事長による点茶により、抹茶と塩瀬まんじゅうが出席者に配られ、文字通り楽しく美味しい茶話会となった。

研究報告会
・日時:2018年7月28日(土)14:00~16:00
・場所:聖路加国際大学4階 402号室

・テーマ:「築地と横浜」

・報告者:斎藤多喜夫(さいとうたきお)
       横浜外国人居留地研究会・会長
       横浜開港資料館・横浜都市発展記念館元調査研究員


■ 研究報告会: 14:00~16:00


講師の斎藤多喜夫氏

テキスト

報告会風景

講師の著書(1)

講師の著書(2)

集合写真 聖路加国際病院礼拝堂前
報告会の開始に当たって水野雅生理事長から挨拶そして大島房太郎理事の司会によって斎藤多喜夫講師の紹介が行われた。
斎藤氏は長く横浜開港資料館の調査研究員として勤務され、その間研究成果を論文として多数発表され、また横浜の近代史に関する著書も多く、居留地研究に関しても第一人者として著名である。
講演では開国に伴い設置された居留地の開港場と開市場の違いから説かれ、居留地と雑居地、居留地の範囲、居留地と日本人の関係、領事制度と治外法権等居留地に関する法的根拠を分かり易く、めずらしい資料など実例を示して話され、従来我々が漠然と理解していた居留地をより明確な理解へと導いて戴いた。
後半は築地居留地と横浜居留地間の蒸気船、乗合馬車の運営と経営、製靴業起業のかかわり、ミッション・スクール等を取り上げて説明され、これらが横浜から築地に伝承されて行ったことを示された。築地居留地研究に取って横浜居留地を知ることの重要性を改めて認識させられる講演であった。

当日は台風の迫る中にも拘わらず、50人近い参加者を得て、参加者の皆さんの熱意がほとばしる充実した研究会となった。



■ エクスカ―ション: 台風のため中止

■ 講師を囲んでの茶話会: 台風のため中止

*台風接近のため、残念ながらエクスカ―ションおよび茶話会を中止としたが、
  安全第一のためご了承ください。

研究報告会 「築地あじさい祭」 
・日時:2018年5月19日(土)14:00~16:00
・場所:聖路加臨床学術センター 3階 3301号室
     東京都中央区築地3-6

・テーマ:「PHILLIP FRANZ VON SIEBOLD AND HIS FAMILY」
・報告者:Constantin von Brandenstein-Zeppelin博士
             フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト子孫
             ブランデンシュタイン家当主・城主

・テーマ:「外交官アレクサンダー・フォン・シーボルトの見た明治日本」
・報告者:堅田智子(かたださとこ) 博士(史学)
             上智大学文学部特別研究員・非常勤講師、

・ハインリッヒ・フォン・シーボルトの子孫関口忠志氏とイネの女系子孫の方々も
 特別参加

■ 特別講演: 14:05~14:45


講師 フォン・ブランデンシュタイン博士(飛行船のツッペリンの子孫でもある)

プレゼンテーション資料

講演終了後フォン・ブランデンシュタイン博士が日本におけるシーボルト子孫たちを紹介
今回はドイツにおけるシーボルトの子孫(次女マティルデの子孫)コンスタンティン・フォン・ブランデンシュタイン=ツェッペリン博士、翌日の5月20日(日)に香取市で 開催される「伊能忠敬翁没後200年記念式典」にご参加のため来日され、当研究会・水野理事長の依頼で、今回、特別講演が実現した。
フォン・ブランデンシュタイン博士には「フィリップ・フランツ・フォン・シーボルトとその家族」と題した講演をして頂いた。
1796年現・ドイツ・ヴュルツブルクでヨーロッパでも有数の医学の名門に生を受けたシーボルトがどのような理由と経緯で日本・長崎へやって来たのか、また彼のヨーロッパにおける功績、日本人妻との娘イネ、さらにあまり知られていないシーボルトの息子たち、長男アレクサンダー、次男ハインリッヒの日本における活躍についてお話をして頂いた。
 フォン・ブランデンシュタイン博士は講演の最後に、「シーボルトの子孫、私の日本における遠い親戚」として、ハインリッヒの子孫関口忠志さんと奥様、イネの女系子孫のご家族の方々を教壇に呼び、聴講の皆さんに紹介。 シーボルトの子孫たちが、この日この築地・明石町で集う事になった。


■ 研究報告会: 14:45~15:55

講師 堅田智子博士

テキスト

報告会風景
『外交官アレクサンダー・フォン・シーボルトの見た明治日本』と題し、シーボルトの二度目の来日に同行し、約40年にもわたり明治外交官であった長男・アレクサンダー・フォン・シーボルトについて、アレクサンダー研究第一人者、堅田智子(かたださとこ)博士(上智大学非常勤講師)に講演をして頂いた。
ドイツ・日本を中心に発行されたデーター、そして詳しい年表に従った解説は、きめ細く非常に分かり易かった。
次男ハインリッヒ(オーストリー在日代理公使)の協力もあり、日墺修功通商条約締結、初のウイーン万国博参加、岩倉使節団、不平等条約改正、佐野常民との協力により博愛社(後の日本赤十字社)設立、華族そして勲章制度の導入、日本の欧州共同体への加入、そして明治憲法制定等、広報能力の乏しかった明治日本の基礎固めに尽力した。 その功績は極めて大きいものであった事を知る。



■ 集合記念写真とシーボルト胸像

集合記念写真

前列左3名がイネの女系子孫の方々、
真ん中が次女マティルデの子孫フォン・ブランデンシュタイン博士、右2名が次男ハインリッヒの子孫関口忠志氏と奥様

あかつき公園にあるシーボルトの胸像
時空を超えた子孫達の集いにシーボルトも嬉しげに見える

■ 講師を囲んでの茶話会: 16:45~17:50

あかつき公園に咲くあじさい

茶話会で質問に答える堅田講師

大勢の参加者
フォン・ブランデンシュタイン博士は香取市・市長との先約、またイネの女系子孫の方々は所用で残念ながら茶話会に参加できなかったものの、ハインリッヒの子孫関口忠志氏をはじめ48名もの大勢の方が参加される堅田智子講師を囲んでの茶話会となった。 
出席者の中にはシーボルト研究者も多くおられ、突っ込んだ質疑応答もあり、内容の濃い茶話会となった。

研究報告会
・日時:2018年3月24日(土)14:00~16:00
・場所:聖路加国際大学 4階 402号室
     中央区明石町10番1号

・テーマ:「築地と初期プロテスタント受洗者たち
      ―粟津高明と二川一謄を中心に―」

・報告者:中島 一仁 横浜プロテスタント史研究会会員


■ 研究報告会: 14:00~15:35


中島一仁講師

テキスト

報告会風景

講師を囲んでの記念写真
(402号室から)
報告会の開始に当たって水野雅生理事長から挨拶そして大島房太郎理事の司会によって中島一仁講師の紹介が行われた。
中島講師は勤務先が築地の近くにあり、従来から気になっていた場所と話されてから、本題へと入られた。

築地居留地は商取引の互市場としてより、1873(明治6)年2月の切支丹禁制の高札撤去以降、キリスト教各派による布教の拠点となったことに触れ、中でも同年9月20日に東京で最初に設立されたプロテスタント教会の東京基督公会(現、新栄教会)に注目し、その初期信徒である粟津高明と二川一騰を例に、彼らの入信に至る経緯および彼らのキリスト教理解がナショナリズム(=民族主義)を背景にしていたものであったことを分かり易く論証された。
同講師は最後に、最初期の日本人プロテスタント入信者たちが目指したものは何であったのか、洋魂の中に「和魂」が存在していたのではないか?と投げかけて報告を閉じられた。
中島講師は周到に先行研究を調べ、また自身で新史料に当たり、粟津高明および二川一騰の従来知られていなかった出自なども明らかにされた。次回の報告会が待ち遠しいと感じる「報告会」となった。



■ エクスカ―ション: 16:00~16:30

青山学院記念碑の前で
(中島耕二理事の説明)

中島一仁講師とともに


■ 講師を囲んでの茶話会: 16:40~17:50

茶話会風景

松田敏雄会員の報告

隅田川ライトアップ資料

第二会場での有志懇親会
エクスカーション後、講演会場の402教室に戻り、中島一仁講師を囲んで茶話会が開かれ、質疑応答が行われた。
また松田敏雄会員から「橋のミュージアム・隅田川のライトアップ川道について」があり、松田氏たちの地道な文化運動の成果として、2020年東京オリンピック・パラリンピック開催に向けて、隅田川に架かる橋のライトアップが画期的に改善されるとの特別報告が行われた。

研究報告会
・日時:2018年1月13日(土)14:00~16:00
・場所:聖路加臨床学術センター 3階 3302号室
     中央区築地3-6

・テーマ:「築地居留地跡に建つ聖路加国際病院の歴史と
      創設者トイスラー博士の偉業」

・報告者:藪 純夫
      聖路加国際大学学術情報センター大学史編纂・資料室、
      NPO法人築地居留地研究会理事


■ 研究報告会: 14:00~15:45


聖路加国際大学理事長
糸魚川順先生

藪 純夫講師

報告会風景

報告会資料

講師を囲んでの記念写真
定例研究報告会に先立ち、当研究会の水野雅生理事長から新年の挨拶があり、続いて会場をお借りしている学校法人聖路加国際大学の理事長糸魚川順先生から聖路加国際大学の最近の状況等も含めご挨拶を戴き、先生にはそのまま定例報告会にもご参加戴いた。

今回の報告会は、聖路加国際大学学術情報センター勤務、当研究会理事の藪純夫氏に講演戴いたが、同氏は大学史編纂・資料室でアーカイブズ事業に携わっておられ、聖路加国際病院の創設者トイスラー博士について語って戴くには最適の講師となった。
講演は多数のパワーポイント映像とともに、築地居留地の始まりからポカホンタスを先祖に持つトイスラー博士の生い立ち、築地居留地廃止後の1900(明治33)年に来日、佃島に開いた施療診療所、旧居留地明石町37番地に開業した築地聖路加病院、博士の看護教育への情熱そしてその後の病院の発展の歴史を藪講師の柔らかな口調とともに、時にユーモアを交え分かり易く丁寧にご説明を戴いた。
最後に、トイスラー博士生前の貴重フィルムとして、1930年の大震災後の聖路加国際病院建設定礎式(高松宮ご夫妻参列)の模様および翌1931年の大リーガー来日時のトイスラー博士との交流風景の特別映写があった。
今日の聖路加国際病院およびその創立者トイスラー博士について、今まで知らなかった数多くのことを学ばせて戴き、参加者は皆、知的充足感を覚え大満足であった。



■ エクスカ―ション: 16:10~16:40

いざトイスラー記念館へ

トイスラー記念館内部

聖路加国際大学聖ルカ礼拝堂
藪講師の案内で、普段一般公開していない大学の中庭にあるトイスラー記念館、1933年建設の旧病棟および1936年建設の聖ルカ礼拝堂を見学した。礼拝堂は病院の中心として、各階の病棟から患者さんが礼拝に出席出来るように設計されていた。荘厳かつ静謐な佇まいの礼拝堂内部は、自然に信仰心を抱かせる空間になっている。


■ 講師を囲んでの茶話会: 16:20~17:40

茶話会における藪講師

茶話会風景

第二会場での懇親会
エクスカーション後、講演会場の3302教室に戻り、藪講師を囲んで茶話会が開かれた。
茶話会には、聖路加国際病院元看護部長・副院長の要職を務められた内田卿子さんをはじめ聖路加病院及びその周辺の戦前、戦中、戦後を知る多くの人が参加され、貴重なお話を聞く機会となった。
出席者は過去最高の44名であった。

研究報告会
・日時:2017年11月25日(土)14:00~16:00
・場所:聖路加臨床学術センター 3階 3302号室
     中央区築地3-6

・テーマ:「重ね地図に見る東京の街と文化の変遷」
・報告者:小島豊美 一般社団法人 地歴考査技術協会代表


■ 研究報告会: 14:00~15:30


報告者 小島豊美氏

報告レジメ

報告会風景

集合記念写真

講師を囲んでの茶話会

近くのとんかつ屋で二次会
報告会に先立って水野理事長より、11月18日・19日に神戸にて行われた居留地研究会全国大会2017の報告がなされた。
今回の定例報告会は、講師に小島豊美氏(地歴プロデューサー)を招き「重ね地図に見る東京の街と文化の変遷」について講演して頂いた。
小島氏が制作された江戸・明治・平成3層地図を用い、この地図の制作に至るまでの苦労話からこの地図の今後の発展可能性について語る。単なる平面地図でなく、重ね地図にする事により時代の移り変わり、多面的情報を読み取る事が出来ると力説。
開港前の幕府の諸事情、安政5カ国条約、築地居留地決定、居留地・相対借地(雑居地)、そしてその周辺の移り変わりを地図を用いての説明がなされた。講演中にもかかわらず多くの参加者からの多くの質問が出され、質疑応答は講演時間内に終わらず、講演終了後に行われた「茶話会」にまで引きずるほどの盛況な講演会となった。



茶話会は聖路加国際病院旧棟前で記念写真撮影後、講演会が行われた教室に戻り16:20より17:30まで30名余りの参加者でもって行われた。会場では講演で使われた重ね地図をそのままスクリーンに投影したままにし、講演会の質疑応答の続きという感じで、継続活発な質疑応答、意見交換がなされた。

「茶話会」終了後、近くのとんかつ屋さんで、有志による2次会でさらなる話に花を咲かせる。

第10回 外国人居留地研究会全国大会 in 神戸
・日時: 2017年11月18日(土)~19日(日)
・会場: 神戸 相楽園会館
・テーマ:「開港都市の異文化受容」
・エクスカ―ション:神戸港開港150周年の神戸港クルージング/神戸外国人墓地
■ 全国大会の様子を写真で紹介 (写真クリックでウインドが開きます)

11月18日(土)
 研究報告/パネルディスカッション/懇親会
11月19日(日)
 エクスカ―ション
研究報告会
・日時:2017年9月30日(土) 14:00~16:00
・場所:聖路加国際病院旧館 5階研修室

・テーマ:「築地居留地の料理人」
・報告者:村上 隆
      元読売新聞社大阪本社記者、京都国立博物館ナビゲーター



■ 研究報告会: 14:00~15:30


報告者 村上隆氏 

報告会風景

野村高治直筆西洋料理レシピ

『築地居留地の料理人』表紙

集合記念写真
水野理事長の挨拶に続いて、村上隆氏から本日の報告の元となった『築地居留地の料理人』(清風堂書店、2017)の著者野村高治(1850~1931)および村上氏と共同編著者の村上百合子氏との関係が説明され、築地居留地の料理人であった野村高治は旧信州松代藩士で村上百合子氏の祖父にあたり、村上百合子氏は村上隆氏の母堂であることが知らされた。
野村高治は明治8(1875)年頃築地居留地に現れ、外国人宅の使用人となり料理法を覚え、明治16(1883)年9月に「高等料理法 西洋料理手引きの記」として書き残した。
当時、野村のような外国人宅の使用人となった日本人は少なくなかったが、記録として西洋料理のレシピを書き残したのは、現在のところ野村高治一人であり、その記録は近代文化史上貴重な史料と言え、これを解読して後世に伝えた村上百合子氏の業績は高く評価されて良いと思われる。
村上氏のメリハリの利いた分かり易い説明で、築地居留地の新たな「史実」を知ることができた。大いに感謝である。
一点、このレシピがアメリカ聖公会女性宣教師「マダム・ペリー」の直伝とする村上氏の説明は、ペリー宣教師の来日が明治22(1889)年であったことを考えると、時代にズレがあり再考を要する。



■ 講師を囲んでの茶話会:
  16:35~17:45
■ 講師との会食会
  (茶話会終了後、於:玉寿司本店)

研究報告会 「平成29年7月度 若き研究者による研究報告会」
・日時: 2017年7月22日(土) 14:00~16:00
・場所: 聖路加国際大学 3階302号室
     東京都中央区明石町10-1 (聖路加国際大学筋向かい)

・テーマ1: 『祖先國輝画“東京築地鉄砲洲景”から考察する築地未来都市計画』
       報告者: 萩小田 大我
             早稲田大学創造理工学部建築学科一年

・テーマ2: 『明治東京における外国人の「居住空間」と築地外国人居留地』
       報告者: 梁 煕晶(ヤン・ヒジョン)
             韓国梨花女子大学大学院史学科博士後期課程
■ 研究報告会: 14:00~15:30


日野原重明先生

水野雅生理事長挨拶

黙祷

報告者の萩小田さん

一曜斎國輝画「東京築地鉄砲洲景」錦絵 (ミズノプリンティングミュージアム所蔵)

報告者の梁(ヤン)さん

梁さんのプレゼン

ミニ・シンポ(中島理事司会)
報告会に先立って水野理事長の挨拶の中で、当研究会の最高顧問とも言うべき聖路加国際病院名誉院長の日野原重明先生が、去る7月18日に105歳で天に召されたことが報告され、出席者一同で黙祷を捧げた。
先生には、2013年11月の第6回外国人居留地研究会全国大会での講演、2014年11月の「居留地中央通り」・「居留地通り」の銘板落成式における祝辞等いつも温かいご支援を戴いた。(「これまでのイベント」参照ください)

報告会は、将来の研究会を背負って行く若き研究者二人が登場。萩小田さんは、大作「東京築地鉄砲洲景」の錦絵で有名な一曜斎國輝の子孫で、現在早稲田大学で建築学を学んでいる。
本日の報告では、先祖ゆかりの地であり、かつて外国人居留地があった築地を再び国際交流の場として甦らしたいとして、高校生時代に製作した設計模型を用い熱いプランを発表戴いた。これからの中央区の文化拠点としての旧築地居留地の復活を考える若い研究者に拍手。
梁さんは現在、韓国の名門梨花女子大学で、築地居留地をテーマに博士論文をまとめている大学院生。この報告会のために昨夜ソウルから来日した。去年は慶應義塾大学に一年間研究留学し、その間11月の居留地全国函館大会に当研究会メンバーとして参加、実地体験を重視する研究姿勢は素晴らしい。
報告は日本の開国後全国に居留地が設置される中、首都東京に外国人居留地がどのように形成され、それが歴史的にどのような意義を持っていたかという視点で、現在の研究過程を報告戴いた。日本語も美しく完璧で、一日も早い博士論文の完成を願ってやまない。

二人の報告後、約30分中島理事の司会で、パネルデスカッションを開いた。
二人の築地居留地研究の動機や今後の研究者としての考えを質問、またフロアから研究へのアドヴァイスなどもあり、あっという間に時間となった。
最後に、事務局から来る11月18日(土)~19日(日)に神戸で開催される第10回居留地全国大会のお知らせと参加への誘いが行われた。



パネルデスカッション終了後、
国際病院旧館玄関前に移動し 講師と参加者で記念撮影
■ 講師を囲んでの茶話会: 16:20~17:40

質問に答える梁さん

模型で説明の萩小田さん

恒例の初参加者の自己紹介
茶話会は、報告会会場に戻り、水野理事長の挨拶、大島房太郎理事の司会で開幕。
萩小田さんの頼もしい築地未来都市計画の話から、日本橋上の高速道路の地下化、勝鬨橋再開、築地市場の再開発、築地ホテル館の再建へと話題が広がり、中央区のこれからに目が離せないということになった。
最後に、若い二人の研究者の今後の発展と活躍を祈って、定時に散会した。

尚、当研究会は昨年初めて外国人講師(アメリカからシュルトン女史)による研究報告会を開き、今年は韓国から梁さんの報告があり、国際化が進んで来た。また今回は若い研究者に発表の機会を提供できたが、NPO法人の研究会として今後も社会的貢献を果たす努力を続けていきたいと考える。

研究報告会 「築地あじさい祭り」
・日時: 2017年5月27日(土) 14:00~16:00
・場所: 聖路加国際大学4階402号室 中央区明石町10番1号
・テーマ:「次世代のシーボルト父子研究 ~シーボルト没後150年を経て~」
・報告者:関口 忠相(シーボルト子孫) (株)しーぼるとぷろだくしょん COO
■ 研究報告会: 14:00~15:30


報告者の関口忠相氏

報告レジメ

報告会風景

報告者と一緒に集合写真
報告会は大島房太郎理事の司会により、水野雅生理事長挨拶、中央区 長島育夫区民部長殿ご挨拶に続いて、シーボルトの7代目ご子孫関口忠相氏のご報告に入った。
築地あじさい祭りと言えば例年、講師はお父上のシーボルトの6代目ご子孫の関口忠志氏と決まっていたが、今年は同氏が病み上がりのため大事をとって奥さま同伴でオブザーバーとして出席、ご子息の忠相氏がシーボルト研究の継承者として代役をされた。
ご報告は継承者の自覚のもと、父忠志氏のように自分は研究者ではないと謙遜されながらも、シーボルトの子孫としての役割について熱く語り、多数の参加者に大きな感動を与えて戴いた。
尚、質疑の時間にはどうしても父忠志氏の出番が必要となり、同氏から病躯を押して幾つもの質問に丁寧なご説明を戴くことが出来た。



■ エクスカ―ション: 15:40~16:00

報告会のあと国際病院チャペル前で記念撮影を行い、その後水野理事長の案内であかつき公園内のシーボルト像の見学を行った。

■ 講師を囲んでの茶話会: 16:15~17:30

茶話会風景(1)

茶話会風景(2)
茶話会には38名が参加し、大いに盛り上がった。講師をされた関口忠相氏と共に手術後11日目にも関わらず、お父上の関口忠志氏も最後までお付き合いを戴いた。
今回の報告会、エクスカーションおよび茶話会に参加されたお一人に、「東京訪問中に東京の友達に誘われて会に参加した」という長崎県佐世保から来られた方がおられた。「今回の講演を聴き、シーボルトの娘イネのみならず、ドイツで生まれた長男、次男も幕末に来日し、その後日本で長年活躍していたことを知り感激しました」との感想を伺い、築地居留地研究会の役割はこれではないかと関係者一同、意を強くさせられた。 

研究報告会
・日時: 2017年3月25日(土) 14:00~16:00
・場所: 聖路加臨床学術センター 3302号室 中央区築地3-6
     (聖路加国際大学筋向かい)
・テーマ:築地居留地に萌芽・発展した看護の高等教育
      「聖路加国際病院付属高等看護婦学校」と「聖路加女子専門学校」
       について
・報告者: 渡部 尚子 
       聖路加国際大学特任教授 、NPO法人築地居留地研究会理事
■ 研究報告会: 14:00~15:30


講師の渡部尚子先生

研究報告会風景

報告会資料
今回の定例研究報告会は、聖路加国際大学特任教授で当研究会理事の渡部尚子先生に講演戴いた。
先生は聖路加を卒業後母校で教鞭をとられた後、ドイツで看護職の経験をされ、帰国後は埼玉県立衛生短期大学・埼玉県立大学に勤務し、退職後、再び母校で大学史編纂資料室アーカイブズ事業に従事されている。
講演は1880年代の日本の近代看護教育の始まり、その後のわが国の看護教育・看護の状況、そして明治末から大正期にかけて看護婦が増加する一方で、質の向上が進まない中、聖路加国際病院の創設者トイスラー博士が優秀な看護婦の育成の重要さを認識し、看護教育に情熱を傾けて行く姿を報告され、大変興味深く拝聴した。
聖路加での看護教育は、1920年に米国から招聘した宣教看護教師セントジョンによって開始され、それは当時の米国での看護教育と同等レベルと謳われた。授業は全て英語、生徒の入学資格は高等女学校卒業以上、看護職としての適性がなければ退学もさせるという高度で厳しいものであった。聖路加では太平洋戦争前後から「高等看護教育」への取り組みが開始され現在に至っているが、聖路加の卒業生はわが国看護界において、看護の実践・教育・研究・行政分野においてフロントランナーとして活躍している、として講演を閉じられた。



■ エクスカ―ション: 15:30~16:00


講師と集合写真

聖路加国際大学聖ルカ礼拝堂

トイスラー記念館内部(通常非公開)薮理事の熱の籠った説明

パイプオルガンについて薮純夫理事による説明。J. S. バッハが生きた時代の「北ドイツ・バロック様式」を基本にしたスタイルのパイプオルガン。フランスのガルニエ・オルガン工房製。
1988年12月11日に奉還礼拝が行われた。
トイスラー博士の夢の実現として、1933年に建設された旧館前で講師を囲み記念撮影を行い、1936年建設のチャペル内を見学した。このチャペルは当時病院の中心として、各階の病棟から患者さんが礼拝出来るように設計されていた。床、壁、天井から照明器具の全てがアンティークそのものと感じられる。
チャペルの見学の後、大学の中庭にあるトイスラー記念館を訪ねた。普段一般公開していない内部空間の見学に、参加者はやや興奮気味であった。

■ 講師を囲んでの茶話会: 16:00~17:30

茶話会風景(1)

茶話会風景(2)
エクスカーション後、講演会場の3302教室に戻り、渡部先生を囲んで茶話会が開かれた。
参加者は看護教育の歴史という渡部先生の研究テーマに新鮮な驚きと関心を覚え、活発に質問が寄せられ、あっという間に定刻となり時間の経過を忘れるほどであった。

研究報告会
・日時: 2017年1月14日(土) 14:00~16:00
・場所: 聖路加臨床学術センター 3302号室 中央区築地3-6
     (聖路加国際大学筋向かい)
・テーマ:「中央区は江戸の先進な情報発信地 -長崎屋と須原屋-」
・報告者: 竹内 誠 
       文学博士、江戸東京博物館名誉館長、徳川林政史研究所・所長、
       中央区名誉区民
■ 通常総会: 13:00~14:00


通常総会

報松井監事による会計監査報告
大島房太郎理事の司会により開会が宣せられ、総会出席者定数を満たし総会成立の旨が報告された。
議長に理事長の水野雅生氏を選任、以降第1号議案から第5号議案まで審議が行われ、全議案とも賛成多数で承認となりつつがなく総会を閉じた。

■ 研究報告会: 14:00~16:00


水野雅生理事長の新年挨拶

中央区長嶋育夫区民部長殿ご挨拶

竹内誠先生

報告会風景

講演レジュメ

講師と集合写真
今回の研究報告会は元東京江戸博物館館長で、現在は同博物館名誉館長の竹内誠先生をお招きして、「中央区は江戸の先進的な情報発信地-長崎屋と須原屋―」のテーマでご講演を戴いた。
まず「下町」とは「御城下町」の意であり、「日本橋より数町四方、東は両国川、西は外濠、北は筋違橋・神田川、南は新橋の内」が下町であったと伺い、現在の我々のイメージと違うことを知らされた。やがて先生の博学は泉の如く溢れ、かつ分かり易くユーモアを交えて「江戸」を語って戴き、参加者にとって聴くこと全てが新たな学びとなった。



■ 講師を囲んでの茶話会: 16:00~17:30

茶話会風景(1)

茶話会風景(2)

講演の続き?
講演会場をセットし直し、竹内先生を囲んで茶話会を開催した。
先生の沢山の話の中で印象に残った一つに、李氏朝鮮の日本と中国に対する外交姿勢の違いがあった。日本に送られた使節は「通信使」と呼ばれ徳川時代265年間に12回であったが、明・清の中国への使節は「燕京使」と呼ばれ500回近くに及んだ。この違いは何なのか、日本・中国・朝鮮の東アジアの歴史を考える時、多くの示唆に富んだお話を伺うことが出来た。
その後、いつもの通りこの研究会に初参加の方に自己紹介をお願いし、皆さまから歴史に対する熱い思いを語って戴き、盛会裡に茶話会を閉じた。

研究報告会
・日時: 2016年11月26日(土) 14:00~16:00
・場所: 聖路加臨床学術センター 3303号室 中央区築地3-6
     (聖路加国際大学筋向かい)
・テーマ:「外国人居留地と近代警察」
      ~維新の志士たちによる近代警察の創設~
・報告者: 鈴木 康夫
       横浜外国人居留地研究会会員、警察政策学会警察史部会会員
■ 研究報告会: 14:00~16:00

鈴木康夫講師 報告会風景-1 報告会風景-2 報告会パネル-1

報告会パネル-2

報告会レジュメ

講師と集合写真
今回の研究報告会は横浜外国人居留地研究会会員で、元神奈川県警の各地の署長を歴任された鈴木康夫氏をお招きして、「外国人居留地と近代警察」についてお話を戴いた。
詳しいレジュメと分かり易いパワーポイントを併用されて報告されたが、レジュメの「はじめに」において、近代警察制度は「国難を招く『外国人殺傷事件の防止』と維新に伴う混乱からの『国内治安確立』のために整備が急がれた」ものと明確に定義されたことから、その後の報告が鈴木講師の歯切れの良い説明と共にスムーズに理解することが出来た。
ペリー来航から説き起こされ、明治維新を経て近代警察のモデルとなった「蘿卒」がいかなるもので、その制度化にイギリスの介入があったことなど、報告内容はほとんど我々が知らないことばかりで、外国人居留地との関係や日本の近代化と並行して整備されていった近代警察制度を知る良い機会となった。

■ 講師を囲んでの茶話会: 16:00~17:30

茶話会風景

鈴木講師と水野理事長

和やかな茶話会風景
研究報告会のあと鈴木講師を囲んで同じ会場で茶話会を催したが、この席でも「鈴木元署長」に研究を始められた動機を尋ねることから始まり、熱心な質問が相次ぎ大いに学習効果をもたらす茶話会となった。


第9回外国人居留地研究会全国大会 in 函館
・日時: 2016年10月15日(土)~17日(月)
・会場: 函館 金森ホール
・テーマ:「開港・開市とフランス」
・エクスカ―ション1:函館元町エリア (はこだて外国人居留地研究会案内)
・エクスカ―ション2:遺愛女子高校、五稜郭、函館山 (築地居留地研究会自主)
・大沼国定公園散策
■ 全国大会の様子を写真で紹介 (写真クリックでウインドが開きます)

10月15日(土) 研究報告/懇親会 10月16日(日) エクスカ―ション 10月17日(月) 大沼国定公園散策
研究報告会
・日時: 2016年9月24日(土) 14:00~16:00
・場所: 聖路加臨床学術センター 3303号室 中央区築地3-6
     (聖路加国際大学筋向かい)
・テーマ:「芥川龍之介生誕地に関する新資料」
・報告者: 野口孝一 
       元中央区総括文化財調査指導員・東京都立大学大学院修士課程修了
■ 研究報告会: 14:00~16:00

講師:野口孝一先生 報告会風景 報告会レジュメ 芥川生誕地屋敷図
報告会集合写真 エクスカ―ション エクスカ―ション
今回の定例研究報告会は、元中央区総括文化財調査指導員を務められた野口孝一先生にご講演を戴いた。今回は水野雅生理事長が体調を崩され、検査入院と言うことで、大島理事から理事長の開会挨拶のメッセージが代読された。
野口先生は長く神奈川県立高校の教諭をされ、退職後中央区郷土資料館、中央区立郷土天文館に勤務された。その間、多数の著書を出され、特に『銀座煉瓦街と首都民権』(悠思社、1992年)と『銀座物語』(中公新書、1997年)は良く知られている。また、築地居留地研究会の発足時の発起人のお一人でもあった。
本日のご講演は、芥川龍之介の築地居留地生誕説を新資料によって検証するというもので、芥川の生誕が1892(明治25)年3月1日、東京市京橋区入船町8丁目1番地であり、この地が元播州浅野家の上屋敷跡地であったこと、維新後五代友厚が政府から借用し、五代没後は妻のトヨの名義に変更され、ここを1887(明治20)年に芥川の実父新原敏三が転借りし、搾乳と牛乳販売業を営む耕牧舎を開業したことを史料によって示された。芥川が生まれた入船町8丁目1番地は、1893(明治26)年10月に居留地57、58番および12月に59、60番として組み込まれ、新原一家は芝区新銭座に転居したが、この事実から、芥川が生まれた時はまだ生家は居留地になっていなかったことが実証された。
また、当時の牛乳業全体のお話もあり、芥川の実父新原敏三が同業者の中でも府下有数の牛乳販売者であったことを知ることができた。野口先生の史料に基づく丁寧なご説明は、参加者の歴史理解を深め、感動を呼ぶ報告会となった。


■ 講師を囲んでの茶話会 (聖路加国際大学6階601号室) 16:40~18:00
茶話会:野口孝一先生 茶話会風景 中島理事教会制度講義
講演終了後、小雨の中、野口先生の案内で芥川龍之介生誕の地を巡るミニ・ツアーを実施し、その後茶話会会場に移動した。
大島理事の司会、中島理事の乾杯によって和やかに会が始められ、参加者からは野口先生への質問も多数あり、中でも芥川が生まれた時に当時の習慣で一旦自宅の近くに捨てられたが、その場所が教会の前とあったが、築地居留地には教会がたくさんあり、どの教会であったかなど楽しくも歴史事実として確認すべき重要な課題も投げかけられた。恒例により初めて参加された方から順次自己紹介を戴き、是非会員登録をお願いしたいとして茶話会を終了した。

シェルトン女史特別講演
・日時: 2016年9月14日(水) 18:00~19:00
・場所: 聖路加臨床学術センター 3303号室 中央区築地3-6
     (聖路加国際大学筋向かい)
・テーマ:「A Christian in the Land of the Gods」
・報告者: Ms. Joanna Reed Shelton
       (元米国政府職員) 作家・アレキサンダー宣教師曾孫
■特別講演: 18:00~19:00

シェルトン女史 著書表紙 水野理事長開会挨拶 講演中のシェルトン女史

レジュメ英文と訳文併記 通訳:村上伊作理事 通訳:村上伊作理事

講演風景 ユニオン・チャーチ 集合写真 ミニ・ツアー風景
旧42番(現明石小学校)
今回の特別講演は、1877(明治10)年にアメリカ長老教会宣教師としてエマ夫人と共に来日し、現在の明治学院大学の前身である築地大学校教授・舎監、明治学院神学部教授として、築地居留地に11年弱住んだトーマス・T・アレキサンダー博士の曽孫となるジョアンナ・R・シェルトン女史をお招きして講演を戴いた。
シェルトン女史は1980年のある日、叔母からアレキサンダー博士の日記を見せられ、日本伝道に生涯を捧げたアレキサンダー博士に強い共感を覚え、伝記をまとめる決心をし、何度も日本に来られ、博士のゆかりの地、ゆかりの施設、ゆかりの人々を訪ね、取材を重ね、関連の史料や文献を渉猟し、昨年11月念願の伝記を完成、出版された。当研究会では築地居留地と深い関わりのある祖先を持つ、シェルトン女史の来日の機会を捉え、特別講演会を実施したが、初めての外国人講師による研究報告となり、外国人居留地の研究会に相応しい企画となった。
通訳およびレジュメの翻訳に奉仕戴いた村上伊作理事ならびに大島房太郎理事に感謝致します。


■ 出版記念会食会 聖路加タワー47階レストランLuke 19:40~21:30

講演後、シェルトン女史と一緒に博士一家の住んだ居留地ゆかりの場所である、旧居留地42番、27番、6番Bおよび9番Bを訪ね先人を偲び、その足で会食会の会場に向かった。
会食会では、シェルトン女史の隣に空席の特別席を設け、その隣に通訳として村上理事が座り、誰が来てもシェルトン女史とゆっくり会話が出来る工夫をし、参加者からはお礼と感謝が寄せられ、またシェルトン女史自ら各テーブルを回って、気さくに会話の機会を作られていたが、さすがに元外交官と感じられた。楽しい国際交流の時間はあっという間に過ぎてしまった。
居留地のあったあの頃も、この場所でこんな時間があったのだろうかと帰りがけにふと思わされた。

研究報告会
・日時: 2016年7月23日(土) 14:00~16:00
・場所: 聖路加国際大学 6階 602号室
・テーマ: 「水都中央区の歴史と築地居留地の発掘調査」
・報告者: 陣内秀信 法政大学教授 工学博士 中央区立郷土資料館 館長
■ 研究報告会: 14:00~16:00

講師:陣内秀信教授 報告会風景 報告会資料
報告会集合写真 湊二丁目遺跡発掘現場
今回の定例研究報告会は、建築史家として著名な法政大学工学部教授陣内秀信先生にご講演を戴いた。
先生は現在、中央区立郷土資料館(タイムドーム明石)の館長および中央区都市整備審議会会長も務められ、中央区および築地地区ともに深く関わっておられる。
本日のご講演は、旧築地居留地を含む現在の中央区河岸一帯が、徳川家康の江戸入府以降6~7回にわたる埋めたてによって造成され、縦横に川と運河が張り巡らされた「水都」であったこと、および現在行われている旧居留地雑居地区の湊二丁目の発掘調査について、江戸から明治期に至る時代毎の異なる遺構が発見され、埋め立てによる町づくりの歴史的変遷を知る上で重要な調査になっているとのご報告を戴いた。
「水都中央区」については、先生が長年調査研究されているイタリアの水の都べネツィアとの比較が随所で行われ、豊富なご経験と知識によるお話を分かり易くご説明戴き、参加者は皆大満足の様子であった。
報告会後、先生のご案内で湊二丁目の遺跡発掘現場の見学ツアーを行った。



■ 講師を囲んでの茶話会 (ミズノプリンティングミュージアム5階) 16:30~18:00

陣内秀信教授ご挨拶 茶話会風景 水野理事長オランダ・ドイツ調査旅行報告
ミズノプリンティングミュージアム5階ホールをお借りして、大島理事の司会により茶話会を開催。
水野理事長の挨拶、野口孝一氏(次回9月定例報告会講師・元築地居留地研究会理事)のご発声で乾杯。続いて講師の陣内先生からベネツィアのお話を交えたご挨拶を戴き、雰囲気も和んだところで、初めて研究会に参加された方から自己紹介を兼ねて逐次ご挨拶を戴いた。
その後、水野理事長から6月にシーボルトの調査のため、オランダおよびドイツを訪問した「ビデオ報告」が行われ、シーボルト・ファミリーの日本に残した足跡の大きさを改めて知る機会となった。
本日は、研究会初参加を機に本会に入会戴いた方が何人かおられ、我々の地道な研究会活動が徐々に稔りつつあることが確認され、うれしい一日となった。

研究報告会 「築地あじさい祭り」
・日時: 2016年5月21日(土) 14:00~16:00
・場所: 聖路加国際大学 4階 402号室
・テーマ: 地あじさい祭り 「我が先祖、Siebold兄弟と異母姉イネと築地居留地」
・報告者: 関口 忠志 (シーボルトご子孫)

■ 研究報告会: 14:00~15:45

講演風景 講演風景 講師の関口忠志氏 鳳恵弥さんと黒田勇樹さんによる手紙朗読
左から関口忠相氏、女優の鳳恵弥さん、俳優の黒田勇樹さん、関口忠生氏、水野理事長 関口氏から研究会にイネの
手紙額装(レプリカ)寄贈
講演のレジュメ

今年の第6回築地あじさい祭は、大シーボルト没後150年記念講演と銘打って、シーボルトご子孫の関口忠生氏に「我が先祖、Siebold兄弟と異母姉イネと築地居留地」のテーマで講演を戴いた。
関口氏は体調不十分ながら、ご子息の関口忠相氏のサポートのもと、近年のシーボルト研究動向およびイネの生涯についてご子孫以外知り得ない史実を交え熱のこもった話をされ、聞く側もいつの間にかシーボルトの世界に引き込まれていった。
また、イネからアレキサンダーへの本邦初公開となる手紙や子の誕生を喜ぶハインリッヒから妻のハナへの日本語の手紙、我が子の夭折を悲しむハナから夫ハインリッヒへの手紙、ハインリッヒから妻ハナへのいたわりの手紙が、女優の鳳恵弥さんと俳優の黒田勇樹さんによって交互に、さすがプロという朗読があり、十分とは言えないコミュニケーションの中にも肉親間の愛情が溢れ、参加者にとって一層シーボルトファミリーが身近に感じられる講演となった。
参加者は100名を数え「築地あじさい祭」が、年々進化し一大イベントになって来ていることを実感させられた。



■ 居留地エクスカ―ション: 16:00~16:50
築地居留地研究会水野雅生理事長と築地食のまちづくり協議会山崎徳子さんによるコラボ・エクスカーション。

参加者記念撮影 あかつき公園の大シーボルト胸像 築地場外市場にある波除神社
■ 茶話会: 16:50~18:00

乾杯風景 根岸友憲氏 関口忠相氏、鳳恵弥さん、黒田勇樹さん挨拶
今回はNPO法人築地食のまちづくり協議会のご協力によって、築地場外市場の千社額棟の一室をお借りして開催。講師の関口忠志氏ご夫妻、忠相氏、鳳さんおよび黒田さんを囲み、大島房太郎理事の司会のもと水野理事長挨拶、中島耕二理事の乾杯の発声後、和やかに茶話会が開かれた。
席上、関口氏のご学友で熊谷の根岸友山・武香ミュージアム館長の根岸友憲氏から、ヘンリー・シーボルト(アレキサンダーの弟)が、明治10年同地に調査旅行した際に根岸家に一週間滞在したお礼として贈られた、ギリシャのタナグラ人形風のテラコッタ小像の現物が紹介され、新たな知見を戴いた。参加者は38名の多数に登った。

研究報告会
・日時: 2016年3月26日(土) 14:00~16:00
・場所: 聖路加国際大学 3階 302号室
・テーマ: 「山田耕筰と西洋音楽と築地居留地」
・報告者: 宮崎 将一郎 (NHKディレクター)

■ 研究報告会: 14:00~16:00

水野理事長の挨拶 講師:宮崎将一郎氏 報告会風景 報告会記念集合写真
開会にあたり水野理事長から去る3月11日に93歳で逝去された当研究会前理事長、清水正雄氏に対する感謝と追悼の挨拶が行われた。3月15日に通夜、16日に葬儀・告別式が築地本願寺において執り行われ、水野理事長が弔辞を述べられたので全文を掲載致します。
・弔辞
今回の定例報告会は、水野理事長も取材を受け出演した、昨年10月2日のEテレで放送された「時代を楽譜に刻んだ男 山田耕筰」の担当ディレクター宮崎将一郎氏お招きして講演を戴いた。また日本楽劇協会理事長で山田耕筰の養女でもあられる山田浩子氏も出席され、本報告会の厚みが増すことになった。
講演は、山田耕筰という人物をどう描いていくか、特に戦時中の彼の行動に対する評価をどう扱うか議論を重ねたことなど、番組製作過程におけるディレクターとしての苦労話を含め、山田耕筰の生涯を丁寧かつ歯切れの良い言葉で分かり易くご説明戴いた。
山田耕筰の天賦の才能とそれを支えた西洋音楽に対する情熱を改めて知る機会となった。また宮崎氏は山田耕筰が多感な幼少時代を築地居留地で過ごし、そこで触れた和洋の旋律や外国人の影響が大音楽家山田耕筰の原点となったことに言及されたが、築地居留地が日本の近代文化の発展に寄与した一例として、我々築地居留地研究者にはうれしい発題であった。
出席者は73名を数え、講演後の質疑も活発に行われ充実した報告会となった。



■ 旧築地居留地エクスカ―ション

エクスカ―ション風景
■ 講師を囲んでの茶話会 (ミズノプリンティングミュージアム5階ホール): 16:30~18:00

乾杯風景 山田浩子氏のお話
エクスカ―ションの後、会場をミズノプリンティングミュージアムに移し、宮崎将一郎氏および山田浩子氏を囲んで茶話会を持った。
大島房太郎理事の司会のもと水野理事長の挨拶、続いて長谷川浩一理事の音頭で乾杯を行った後、特別に山田浩子氏から父山田耕筰について身内でなければ知りえない貴重なお話を伺った。
また、初めての参加者から一人ずつスピーチをお願いし、その中には本日新たに研究会に入会された方が何人もおられ、大いなる喜びとなった。
茶話会には36名の出席があり、賑やかに研究報告会の余韻を楽しみつつ、次回報告会での再会を約して散会となった。

研究報告会
・日時: 2016年1月16日(土)
・場所: 聖路加国際大学 3階 301号室
<総会>(会員) 13:00~13:40
<研究報告会> 14:00~16:00
・テーマ: 「立教学院 草創期の人々 -学びの舎の変遷と理念-」
・報告者: 広田 勝一 (立教学院院長)

■ 研究会通常総会: 13:00~13:40

通常総会・議案 水野理事長による報告・説明 通常総会風景
大島房太郎会員の司会により開会が宣せられ、総会員数54名中、出席会員31名、委任状9名、よって総会成立の旨が報告され、議長に理事長の水野雅生氏を選出。
第1号議案から第7号議案まで審議が行われ、全議案とも賛成多数で承認となりつつがなく総会を閉じた。

■ 研究報告会: 14:00~16:00


講師・広田勝一立教学院長 配布レジメ 報告会風景 報告会記念集合写真
日本聖公会北関東教区主教である広田勝一立教学院院長による「立教学院と草創期の人々―学び舎の変遷と立教の理念―」と題してご報告いただいた。立教関係の方々など多くの方の参加があり、最多の83名の出席者だった。
米国聖公会C・M・ウィリアムズ主教によって1874年2月3日築地に私塾が設立され、同年中に「立教学校」となり、入舟町へ移転、火災によって一時中断するが、1876年新栄町、1879年京橋区築地、さらに1882年居留地37番に、1894年の大地震によって校舎崩壊。1896年ガーディナーの描いた築地居留地の俯瞰図の中に見られる六角塔を持つ校舎が居留地57~60番に完成。1918年池袋に移転。その間、立教学校―立教大学校―立教学校―立教尋常中学校と立教専修学校―訓令12号への対応から立教学院、と名称を変え、1907年専門学校令に基づき立教大学の設置。それを支えた多くの米国聖公会の宣教師、日本のキリスト教関係者の話など、築地時代の貴重な写真も数多く見せていただきながら興味深い報告がなされた。
最後に、ヘブライ人への手紙13:8「イエス・キリストは、きのうも今日も、また永遠に変わることのない方です。」を基に「変わらない理念(究極的理性概念)が立教を変える」を立教大学のモットーとしていると結ばれた。



■ エクスカーション及び茶話会: 16:00~18:00


立教学院発祥の地 ミズノプリンティングミュージアム見学 講師・広田学院長を囲んでの茶話会 参加者との交流
聖路加国際病院の前で記念撮影をしたのち、場所をミズノプリテック(株)の会議室に移して茶話会。それに先立って、ミズノプリンティングミュジアムを見学。立教関係のOB、BSA、ウィリアムズ会、日本聖公会川越キリスト教会の方々、さらに一般会員など最多数の出席。
質疑応答の時間が設けられ、
問:「立教の訓令12号の対処の仕方が、どのように他校とは異なる選択だったのか」
答:「学校でのキリスト教教育は行われず、寄宿舎の中でずっと守られてきた」
その他各活動の活発な意見交換があり、嬉しい誤算で飲み物とつまみも多くは行き渡らなかったが、皆和気あいあいと充実感に満ちた雰囲気の中、散会となった。

研究報告会
・日時: 2015年11月28日(土) 14:00~16:00
・場所: 聖路加国際大学 602号室
・テーマ: 「築地時代の工手学校ー工学院大学のルーツ」
・報告者: 吉田 司雄 (工学院大学教授)

■ 研究報告会: 14:00~15:45


吉田教授ご報告 報告会風景 配布冊子 報告会記念集合写真
築地居留地研究会と云えばミッション・スクール発祥の地とのイメージが強いが、今回はちょっと毛色の違った「築地時代の工手学校―工学院大学のルーツ」とのテーマで工学院大学:吉田司雄教授にご報告頂いた。
1887年(明治20年)12月、当時東京帝国大学総長渡辺洪基は自費と各界からの寄付金で工手学校を創立した。
翌年9月に南小田原町4ノ8の元築地病院(経営ヘンリー・フォールズ)跡地に新校舎が完成し草分けの私立工業学校としてスタート、現在の工学院大学のルーツである。
文明開化後の明治、工業立国を目指す日本にとって科学技術導入は必至であり、近代建築、電気設備、通信技術、機械などに関する新技術を現場の職工に如何に解りやすく具体的に指導・理解させる橋渡しの役目の人材育成が急務であった。
吉田教授の文学的な視点にウエイトを置いたユニークな観点からのご報告、楽しく拝聴させて頂いた。

■エクスカーション及び茶話会: 16:00~18:00

工学院大学発祥の地 吉田教授による説明 茶話会 水野理事長
挨拶
茶話会 乾杯 吉田教授との談笑

第8回外国人居留地研究会全国大会 in 神戸
・テーマ: 「居留地の運営とその意思決定」
・日時: 2015年10月31日(土)~11月1日(日)

    31日 研究発表およびパネルトーク: 於:神戸女子大学 教育センター
         函館、神戸、大阪(川口)および横浜の各研究会から発表
         東京(築地)、長崎は発表見送り
          懇親会: 於:神戸倶楽部

     1日 旧神戸居留地エクスカ―ション
         (築地居留地研究会メンバー単独で実施)

■ 大会の様子 13:30~17:30


全国大会会場
神戸女子大学教育センター
NPO法人神戸外国人居留地研究会神木哲男理事長 開会の挨拶 研究会発表会場 研究発表レジュメ
■懇親会 18:00~20:30


懇親会会場
伝統ある神戸倶楽部
懇親会の一コマ 懇親会の一コマ 懇親会の一コマ
■ エスカーション 11月1日 9:30~15:30


JR三宮駅前 エクスカ―ション いざ出発 旧居留地 煉瓦製下水道遺構現在も使用中 神戸市立博物館 旧神戸外国人居留地のジオラマ 旧居留地戦前のジオラマ

旧居留地15番館
昼食会場レストランTooth Tooth
海外移住と文化の交流センター
(旧国立移民収容所)見学
神戸居留地研究会員熊谷氏
(エクスカ―ションご案内人)と
エクスカ―ション無事終了モザイクのレストランで乾杯

研究報告会
・日時: 2015年9月26日(土) 14:00~16:00
一般公開講演・パンフレット・場所: 聖路加国際大学 602号室
・テーマ: 「カナダメソジスト教会と婦人宣教師の働き」
・報告者: 深町 正信 (東洋英和女学院長)
■ 研究報告会:14:00~15:45


深町院長ご報告 報告会場風景 テキスト(ミス・カートメル宣教師) 報告会記念集合写真
深町正信院長には、青山学院長当時の2008年2月に、当研究会で「青山学院の教育理念と築地居留地」のテーマで報告を戴き、研究会誌『築地居留地』第4号(2011年発行)にも寄稿戴いている。
今回は「カナダメソジスト教会の婦人宣教師の働き」について、東洋英和女学院を中心に報告戴いた。カナダメソジスト教会派遣の宣教師および婦人宣教師の来日、東洋英和女学院の初代校長マーサ・J・カートメル女史および築地居留地に居住したカックラン、マクドナルド、イービー、ミーチャム、モーリス等の各宣教師の伝道事業を丁寧かつ分かり易くご報告を戴いた。
カナダメソジスト教会の日本における尊い教育事業が、静岡、山梨、東京、青森等広範にわたることを改めてご教示戴いた。

■ 東洋英和女学院 村岡花子文庫展示コーナー見学:16:45~17:30


東洋英和女学院
正面入口
小チャペル 旧校長室 講堂兼礼拝堂 花子コーナーと
村岡美枝様
報告会終了後記念の集合写真の撮影を行い、その後聖路加国際病院から東洋英和女学院に地下鉄で移動。
史料室谷川祐子先生のご案内により、普段入構できない校舎内を見学。
講堂兼礼拝堂と荘厳なパイプオルガン、旧校長室、小チャペルなどを拝見でき、ミッション・スクールの稟とした建学の精神に触れることが出来、貴重な体験をさせて戴いた。
村岡花子文庫コーナーでは、花子女史のお孫さんの村岡美枝様がお忙しい中、駆けつけて下さり展示の解説とご案内を戴くことが出来た。
このコーナーは村岡家から花子女史の母校に遺品が寄贈されて新たに開設された。
村岡美枝様の「自宅にあったものがなくなって若干淋しい気もしますが、より多くの方々に見て戴くことの方がうれしい」というお話が印象に残った。村岡花子女史の息遣いに触れることができた。

■ 茶話会(東洋英和女学院):17:30~18:30


茶話会水野理事長挨拶 お茶とジュースで乾杯  深町正信院長ご挨拶  
深町院長先生のご好意により東洋英和女学院同窓会の一室をお借りして茶話会を開催した。
大島理事の司会、水野理事長の挨拶、中島理事の音頭によるノンアルコール乾杯でスタート。
講師の深町院長からご挨拶を戴き、その後、参加者全員による自己紹介を行った。
参加者の皆さんによるユーモア溢れるスピーチに、会場は大変和んだ雰囲気に包まれ、楽しく交流がはかられた。
11月28日(土)の次回研究報告会での再会を約して散会となった。

研究報告会
・日時: 2015年7月25日(土) 14:00~15:45
・場所: 聖路加国際大学 602号室
・テーマ: 「教文館の創業物語-築地・銀座とのかかわり」
・報告者: 渡部 満 (株式会社教文館取締役社長、本会法人会員)
■ 研究報告会:14:00~15:45


教文館物語小冊子 報告会風景 講師 参加者集合写真 村岡ご姉妹
渡部社長のソフトな語り口と分かり易い解説によって、1885(明治18)年にアメリカのメソジスト教会の宣教師によって組織された教文館が、幾多の試練を経て明治、大正、昭和戦前期と発展して来た歴史を知ることが出来た。
青山学院との関係、印刷所の福音印刷への譲渡、関東大震災後に日本ミッション同盟の経営する日本基督教興文協会との合併、その縁による村岡儆三と村岡花子との関わりなど、興味が尽きない内容であっという間に時間が来てしまった。
尚、8月1日~31日まで、創業130周年記念展「教文館ものがたりー明治・大正・昭和・平成の130年ー」が教文館3階ギャラリーステラで開催される。

■ 茶話会(教文館7階ゲストルーム):16:30~18:00

渡部社長のご好意により会場を教文館7階のゲストルームに移して、茶話会を開催した。
大島理事の司会、水野理事長の挨拶と入会の勧め、中島理事の乾杯の音頭でスタート。講師の渡部社長からご挨拶を戴き、初参加の方から自己紹介と報告会の感想を一言づつお願いしたが、一言、二言では終わらない方もいて、和気あいあいのうちに交流がはかられた。
9月26日(土)の次回研究報告会での再会を約して散会となった。


教文館ゲストルーム
での茶話会(乾杯)
渡部社長の歓迎の
挨拶
 初参加者の自己紹介
と感想
 

研究報告会
・日時: 2015年5月23日(土) 14:00~16:00
・場所: 聖路加国際大学 601号室
・テーマ: 「我が先祖 ハインリッヒ.von.シーボルトと築地居留地・延遼館・新富座」
・報告者: 関口 忠志 氏 (日本学術会議・日本歴史史学会・洋学史学会会員)
■ 研究報告会:14:00~15:30


報告会風景 講師 聖路加国際大学学長
井部俊子先生ご挨拶
質疑応答 テキストの
ハインリッヒ冊子
著名なフィリップ・シーボルトの長男アレキサンデルは在日英国公使館参事官から明治政府の外交顧問となり活躍し、二男のハインリッヒはオ―ストリー・ハンガリー帝国の在日公使館一等書記官、代理公使を務めるなど兄弟二人して日本との深い関わりを持った。
特にハインリッヒは日本女性岩本花(はな)を夫人に迎え、一(はじめ)、オットー(於菟)およびレンの三人の子の
父親となったが、本日の講師の関口忠志氏はハインリッヒの曽孫で、レンの孫に当たる。研究報告はハインリッヒおよび兄のアレキサンデルの明治外交に残した業績を中心に、周辺の異母姉の楠本イネおよび関口氏の祖母岩本花についても言及され、いずれの話も身内でなければ知り得ない貴重なもので、出席者は大いに知見を広める機会となった。 尚、忠志氏のご長男忠相氏がパワーポイントを担当され、ハインリッヒ子孫の親子コラボによる温かい報告会となった。

■ 築地居留地エクスカ―ション・茶話会・ミズノプリンティングミュージアム見学

研究報告会終了後、三班に分かれ水野雅生理事長、村上伊作理事および中島耕二理事の案内で旧居留地の散策、その後講師の関口忠志氏・忠相氏を囲んでミズノ・プリンティングの食堂を無償でお借りして茶話会が実施された。また、茶話会の合間には希望者に階上のミズノプリンティングミュージアムの見学会も行われた。
ミズノプリンティングに感謝致します。


エクスカ―ション寸描 ミュージアム見学風景  

研究報告会
・日時: 2015年3月28日(土) 14:00~16:00
・場所: 聖路加国際大学 6階601号室
・テーマ: 「工部省一等技手中澤孝政と洋式灯台」
      *中澤孝政は元尼崎藩士、現在の中央区入船二、三丁目、湊三丁目は
        尼崎藩上屋敷跡地。
・報告者: 中島 耕二 (当研究会理事、明治学院大学客員教授、中澤孝政子孫)
  ■ 研究報告会:14:00~15:30

報告会風景講師講師テキストの一部矢田中央区長のご挨拶
日本の開国に伴い諸外国からやってくる大型船舶の航行の安全のため、洋式灯台の設置が求められ、お雇い外国人技師の指導のもと幕府続いて明治政府によって工事が進められた。
摂津国尼崎藩の築城責任者であった中澤孝政は、維新後藩によって明治政府の徴士に推挙され洋式灯台建設の初代日本人技師となった。
鹿児島県佐多岬燈台、千葉県銚子犬吠埼燈台、福岡県玄海灘烏帽子燈台など全国の多数の燈台建築監督を務め、日本の近代化を縁の下から支えた一人となった。
中澤孝政の属した尼崎藩は、現在の中央区入船二、三丁目、湊三丁目の一帯に幕末まで上屋敷を置いていた。中澤孝政は講師の中島耕二氏の祖母の祖父にあたる。

■ 茶話会:16:00~17:30

研究報告会の後、入船三丁目の区集会所に移動し講師を囲んで茶話会を開いた。多数の出席者を得て、全員持ち回りで一人一人自己紹介を行った。それぞれ歴史への飽くなき探求心を発露され、時間の経つのも忘れるほどの集会となった。時間が来て、惜しみつつ次回の研究報告会での再会を約して散会した。
 
茶話会乾杯風景茶話会自己紹介

総会・卓話・新年会
・日時: 2015年1月24日(日) 14:00~17:00
・場所: ミズノプリンティングミュージアム
     (東京都中央区入船2-9-2 電話:03-3551-7595)
・通常総会: 14:00~14:50
・研究報告: 15:00~16:00
    テーマ: 「築地に所縁のある坂本龍馬」
    報告者: 水野 雅生 (NPO法人築地居留地研究会)
・ミュージアム見学及び懇親会: 16:00~17:00 会費無料
■ 通常総会:14:00~14:50



大島房太郎会員の司会により開会が宣せられ、総会員数50名中出席会員36名、委任状0名、よって総会成立の旨が報告され、議長に理事長の水野雅生氏を選任、以降第1号議案から第7号議案まで審議が行われ、全議案とも賛成多数で承認となりつつがなく総会を閉じた。

■ 研究報告会(卓話):15:00~16:00



・テーマ:「築地に所縁のある坂本竜馬」
・報告者:水野雅生(NPO法人築地居留地研究会理事長)
昨年11月に行われた同氏による研究報告会の後、多数の出席者から「聴き足りない」、「是非続編を」という声が上がり、今回このリクエストに応じて連続して報告会が行われた。土佐の漁師から幕臣に取りたてられたジョン万次郎、土佐藩から江戸留学を命ぜられ江戸藩邸のあった築地界隈を闊歩した坂本竜馬、築地の中津藩中屋敷で始まった慶應義塾の創立者福澤諭吉らを中心に、幕末から明治に到る彼らの働きを辿り、歴史の必然性と偶然性、その面白さを報告して戴いた。

■ ミズノプリンティングミュージアム見学会>



研究報告会終了後、ミズノプリテック(株)殿の好意で、6階にあるミュージアムの見学会が行われた。グーテンベルグ時代に発明された印刷機(複製)をはじめ、数々の古今東西の印刷に関わる貴重な資料が展示され、見学者の見聞を大いに広げる機会となった。

■ 懇親会



見学会の後、研究報告会の会場で懇親会を持った。研究会として初めての試みであったが、20名近い会員が出席し、一人一人自己紹介を兼ねて挨拶を行い懇親を深めた。最後に、今後の「築地居留地研究会」の充実・発展を相互に確約して散会した。

「居留地中央通り」及び「居留地通り」銘板落成式
・日時: 2014年11月22日(土) 12:30~13:00
・場所: 明石小学校運動場の交差点
■ 銘板落成式

 道路愛称名が決まり、落成式のテープカットが行われました。
 中央小学校の生徒達によるブラスバンド演奏で花を添えて頂きました。






研究報告会
・日時: 2014年11月22日(土)  14:00~16:00
・会場: 聖路加国際大学 3階 302号教室
・テーマ: 「築地初めて物語 - 築地に所縁の深いジョン・万次郎、坂本龍馬、
       福澤諭吉に学ぶ -」
・報告者: 水野 雅生 (NPO法人築地居留地研究会理事長)
■ 研究報告会



サブタイトルにあるように築地に所縁の深い人物や事項を多数取り上げ、彼らやそれらがどうのように日本の近代化とかかわったのかを、学説だけではなく、エピソードも加えながら楽しく報告が行われた。
特にジョン万次郎については、遭難からアメリカに渡った経緯、アメリカ時代の生活と帰国後の幕府登用など詳細にわたって説明が行われ、更に現在におけるジョン万次郎を縁とする日米の交流状況について、報告者の活動をもとに報告があった。続編を期待する声が多数聞かれた。

定例研究会
・日時: 2014年10月25日(土)  14:00~16:00
・会場: 喫茶「アラジン」アラジンの地図 (ラ・ヴェール明石町1階)
・会費: 無料(飲食代は各自負担)

第7回 外国人居留地研究会全国大会
・テーマ:「開国160周年 日本近代化の扉を開く ~横浜と音楽~」
・日 程: 2014年10月4日(土)~5日(日)
      4日(土):全国大会(於:横浜市開港記念会館)
      5日(日):現地見学 シンポジウムと史跡めぐり

・横浜研究会ホームページ  http://yokohama-fs.jimdo.com/

研究報告会
・日時: 2014年9月27日(土)  14:00~16:00
・会場: 聖路加国際大学
・テーマ: 「幕末江戸と外国人」
・報告者: 吉崎 雅規 (横浜都市発展記念館調査研究員)
■ 研究報告会



1858年に、いわゆる安政の5ヶ国条約が締結され、翌年から江戸に欧米の外交官が常駐するようになったが、江戸がどのように外国人を受け入れようとしたのか、或いはしなかったのか、この問題について外国公館の設置をめぐる問題を中心に、江戸期の朝鮮通信使や琉球使節およびオランダ商館長等の事例から紐解いて、横浜都市発展記念館調査研究員の吉崎雅規氏から、専門的な話を分かり易く解説戴いた。

研究報告会
・日時: 2014年7月26日(土)  14:00~16:00
・会場: 聖路加国際大学
・テーマ: 「フルベッキの群像写真の謎」
・報告者: 松井 信勝 (会員)  村上伊作 (会員)
■ 研究報告会
有名なフルベッキ宣教師の群像写真に、佐賀藩士江副廉蔵(1847~1920)が写っている。
江副は長崎でフルベッキから英学を学び藩の英語教師となり、維新後は一時新政府に出仕したが、商業に関心を示しニューヨークで有田焼の販売に従事した。帰国後はタバコ事業と関わり、のちに政府の要請により中国東北部、朝鮮、台湾等でタバコ栽培の指導を行った。
近代日本における江副およびフルベッキの事績について、江副の曾孫に当たる松井信勝氏(当研究会会員)から報告が行われた。

研究報告会
・日時: 2014年6月28日(土)  14:00~16:00
・会場: 聖路加国際大学
・テーマ: 「英学者本田増次郎(1866~1925)の生涯と築地居留地」
・報告者: 長谷川 勝政 (会員)
■ 研究報告会

本田増次郎(1866~1925)は、明治中期から大正期にかけて英学者・教育者・民間外交家・ジャーナリストとして活躍した人物。聖三一教会での受洗や立教女学校の教員として、築地居留地とも縁がある。一人娘、ハナは山本有三夫人。本田増次郎の生涯を縁戚に当たる長谷川勝政氏(当研究会会員)から、築地居留地との関連も含めて詳細な報告が行われた。


第4回 築地あじさい祭り -楠本イネ生誕祭-
・日時: 2014年5月24日(土)  14:00~16:30 (入場無料)
・場所: 聖路加国際大学にてレクチャー&あかつき公園
     シーボルト像に向け居留地散策
・主催: NPO法人築地居留地研究会



 <クリックで拡大>
研究報告会
・日時: 2014年2月22日(土)  14:00~16:00
・会場: 聖路加国際大学 601号室
・テーマ:『<高田増平>、<すま>、<政子>、<日出男>の残された記録』
・報告者: 高田 康男 (当研究会会員)
■ 研究報告会:14:00~16:00


大坂川口居留地にあった泰西学院を卒業した高田増平と築地居留地にあった立教女学校を卒業した高田(旧姓松枝)すま夫妻の明治中期から大正にかけての貴重な資料約60点が見つかり、同夫妻の孫にあたる高田康男会員が当時の居留地時代を探る。
また、高田康男会員の研究報告に先立ち、伊藤泰子当研究会理事(立教女学院・資料室)より、高田(松枝)すまさんが卒業された当時の立教女学校に関しての説明がなされた。


Copyright ©  NPO法人築地居留地研究会 All Rights Reserved.